リアホナ2008年8月号 イスラエル通信2

イスラエル通信2

ブリガム・ヤング大学エルサレムセンター

BYUエルサレムセンターは,ブリガム・ヤング大学の学生に教育を提供する施設として運営されている。土地を40年間イスラエル政府より借り受け,そこに多額の費用を投じて大学施設を建設した。主イエス・キリストが歩んだ聖地エルサレムに対して,教会,そして教会員の思いは強い。同センターの建設が発表された際,正統派ユダヤ人を中心に,教会員の情熱を感じ取っていた多くのユダヤ人から反対の声が上がった。宣教師の伝道活動の拠点になるのではないかと危惧されたのだった。そのため教会は,イスラエルの法律に基づき,同センターを宗教的な活動の拠点としないことを誓約している。教会はイスラエル国内で福音を宣べ伝えることや,バプテスマを行うことはできず,モルモン書のヘブライ語への翻訳も禁じられている。

1989年5月16日,BYUエルサレムセンターは,当時の十二使徒定員会会長であったハワード・W・ハンター長老によって奉献された。奉献式にはトーマス・S・モンソン長老(当時の大管長会第二顧問),ボイド・K・パッカー長老,ジェフリー・R・ホランド長老(当時のBYU学長)がともに出席した。奉献式について事前に発表すると多くの教会員が参列することも予想されたので,地元の人々の心情に配慮して,奉献の1か月後に発表された。

2000年9月に始まった第二次インティファーダ(イスラエルに対するパレスチナ人の民衆抵抗運動)以来,治安の悪化を理由に,プロボ本校学生の受け入れを中止していた。しかしイスラエル側から,キャンパスを再開しないのであれば土地を返還してほしいとの要請を受け,教会は同センターの再開を決定。2007年1月から,4か月を1学期として毎学期約40人の学生を受け入れている。学生はエルサレムの文化を肌で感じながら,キャンパスで旧約聖書と新約聖書の宗教コースを学び,中近東の歴史文化,アラブとイスラム文明,イスラム教,ユダヤ教,ヘブライ語,アラビア語を勉強するほか,エルサレム,ガリラヤ湖,ベツレヘム,ナザレ,ベエル・シェバ,及びシナイ山,聖カトリーナ(エジプト),ペトラ遺跡(ヨルダン)などの遺跡を授業の一環として回る。

BYUエルサレムセンターはイスラエル屈指の名門ヘブライ大学の近郊にあるためか,エルサレム市内ではタクシーに「モルモンユニバーシティー」と告げると住所を伝えなくても連れて行ってくれるほど認知されている。また講堂は,正面に旧市街を望む絶好のロケーションで,毎週日曜日夜にはイスラエル・フィル等で活躍している若手音楽家による無料コンサートが開催される。演奏家によってはチケット入手が困難な日もあるほどエルサレム市民に受け入れられている。同センターは一般の見学希望者にも公開され,若いパレスチナ人カップルがウェディングドレスやタキシードを着て,美しいキャンパス内で結婚記念撮影をしていることもよくある。

この20年を通じて教会は,地元のユダヤ教,イスラム教などの宗教指導者,地元大学の関係者,司法行政関係者をはじめとする各界の人々との交流を続けた。そのため,地元で影響力を持つ多くの人々と信頼関係や友情を築くこととなった。教会が20年間にわたって伝道活動を行わず,法律と約束を守り続けていることを高く評価する宗教指導者もいる。教会の真の姿が理解されることによってエルサレムセンターの運営は大きく支援されている。

主イエス・キリストに対する信仰によって喜びに光り輝く表情で行動する学生に対し,その表情こそが伝道活動につながるのではないかと,宗教活動に過敏な人々からクレームが寄せられたというエピソードもある。しかしエルサレムセンターの担当者は,福音が学生にもたらす喜びを制限することはだれにもできないと答えた。

現在でも,エルサレムセンターでのプログラムに参加する学生は,滞在期間中,ふさわしい服装や道徳的な標準を守ることに加えて,伝道活動を行わないことを誓約しなければならない。しかし,それらはエルサレムセンターで学ぶ学生や教職員にとって制約とならず,逆に,地域社会での良い模範となり,言葉によらず信仰の光を掲げる結果となっているのである。◆