リアホナ2014年7月号 聖約が心に刻まれるとき

聖約が心に刻まれるとき

─中央扶助協会会長 リンダ・K・バートン姉妹

バートン姉妹は,一緒に立って英語の歌を歌いましょう,と聴衆に促す。歌を教えて皆で歌った後,「これは,約束をする前にその重要性について考えてください,そして約束をするときにその約束を心に刻んでください,という意味の歌詞です」と説明し,幼少時の経験を語り始めた。

心から聖約を喜ぶ=聖約を心に刻む

バートン姉妹が幼い頃,祖父がよく家を訪ねて来た。祖母はバートン姉妹が生まれる前に亡くなっていたので,祖父は,祖母が生きていたら孫にしたであろうことをしてくれた。その中には歌を教えることもあった。「これ(先に歌った歌)はおじいちゃんが教えてくれた歌です。(祖父は)約束をすることについてとても強い思いを持っていました。」バートン姉妹は約束を主との聖約に置き換え,「バプテスマの聖約を交わすときにわたしたちは(それを)心に刻まなければなりません」と話す。では,聖約が心に刻まれているかどうかはどうすれば分かるだろうか。

「わたしたちが喜んで,元気をもってその約束を守っているときに,心に刻まれていることが(表に)現れます」とバートン姉妹は答える。「オスカーソン姉妹が,モーサヤ書に書かれている(バプテスマの)約束,聖約について思い起こさせてくれました。※ 1 わたしの好きな部分はその聖句の後にあります。なぜならそこに,約束を心に刻んだ人たちの様子が描かれているように思うからです。……『人々はこの言葉を聞くと手をたたいて喜び,「それこそわたしたちが心から望んでいることです」と叫んだ。』※ 2 わたしたちは聖約を交わすときこれほど喜んでいるでしょうか。そう願います。わたしは,わたしたちが聖約を交わすときに,天のお父様や御子に対してわたしたちがどれだけ喜びを抱いているか示せるように願っています。」

贖いの効力を受ける喜び

「喜びが表れる方法にはいろいろあります。(特に)贖いをしっかり受けているとき,贖いの効力をしっかり自分に受けているときはある特徴があります。わたしたちの顔の面影にそれが現れます。」しかしそれは聖約を交わした後すぐに見えるわけではなく,「往々にして過程,プロセスによるものです。わたしたちが聖約を交わすとき,それはランプに油を1滴ずつ注ぐようなものです」とバートン姉妹は言う。そして,これを説明する幾つかのエピソードを紹介した。

バートン姉妹には古くからのとても親しい大切な友人がいる。彼は人生において賢明とは言えない選択を繰り返し,徐々に暗く険しい表情の人になっていった。その様子は幼い子供がいるバートン家に招待するのを躊躇するほどのものだった。しかしバートン姉妹は彼を家に招待し続け,彼が変わるのを待った。「彼が自分の中で何か変化を起こさなければいけないと(思い),変化を遂げるまで長い長い時間がかかりました。でも彼が変わろうと決意したときに,キリストの元に来るという招きを受け入れたのです。贖いをしっかり自分に受けて,また清くなれるようにしたのです。そして少しずつ光が彼の顔に戻って来るようになりました。彼は今,とても明るい人になっています。これは贖いを通して起こったことです。彼が交わした聖約は彼の心に刻まれています。」バートン姉妹はこれを「贖いの清めの力」と言い,次に贖いの力の別の側面について語った。

「この力は,わたしたちにとって難しいことや困難なことを行う力を与えてくださいます。」─2013年11月,巨大な台風がフィリピンに押し寄せ,大きな破壊をもたらした。今年に入ってバートン姉妹は,被害に遭ったタクロバンという地域を訪問し,半日かけて被災地を見て回った。まだ瓦礫が高く積み上げられたままだった。

日曜日の朝,教会に行くと聖徒たちが賛美歌「感謝を神に捧げん」を歌い始めた。「『黒雲迫り来て平和を乱すとき 明るき希望あり 救い近きを知る』─この希望はどこから来るのでしょうか。希望は聖約を守るときに訪れます。そして被災地の聖徒たちは贖いによって強められ,難しいことを行う力が与えられたことを知っていました。わたしはイエス・キリストの贖いに感謝しています。」

人生の終わりをハッピーエンドに

バートン姉妹の先祖に,聖約を心に刻んで苦難の中を生き抜いた女性がいる。「このお話は,なぜ家族歴史をしなければならないか,その重要性を語る話です。」19 世紀,バートン姉妹の高祖父母の家族はデンマークに住んでいた。ある冬に高祖父は釘を踏んで怪我をし入院しなければならなくなった。彼らには5人の子供がおり,高祖母はその世話をしながら収入を得るために洗濯物をした。どれだけ懸命に働いても家族に十分なお金を稼ぐことはできず,入院費はもとより家賃もどんどん滞納していった。ある日「家賃が払えないなら出て行ってもらう」と大家が言いに来た。「高祖母はとても悲しく思っていたことでしょう。皆さんだったらどうしますか? 彼女はできることを全て行っていました。そこで子供たち5人全員を集めひざまずいて祈りました,『わたしはできることは全て行ってきました。あなた様の助けが必要です』と。祈り終わると子供たちを見て言いました,『わたしは全てがうまくいくような気がするわ。天のお父様がわたしたちのことをしっかり面倒を見てくださるような気がするの。』そして(彼女の)心には平安がありました。」

祈りの翌日は雪だった。二人の男の子が降る雪を窓辺で眺めていると,制服を着た大柄な男性が家に近づいてきた。「お母さん,お母さん,制服を着た人が来たよ!」男の子たちは,警察官が自分たちを追い出しに来たのだと怯えた。男性は家の周りを一周し,裏口の階段から上がって来る足音が聞こえ,扉がたたかれる。高祖母が応対に出ると,男性は開口一番,「あなたはケアさんでいらっしゃいますか?」と訊く。高祖母は「はいそうです。わたしです。」すると男性は,自分は(デンマーク海軍の)ルーベック・マーベック少尉だと告げ,こう続ける─「あなたを助けるために来ました。」

彼は昨晩の夢の中で,よく働く女性を見,住んでいる住所も見た。そしてその女性を助けるために訪ねて来たのである。彼は高祖母に必要なだけの金銭を援助し,もっと助けが必要なら連絡をするように,と自分の住所を渡して帰って行った。高祖母は目を泣きはらすほどに感謝した。

「この懸命な母親は子供たちをもう一度呼び集めました。そしてひざまずいて祈りました。天の御父にこのすばらしい祝福を感謝しました。祈りに応えてくださったことに感謝しました。そして祈り終わって立ち上がる前に子供たちにこう言いました。『今日わたしたちに起こったことを決して忘れないで。主はわたしたちの祈りに応えられ人を送ってくださったの。このルーベック・マーベック少尉の名前を忘れてはいけませんよ』と。」

この話には続きがある。10 年ほど後,あのとき窓から雪を眺めていた男の子の一人ジョセフ(バートン姉妹の祖父)は19 歳になり,アメリカに移住していた。ジョセフは宣教師としてデンマークに召され,故国に戻ることになった。

ある日,伝道部会長と一緒にデンマークの街を歩いているとき,ある墓地の前を通りかかった。そこで墓石の一つに刻んである名前に目が留まり,衝撃を受ける。誰あろう,あのルーベック・マーベック少尉の名前だった。ジョセフが伝道部会長にことのいきさつを話すと,会長は言った。「墓石に書かれている名前とその情報を書き留めなさい。ソルトレークに帰ったらこの人のために神殿の儀式を行うように。」ジョセフは伝道から帰還後,この少尉のためにソルトレーク神殿で儀式を行ったのだった。

「さて,誰が誰を救ったのでしょうか?天のお父様は憐れみ深いと思いませんか? ─神様は全ての子供を愛しておられます。そしてわたしたち皆がみもとに戻ることを願っておられます。物語の終わりはいつもハッピーエンドとは限りません。人生が苦難に満ちていることもあるでしょう。でも,わたしたちの心に聖約が刻まれているならば,わたしたちの物語の終わりはハッピーエンディングになります。」

「わたしはイエス・キリストの贖いについて証をします。この地上に生きた唯一完璧な御方でした。もし困難でない人生を受けるにふさわしい人がいたとしたら,それはイエス・キリストでした。しかし主は最後まで堪え忍ばれ,御父が与えられた務めを果たされました。なぜそのようなことをなさったのでしょうか? 主の心に刻まれていたのは,主が御父と交わした約束でした。わたしたちが心に聖約を刻み込み,喜びをもってこの聖約を守ることができるように,そしてそれを天のお父様に示すことができるように願っています。天のお父様がわたしたち一人一人を祝福してくださり,わたしたちが喜びをもって聖約を守ることができますように。」◆