七十人 青柳弘一長老
神を愛する
イエス・キリストは,最も大切な戒めは何ですかと質問されたときに,こう話されました。「心をつくし,精神をつくし,思いをつくして,主なるあなたの神を愛せよ」。では,わたしたちはどうやってその戒めを守っているのか。かつてそう自問したときに,わたしには分からなかったんです。
一つの手がかりは,キリストがマタイ伝の中で言われた,「あなたの宝のある所には,心もある」という言葉です。わたしたちには,いちばん愛しているもののことをいちばん考えている,そういう性質があります。お金を愛していればいつもお金のことを考えていますし,恋人を愛していればいつも恋人のことを,仕事を愛していればいつも仕事のことを考えてしまうわけです。
モーセの十戒の,いちばん重要な第一の戒めは, 「わたしのほかに,なにものをも神としてはならない。」これと,「心をつくし,精神をつくし……神を愛せよ」という教えは一致するんです。要するに,神様以外のものを神にしてはいけない。神様以外のものを第一に心に留めてはいけない,という勧告だと思います。
では,どうやって神様のことをいつも心に留めていながら,自分の妻を愛し,家族を愛し,仕事をするのか。わたしはあるときそれを非常に疑問に思って考えたことがあるんですね。そのときの一つの霊感は,(右の)聖句にありました。
神を愛することを習慣としなさい
アルマ37:36−37で,アルマは一つの勧告をしています。皆さんよく御存じの聖句です。35節の「神の戒めを守る」という言葉はすなわち「神を愛する」こと,つまり,キリストの贖いを経験すること※を若いうちから習慣としなさい,と言い換えられると思うんですね。
そして36節と37節の勧告。……要するに,わたしたちが朝起きて,夜寝るときまでのわたしたちのすべての行動,すべての思いをまず主に向けなさい,と。
これは,( キリストの贖いを日々経験して,)主イエス・キリストが常にわたしたちとともにいてくださるという信頼感を持っていればできるんです。主が自分の贖い主であって,わたしをほんとうに愛してくださっているという,その確信があれば,この勧告に従うことができるんですね。
(具体的には)……祈ってすべてのことをすればいいんです。祈って勉強し,祈って仕事をし,祈って妻を愛し,また祈って
家族と一緒に過ごし,遊び,すべて祈りを通してすれば,そこにいつも主が一緒に介在されるわけです。これは主を愛する方法でもあり,主以外に神をつくらないという方法でもあるんですね。
物事を,主を介在しないで,自分の力,自分の思いだけでやってしまうところに,主を愛さないという過ちへとわたしたちを陥らせる原因があります。わたしたちの心や思いが,主に向けられるよりもほかのものへ行ってしまう,そこに大きなチャレンジがあります。
主はわたしたちを愛しておられるので,主を通して仕事をし,学問を求め,主を通してすべてを行えばいいわけですね。ところが,主を通さないで熱心に学問を求めていると,人は高慢になっていく。主を通さないで熱心に働いてお金儲けをしようとしていると,その人も高慢になっていく。滅びに至ると思いますね。でも,信仰をもって助けを主に乞い願い,そのうえで学問を求める。あるいは主を通して熱心に,財産を求める,増やす。飢えた者に食物を与え,裸の者に着せるために。それは良いことだと思います(2ニーファイ9:28−30;ヤコブ2:18−19参照)。わたしたちのこの地上での働きはいつも,主を通してそれを行う,主の御心を行うというのが非常に大切な原則であると思いますね。◆
「『心をつくし,精神をつくし,思いをつくして,主なるあなたの神を愛せよ』。
これがいちばん大切な,第一のいましめである。」(マタイによる福音書 22:37-38)
あなたの宝のある所には,心もあるからである。(マタイによる福音書 6:21)
「あなたはわたしのほかに,なにものをも神としてはならない。」(出エジプト 20:3)
35 おお,覚えておきなさい,わが子よ。若いうちに知恵を得なさい。
まことに,神の戒めを守ることを若いうちに習慣としなさい。
36 また,あなたの必要とするあらゆる助けを神に叫び求めなさい。
まことに,あなたの行うことはすべて,主のために行うようにしなさい。
どこへ行くにも主にあって行くようにしなさい。
まことに,あなたの思いを常に主に向けるようにしなさい。
まことに,あなたの心の愛情をとこしえに主に向けるようにしなさい。
37 あなたのすべての行いについて主と相談しなさい。そうすれば,
主はあなたのためになる指示を与えてくださる。
まことに,夜寝るときは,眠っている間も主が見守ってくださるように,
主に身を託して寝なさい。
そして,朝起きるときに,神への感謝で心を満たしなさい。
これらのことを行うならば,終わりの日に高く上げられるであろう。(アルマ 37:35-37)