リアホナ2005年9月号沖縄で最初の改宗者

沖縄で最初の改宗者

中村ノブ姉妹と帰還宣教師の不思議な出会い

沖縄でも伝道が始まる以前から,末日聖徒の軍人らが数人にバプテスマを施していた。その最初の邂逅について次のようなエピソードが伝わっている。

「ユタ州出身のラルフ・バードという宣教師がいた。バードは日本で伝道を終えた後,軍に入隊し太平洋のグアムで軍務に服していた。ある日,バードは上官から沖縄に行くよう命令された。しかし沖縄に到着すると,『どうしてあなたはここに来たのか』と尋ねられた。バードは『私はここに来るようにとの命令を受けたのです』と答えた。すると上官は『よし分かった。しかし,どうしてこんな命令が出たのだろう。我々には君をここに呼ぶ理由はまったくない』と言った。バードが持参した命令書を提示したところ,『それでは君が行う仕事を探すことにするが,しばらくは休養を取りなさい』と命じられた。

日本語ができる彼は沖縄の人々に興味があった。郊外に出かけ,歩いていると一軒の家屋の前に出た。バードはその家に心ひかれるものがあったので,訪ねる決心をし,ドアを開けて『ごめんください』と呼びかけた。そこが中村ノブの住まいであった。中村ノブは,ちょうどそのとき『神様,どうぞ私を正しい教会に導いてください』とひざまずいて祈っている最中であった。突然の,日本語を話せるアメリカ人の訪問に驚き,『どうしてそんなに日本語が上手なのですか』と尋ねた。バードは『私は日本でモルモン教会の宣教師でした』と答えた。すると彼女は『どうぞお入りになって,あなたの教会についてお話を聞かせてくださいませんか』と頼んだのであった。これが二人の最初の出会いであり,バードから福音を教えられた中村ノブは,数週間後にバプテスマを受けた。中村ノブは沖縄での伝道開始に当たり,大きな役割を担った一人となった」

1955 年7 月,当時十二使徒であったジョセフ・フィールディング・スミスが沖縄を訪問した。そして米駐留軍の末日聖徒を訪れ,沖縄の地を奉献したのであった。このときすでに,中村ノブ,彼女の娘の中村アヤ,玉那覇邦子は軍人の教会員からバプテスマを受けており,中村ノブは当時沖縄県婦人連合会会長の要職にあって,駐留米軍婦人会の役員との交流を図っていた。」(『世紀を越えて──末日聖徒イエス・キリスト教会伝道1 0 0 年のあゆみ』,2 3 6より引用)◆