シリーズ 福祉のABC 1

シリーズ1福祉のABC

(地域福祉部)

贖い

霊的,物質的な福祉や永遠の福祉の基礎について考える場合,まず何よりも贖い,すなわちイエス・キリストの贖いの犠牲について思い巡らすとよいでしょう。

贖いの基本は子供でも簡単に理解できます。わたしたちは時々神に背を向けるため,贖いは不可欠です。贖いがなければ,全人類は霊的,肉体的に滅びる以外にないでしょう。贖いのために主が行われたことは,主の完全な生涯,ゲツセマネの園でささげられた執り成しの祈り,カルバリの丘における十字架上の死,墓からの復活が挙げられますAtonement, Bible Dictionary,617参照)。

この基本的な真理は,ごく幼い子供にも分かるものでありながら,贖いの深遠さと効力というものは,何を求め,どのように見いだしたらよいかを知らなければ,真剣に真理を求めない人や心のかたくなな人には,あるいは博学な人であっても,理解できないでしょう。

霊的な福祉(贖いを通して霊を強める)

霊的な福祉(贖いを通して霊を強める)

ヘンリー・B・アイリング管長は扶助協会に向けた話の中で,このように述べています。「慈愛は主イエス・キリストを信じる信仰から生まれるものであり,主の贖いが会員の心に作用している結果なのです。……姉妹たちの慈愛の気持ちは,主の贖いによって主からもたらされます。姉妹たちの慈愛の行いは,主の模範によって導かれ,主の無限の憐あわれみの賜物たまものに対する感謝から生まれます。また,……聖なる御霊によって導かれます。」(「扶助協会の不朽の受け継ぎ」『リアホナ』2009年11月号,121)

このように,慈愛や愛,信仰,希望,そのほかのキリストのような特質は,贖いを通して身に付けられるものであることが分かります。悔い改めて罪から清められたいという願い,人の過ちを赦ゆるす強さ,聖霊を感じる力は,贖いによって生じるものです。キリストは,わたしたちが清められて,これらの祝福を受けられるよう「世の罪のために十字架につけられて殺された」のです(1ニーファイ11:33)。

物質的な福祉(贖いを通してこの世の試練を克服する)

物質的な福祉(贖いを通してこの世の試練を克服する)

トーマス・S・モンソン大管長は,夫を亡くしたある女性について語っています。戦禍を逃れる新しい住みかを探すために,4人の幼い子供を連れて1,600キロの道のりを歩いた女性です。旅の途中で子供は次々に亡くなりました。母親は亡骸を埋葬するために,凍った土をスプーンで,後には素手で掘りました。最後の子供を埋葬すると,失意のあまり,もはや旅を続けることはできませんでした。しかし聖霊の励ましを受け,ひざまずいてこのように祈ります。

「『愛する天のお父様,これからどうしていけばよいのか分かりません。すべてを失いました。あなたへの信仰しかありません。お父様,荒れ果てた心に感じるのは,御子イエス・キリストが果たされた贖いの犠牲に対する,圧倒されるばかりの感謝の気持ちです。御子への愛を十分に表すことができません。御子が苦しみ,亡くなられたおかげで,再び家族と一緒に暮らせることを知っています。御子が死の鎖を断ち切ってくださったおかげで,子供たちと再会して,育てる喜びにあずかれることを知っています。今は生きる希望をなくしていますが,家族が再び一つになり,お父様のみもとへ一緒に帰るために,生きていきます。』」(「元気を出しなさい」『リアホナ』2009年5月号,92)

この女性のように,わたしたちは人生で肉体的,情緒的,経済的な問題,仕事や結婚,家族などの問題に苦しみますが,それでも一歩前進する強さを見いだすことができるのは,「イエス・キリストが果たされた贖いの犠牲に対する感謝の気持ち」を抱いているからです。そのために,救い主は全人類の罪だけでなく「あらゆる苦痛と苦難と試練」をその身に受けられたのです(アルマ7:11)。

永遠の福祉(贖いを通して永遠の命を受ける)

永遠の福祉(贖いを通して永遠の命を受ける)

ジョセフ・F・スミス大管長は,聖文について深く考え,救い主が払われた贖いの犠牲について熟考していたとき,驚くべき啓示を受けました。大管長はこのように述べています。「死者が小さな者も大いなる者もともに群れを成しているのが見えた。非常に多くの正しい者の霊が,一つの場所に集まっていた。彼らは死すべき世に住んでいた間,イエスの証に忠実であった者たちであり,神の御子の大いなる犠牲のひながたとして犠牲をささげ,また贖い主の名によって艱難を受けた者たちである。」(教義と聖約138:11-14)

パウロはわたしたちにこのように教えています。「アダムにあってすべての人が死んでいるのと同じように,キリストにあってすべての人が生かされるのである。」(1コリント15:22)これはわたしたち皆が信頼できる,文字どおりの,そして永遠に変わることのない約束です。

何をしたらよいでしょうか

何をしたらよいでしょうか

この偉大な喜びのメッセージを受けたわたしたちは,第1にほほえむことができます。主は「元気を出しなさい」と言われました(教義と聖約68:6)。次に,聖餐,神殿の儀式,聖霊の日々の霊感を通して「価なしに命の水を飲〔み〕」,喜びましょう(教義と聖約10:66)。このようにして何をするべきかという知識と,それを行う強さがわたしたちに授けられるのです(リチャード・G・スコット「霊的な導きを得るために」『リアホナ』2009年11月号,6参照)◆