リアホナ2011年9月号  チエコ・N・岡崎姉妹が逝去される─日系人で初めて中央補助組織会長会を歴任

チエコ・N・岡崎姉妹が逝去される──日系人で初めて中央補助組織会長会を歴任

チエコ・N・岡崎姉妹が2 011年8月1日,鬱血性心不全で逝去された。享年84。葬儀はユタ州ソルトレーク・シティーのホラデイ南ステークセンターで8月10日に執り行われた。

岡崎姉妹は1990年から1997年まで中央扶助協会会長会第一顧問として,会長のイレイン・L・ジャック姉妹を支えた。中央扶助協会会長会に召されるまでは,初等協会の中央管理会で働いていた。すべての補助組織で教えた経験を持ち,ステーク若い女性会長やワード扶助協会会長も歴任した。岡崎姉妹の,人を引きつける話し方,説得力のある何冊もの著書は広く知られている。

岡崎姉妹は1926年10月21日にハワイ州ホエアで生まれた日系3世のアメリカ人で,15歳のとき教会に入った。両親の西村兼則,ハツコ夫妻は熱心な仏教徒であったために,彼女がバプテスマを受けたときには「がっかりしました」と,岡崎姉妹は当時を回想している。「でも,教会がわたしにいろいろな良い影響を及ぼすのを見て,二人はわたしが教会員であることを認めるようになりました。」

岡崎姉妹はハワイ大学の学生であったとき,同じ大学に通う将来の夫,エドワード・ユキオ・岡崎氏に出会った。二人は1949年6月18日にホノルルで結婚し,それから10か月後にエドワードはバプテスマを受けた。岡崎姉妹はこのように語った。「わたしは末日聖徒の青年をあまり多く知りませんでした。エドワードが教会に入らないかもしれないと少し心配はしましたが,彼は善良で熱心なクリスチャンでしたから,改宗する可能性は大きいと思いました。」岡崎夫妻は1951年にソルトレーク神殿で結び固められる。夫妻にはケネスとロバートの2人の息子と4人の孫がいる。

岡崎姉妹はハワイ大学で教育学の学士号を取得し,さらに大学院で1年間研究,北コロラド大学では教育学の修士号を,またコロラド州立大学では教育経営学の学位を取得した。そして,ハワイ,ソルトレーク・シティー,デンバーの小学校で教え,デンバーでは10年間小学校の校長を務めた。

伴侶のエドワード・Y・岡崎兄弟は1968年に日本沖縄伝道部(1970年に日本中央伝道部に改組)の伝道部会長に召され,一家で日本の神戸へ赴任した。任期中の1970年には大阪で日本万国博覧会が開かれ,教会はモルモンパビリオンを出展する。岡崎ご夫妻は会期中,ホストとなる伝道部の会長として皇太子殿下(今上天皇)や三笠宮殿下をはじめとする数々の要人を迎えたのであった。

岡崎姉妹は1996年秋の総大会でこのように話した。「キリストの復活によってわたしたちの復活も保証されているので,肉体の死については何の心配もありません。しかし霊の死については,わたしたちがキリストや主の希望,そして絶えることのない,何にも制約されない主の命と自分を結びつけないかぎり,主はわたしたちをお救いになることができません。」(チエコ・N・岡崎「希望を得て奮い立つ」『聖徒の道』1997年1月号,103)◆