先祖の思い出を語る旅

先祖の思い出を語る旅

アラン・F・パッカー長老ご夫妻とスティーブ・ロックウッド兄弟,

アラン・F・パッカー長老ご夫妻とスティーブ・ロックウッド兄弟,

名古屋,札幌,沖縄で家族歴史ファイヤサイドを開催

名古屋,札幌,沖縄で家族歴史ファイヤサイドを開催

この春,家族歴史部管理ディレクターの中央幹部七十人,アラン・F・パッカー長老ご夫妻と,家族歴史部ディレクターでありファミリーサーチ・インターナショナル最高責任者のスティーブ・ロックウッド兄弟が来日した。3月5日から8日にかけて,地域会長会第一顧問の山下和彦長老とともに,名古屋,札幌,沖縄と日本を縦断し,家族歴史をテーマとしたファイヤサイド等を各地で開催した。

2016年3月5日 名古屋訪問

名古屋東ステークセンターで,「家族発見の日」ファイヤサイドが開催された。

長男が最近まで東京南伝道部で専任宣教師として奉仕していたロックウッド兄弟は,日本にとても愛着があり,終始笑顔で出席者に語りかけた。先祖の思い出を語り継ぐとき感じる温かい思い,それは聖霊が家族歴史についてをしているのであり,「エリヤの霊」と呼ばれる,と述べ,家族歴史を通じて家庭に御霊を招くよう勧めた。

その後,パッカー姉妹,パッカー長老の順で登壇し,聴衆に語りかけた。この日のお話の概要は次ページで紹介している。

その後,指導者会も開催され,「見つける」「提出する」「教える」という家族歴史活動の3原則の実践について訓練した。その模様はインターネットを介して近隣ステークほかの指導者に中継された。

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2016年3月6日 札幌訪問

翌日,雪交じりの安息日の朝に,一行は日本札幌神殿の敷地を視察した。また完成したウェルカムセンターを訪れ,その建物に設置される家族歴史センターの準備状況を確認した。

その日の午後の指導者会では,奉献後の神殿で儀式を執行するのに十分な人名をどのように地元で準備するのか,すなわち札幌神殿を地元が自立して稼働していくための,目標設定の指導が行われた。

夕方からは厚別の札幌ステークセンターでファイヤサイドが開かれる。

ロックウッド兄弟がBow tie(蝶ネクタイ)活動を行った。30歳以上の出席者はリーハイ,それ以下の出席者はニーファイと仮定して,30歳以下の若者全員を立たせる。その中からニーファイとなる若者を一人選んで壇上に招いた。その右側に,ニーファイの両親,その祖父母,そして曾祖父母と,何世代にもさかのぼる先祖に見立てた若者をそれぞれ立たせる。次にニーファイの妻,その子供や孫たちに見立てた若者を壇上に招き,今度はニーファイの左側に立たせる。このように,あたかも蝶ネクタイのように広がる先祖と子孫を若者たちで表現した。

主は,ラバンが持つ版を取りにニーファイたちをエルサレムへ遣わした。そこに記されていたリーハイの家族の系図がいかに重要であったかを,この活動を通して出席者に教えた。

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2016年3月7日〜8日 沖縄訪問

マイナス2℃の北海道から24℃の沖縄へ飛んだ一行は,40人ほどの沖縄ステークの会員たちに迎えられた。那覇ワードでの家庭の夕べでは,元日本広島伝道部会長の兄弟が写真を見せながら,パッカー長老の父親,故ボイド・K・パッカー十二使徒定員会会長の思い出を語った。パッカー長老も古い写真を持参していた。それは,十二使徒の故ニール・A・マックスウェル長老と故パッカー会長が,後に互いに使徒となるとはつゆ知らぬ若い頃,太平洋戦争終結後の野外での軍人地方部大会に同時に出席していた記念写真であった。

翌8日,非常に恵まれた天候の下,パッカー長老ご夫妻は伊江島を訪れた。ここは,若きボイド・K・パッカー会長が太平洋戦争の従軍中に特別な霊的経験をした地である※1。パッカー長老は,パッカー会長も登ったという,伊江島タッチューと呼ばれる城山〔ぐすくやま〕にも登り,亡き父親の思い出を偲んだ。

この日の夜は,沖縄ステークと軍人地方部の会員約150人が沖縄ステークセンターに集まり,ファイヤサイドが開かれた。札幌と同様に,蝶ネクタイの活動が行われた。

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沖縄で父親の思い出と足跡をたどったパッカー長老と一行は,翌日,ベトナムへ向けて日本を後にしたのである。

※1─2012年3月4日,クエンティン・L・クック長老のワールドワイドディボーショナルで,パッカー会長の伊江島における経験が紹介されている。https://goo.gl/hsrh3I