新年度開始セミナリー御霊の力を借りて投げました

新年度開始セミナリー御霊の力を借りて投げました

── セミナリーが陸上競技者としての成長をも支えて 

── セミナリーが陸上競技者としての成長をも支えて 

~桑原 愛姉妹(郡山地方部会津若松支部出身)~

2009年7月,桑原 愛姉妹は福島県陸上競技選手権大会に出場していた。種目は女子やり投げ。この競技は各選手がまず3投し,記録の上位8人が決勝に進出,さらに3投して優勝を競う。この日は天候もよく,まずまずのコンディションだった。愛姉妹は,ほかの選手が投げているのを一切見ない。その間,携帯音楽プレーヤーから流れる賛美歌を聴いてリラックスに努める。同時に,一流のやり投げ選手の競技の動画を携帯電話で繰り返し再生し,イメージトレーニングやストレッチに余念がない。やがて自分の順番が来て,フィールドに立った。

予選1投目,それまでの自己ベスト44メートルに迫る43メートルをマーク。「今日はいけるな,と思いました。」先輩のアドバイスを受けて臨んだ2投目でいきなり47メートル39をマーク。この記録が決勝まで破られず,福島県新記録・選手権新記録で大会初優勝を飾った。『自分ではもう全然覚えていないんです。自然で……何も力入れないで自然に投げたのがこんな感じだったので……自分でもびっくりです。』

愛姉妹は福島県会津若松市出身,教会員のご両親のもとに聖約の子として生まれた。兄と弟,妹のいる4人きょうだいの2番目で,秘密基地作りや探検,ウシガエル捕り……と,外遊び大好きの活発な子供だった。小学3年生のとき,小学校の教諭である父親に連れられて地域のマラソン大会に参加,2キロを走って入賞したのがスポーツに親しむきっかけとなった。小学校時代,母親は愛姉妹とともに近所の子供を集めて一緒にソフトボールに興じた。冬になると父親とスキーをした。野球をやっていた父親譲りの強肩で中学時代はソフトボール部にて活躍,同時に陸上も始めた。

見えないその先にある祝福

2世の教会員として8歳でバプテスマを受け,歩んできた愛姉妹は,これまで福音の真実性について疑ったことはないという。愛姉妹の育った環境──毎日30分,家族で聖文を囲み,ともに祈り,家庭の夕べを行い──という家庭では,中学3年からセミナリーに通うというのもまた当然で,何ら特別なことではなかった。ただ,大学生で改宗した両親は,インスティテュートには通ったがセミナリーの経験はなく,子供たちにはぜひ通わせたいという熱意があったようだ。自宅から車で30分あまりの会津若松支部まで,毎朝父親が送ってくれた。「移動時間って親子の会話が取れるんですよ,貴重な時間で,すごくいいですよ」と愛姉妹は振り返る。

セミナリーは愛姉妹にとって,個人でじっくりと聖典に接する初めての機会であった。そこで学んだ聖文が真実だと生活の中で実感する機会,それは高校受験という形でまずやって来た。愛姉妹にはどうしても行きたかった高校があり,受験の時期には毎週土曜日曜に断食して合格できるよう祈り求めたという。「自分は神様からの祝福がすごく欲しくて,断食とか,聖典勉強とかしてるんです。」──ところがその第一志望校は,不合格であった。

愛姉妹は不本意ながら,行きたくなかった高校へ通い始める。入学してしばらくは,「何でこんな所にいるんだろう」と思っていた。高校でも陸上部に入部したが,しばらくは練習にも身が入らなかった。

そんな愛姉妹が変わり始めたのは1年生の秋,顧問の先生に勧められて,やり投げという種目に取り組んでからだった。陸上部顧問は越尾 咲男先生といい,入部当初は意識していなかったが,ハーフマラソン日本記録保持者で北京オリンピックにも出場した佐藤 敦之選手をはじめ,多くの優れた選手を育てた名監督であった。「その子の才能を見いだして伸ばす,っていう指導がすごいですね。周りから越尾マジックって言われてるんですよ。」人間性もすばらしく,佐藤選手も越尾先生を慕って時折来校しては,陸上部員にアドバイスしていた。越尾先生は愛姉妹の強肩に着目し,やり投げを勧めたのである。越尾先生と出会わなければ,陸上選手としての今の愛姉妹はなかったと言っても過言ではない。「ああわたしはこの人に会うためにこの学校に来たんだなって……ほんとうにすごいですよね神様って,先のことが見えているんですからね。」

もう一つ特筆すべきことに,愛姉妹の高校の陸上部は,高校の運動部としては珍しく日曜日の練習が休みであった。(第一志望校の陸上部は日曜に練習があった。)

そのうえ,自宅と教会,学校との地理的関係から,毎朝5時20分起床,5時半に家を出て6時からセミナリー,終了後に帰宅してしっかり朝食を取り,母親からお弁当を受け取って登校,朝練という生活リズムが確立した。「もし第一志望校に合格していたら,セミナリーから直接登校しなければなりませんでした。そうすると5時半までにお弁当を作らなければならず,お母さんもすごくきついんですよ。」ちなみに愛姉妹の母親は毎日4時半起床,6時まで新聞配達をしてから,朝食と子供たちの弁当を用意していたという。「母は休む暇もなくずっと働きっぱなしで。そういう姿を見てるので,大会の後などは疲れて起きたくないときもありましたけれど,自分はまだまだだな,甘えてられない,そう思いましたね。」

突然の故障

そうして順調に高校生活を送っているかに見えた愛姉妹であったが,困難は突然やって来る。練習中の無理がたたり,2年生の秋の大会にて競技中に腰椎分離症,すなわち腰骨の疲労骨折を引き起こしたのである。腰の激痛で起き上がることもできない。寝返りも打てない。咳もくしゃみも痛みを伴う。医師からは3か月の運動禁止と安静を命じられた。

「何もする気になれず,ひどく落ち込みました。」それまで活発で体を動かすことが大好きだった愛姉妹にとって,じっとしていなければならないのは非常につらいことだった。焦りもあった。スポーツ選手は3日練習を休むとてきめんに筋肉が衰えると言われる。ましてや3か月。「ここまで作った筋肉を,また取り戻すのにどれだけ時間がかかるんだ,と。」しかし,愛姉妹を見舞った越尾先生はこう励ました。「時間はまだあるから。俺がインターハイへお前を連れてってやるから,俺を信じて,ここは耐えなさい。」その言葉を支えに療養に専念した。

愛姉妹は療養中,よくモルモン書に親しむ機会があった。「わたしは行って,主が命じられたことを行います。……それを成し遂げられるように主によって道が備えられており……」(1ニーファイ3:7)「試練も,多分それを乗り越えられるように,道があったんじゃないかなと。つらくてすごく逃げ出したくなったんですけど,それに立ち向かうことによって,今,こういういい結果にも結びついてるので。やっぱりあのとき耐え忍んでいてよかったなあと。」

奇跡の回復

(復帰当初は)「ひどかったです。投げるのが怖かったんです。なんでこんなペースにも付いて行けないんだと,ほんとうに落ち込んでいたんですけど,先生が,大丈夫大丈夫ってずっと励ましてくれました。」

2007年6月15日,インターハイの予選となる,高校最後の東北高校選手権大会へ出場した。遠征先の秋田へ出発前,いつものように父親から神権の祝福を受けた。母親は『リアホナ』総大会号の預言者の説教を持たせてくれた。聖典も持参し,大会前日と当日朝に読んだ。「そんなことをしたのは高校3年間で初めてでした。義にかなった行いをすると,それだけの神様の祝福が後にあるというのはほんとうによく分かりました。」移動時間にはマスター聖句カードを眺めていた。「わたしの大会のときはよく雨が降るんです。それでも自分の投げる順番になるといつも雨がやんだり,風も弱まったりとか……これは神様の祝福なんだな,と。」

この日はウォーミングアップから調子がよく,順調に決勝へと進む。4投目,43メートルをマーク。当時の自己ベストであった。この記録は破られず,東北大会優勝!うれしさのあまり,両親やセミナリーの先生へ報告の電話をかけ続けた。── 復帰してわずか5か月,ようやく本調子を取り戻した直後のことであった。

「今思えばすごいですね。普通できないですよ。お祈りの効果じゃないですか。家族皆でお祈りしてくれて,少しずつまた動けるようになってきたので。お父さんや支部の人も祝福してくれたので,祝福にもすごい力があると思うんです。」

インターハイ進出を果たし,恩師にも恩返しができた思いだった。ちなみにインターハイ当日はテントが吹き飛ばされるほどの台風。それでも愛姉妹の投げる番には雨がやみ,風が弱まったという。インターハイの決勝は上位12位で競うが,結果は全国14位。あと一歩で届かず,愛姉妹の夏は終わった。

一方,セミナリーでは「教義と聖約および教会歴史」を学んでいた。「最後の1年はほんとうに頑張りました。」愛姉妹は特にマスター聖句探しに燃えていた。「教義と聖約(のマスター聖句)は完璧というくらいに暗記していたので,今でも覚えています。」11月のセミナリーグランプリではユニット単位の団体戦と個人戦があるが,個人戦では弟もライバルだった。こちらで愛姉妹は,団体戦も個人戦も,ともに優勝を飾った。

生活に生きる聖句

マスター聖句の中には,実生活で自分に当てはまる聖句がたくさんある,と愛姉妹は語る。「今,自分が悩んでいたら,たまたま今セミナリーで学んでいるところにぴったり来る答えがある,そういうことがあるんですよ。つらいとき試練のときに(聖句を)思い出せると,力になるんです。マスター聖句はほんとうにすばらしいです。」

「自分は競技をしているので知恵の言葉が大好きで,それと照らし合わせて早寝早起き,旬の野菜を食べる……それでほかの人よりも元気だなというのはありました。『走っても疲れることがなく,歩いても弱ることはない。』(教義と聖約89:20)知恵の言葉にはもう深い証がありますね。」

大学に入学してからは,高校のときの練習方法とは変わってきた。高校のときは与えられた指示に従ってトレーニングを積んでいればよかったが,大学では自分で考えることが求められる。「わたしがすべてのことを命じるのは適切ではない。……人は熱心に善いことに携わり,多くのことをその自由意志によって行い……」(教義と聖約58:26-27)スポーツ科学的なアプローチで,どの筋肉を鍛えれば記録が伸びるのか,そのためにはどんなトレーニングが効果的なのか,先輩に教えられつつも自分で考える比率が大きくなっていった。そうした中で愛姉妹独自の方法を模索した。賛美歌を聴いていると心がリラックスし,力まずに安定して投げることができ,好成績につながるのだという。「御霊の力を借りて投げているんです。」

「『わたしは心の歌を喜ぶからである。まことに,義人の歌はわたしへの祈りである。それに対する答えとして,彼らの頭に祝福が注がれるであろう。』(教義と聖約25:12)──今(求めているの)はまさしくこれだと思いました。」競技前に賛美歌を聴くようになったのはこの聖句がきっかけだった。

付け加えると,現在,愛姉妹が通う日本体育大学もやはり第一志望ではなかったという。「ほんとうは地元に近い大学に入ろうと思ったけれどもこっちに来ました。(陸上部は)木曜日が休みとは聞いていたんですけれど,日曜日まで休みとは知らず,自分は日曜日教会に集えないんだと悩んでいました。お母さんに喜んで電話したのを覚えています。」結果的にいい大学に入ったと,今,愛姉妹はその祝福をかみしめている。

愛姉妹は今のセミナリー世代に向けて実感を込めてこうエールを送る。「やっぱり(初等協会時代に)そこまで聖典に触れる機会はないじゃないですか。セミナリーという機会を通して聖典をよりよく学べるのは今しかない,この時期にしかできないので。ほんとうに朝つらくて眠いとか,いろいろあると思うんですけれど,学んだことは後々すごくためになるので,頑張って行き続けてほしいと思います。」◆