リアホナ2005年9月号ユースカンファレンスがよみがえった! 青少年の証を育てる,神戸の若大将奮戦記

ユースカンファレンスがよみがえった!── 青少年の証を育てる,神戸の若大将奮戦記

升山忍兄弟/ 元神戸ステーク若い男性副会長 

「親に連れられて教会には来ているけれど,別に教会に来たくて来ているわけじゃない」「証がない」「教会に来ても楽しくも何ともない」「部活や遊びの方が楽しい」「何で教会で熱心にやるのか分からへん」──率直な青少年たちの声。神戸ステーク北六甲ワードの元若い男性会長升山忍兄弟は,同じ2 世の会員として青少年の悩みや気持ちが「分かると思います」と話す。青少年の指導者として子供たちと親しくなるにつれ,彼らはこうした本音をぶつけてくる。

8 歳でバプテスマを受け,小学校のときはやはり「親に連れられて」教会に来ていたという升山兄弟。中学1年で北六甲ワードのエリアに引っ越してきた。当時は教会よりも学校が楽しかったし,教会に行きたくないと思ったことはないけれど,「自分に証があるのかな」と思ったことは何度もある。そんな升山兄弟に最初の衝撃を与えたのは中学1 年で初めて参加したユースカンファレンスだった。特に,これまで聖餐会などで大人の人がするものだと思っていた「涙を流して証する」ことを,自分と同じ青少年がしていることに大きなショックを受けた。「自分ももうちょっと頑張りたいと思って」翌年からはカンファレンスの実行委員を引き受け,自分たちでプログラムを作り上げる喜びを体験する。「神戸ステークのユースカンファレンスは日本一だと思っていました。」

升山兄弟は2001年に伝道を終え神戸ステークの実家に帰還する。そして2003年春,手伝いを頼まれてユースカンファレンスに参加した升山兄弟は目を疑った。若い男性が全員一緒に宿泊するキャンプ場の大きなバンガロー。しかし,青少年たちは小さな集団に分かれてしまって互いに交わろうとしていない。2 段ベッドの上でトランプをしているグループ,下で話しているグループ,黙々とゲーム機に向かう子,一人で音楽を聴いている子,どのグループにも入れず所在なげにたたずむ子……。

升山兄弟は自問する。自分が青少年のころのカンファレンスはこうではなかった,年上の子は年下の子をフォローして,だれも疎外感を抱かないよう細かく配慮していた。いったい,数年のうちに何が変わってしまったのだろうか。

Step 1 / 自分たちで計画させること

このユースカンファレンスから帰ってすぐに,升山兄弟は北六甲ワードの若い男性会長に召される。北六甲ワードは30 人もの青少年が集う神戸ステーク最大のワードである。青少年のほとんど全員が2世の教会員。けれども……「当時はみんなばらばらでした。若い男性と若い女性の仲も良くなかった。」

升山兄弟の目には,青少年たちは大人がお膳立てしたプログラムに言われるがまま参加しているだけに見えた。「語弊があるかもしれませんけど,青少年の神殿訪問で東京観光をしたり,カンファレンスでバーベキューをしたり,何か楽しいことで釣ろうとしているような……でもそれで釣っても結局青少年は変わらないんです。その辺からして方向性が違うと思いました。」そこで升山兄弟は,すべてを指導者がやってしまうのではなく,「彼ら自身に」計画させることから始める。まずは夏の神殿ツアー。神戸から東京までバスで向かう時間,若い男性と若い女性が合同で楽しめる活動を「自分たちで」企画させた。7 時間の道中,彼らの立てたプランは1時間で終わってしまう。それでも結果よりはプロセスを重視,「あとはぼくが適当にゲームやったり盛り上げたりして,うまくいきました。」それだけで青少年の雰囲気はがらりと変わり,見違えるように仲良くなった。間髪を入れずに次はクリスマス会の劇を計画させる。升山兄弟は「劇をやったら?」と言っただけ。内容も脚本も彼らに決めさせる。最初,面倒くさそうに取りかかるもやがてエンジンがかかり,劇は大成功を収める。半年前の状態が嘘のように30 人の関係は良くなった。「言われたら,一応渋々でも素直にやってくれる子たちだったので」と升山兄弟は言うが,ベースに信頼関係がなければ青少年は動かない。

大人の言うことを煙たがる年代の彼らにあって,伝道から帰還したばかりで年齢も比較的近く,青少年の「兄貴」のような升山兄弟は慕われている。青少年グループの中には実の弟もいる。「若い子たちの間に入るのは割と得意かもしれません」という升山兄弟だが,それでも何の苦もなく子供たちと信頼関係を結べるわけではない。「ぼくは個人的に一人一人とけっこう話をしましたし,去年結婚してからは青少年を自分の家に呼んで食事をしたり話したりしました。土曜や平日に突然来ることもありましたし。日曜日など正規のプログラムの時間だけではまったく信頼関係を築けなかったと言っても過言ではありません。」この信頼関係があればこそ,青少年たちは升山兄弟が次々に繰り出すチャレンジにこたえてくれたのである。

Step 2 / 証をすること

神殿ツアーといった活動の度,機会あるごとに升山兄弟は青少年たちに聖餐会で証をするよう促した。「最初にぼくが出て証して,『今日は青少年が証してくれるかもしれません』と話すと,みんなはしなくちゃいけないという雰囲気になって。」何人かが出ると皆,後に続いた。まだ旅行談のようなつたない証である。「それでもまあいいと。証することによって証が強まる,それは真実であると知っていますので,とにかくそれを実践させようと。でも『神殿ツアー』とか,何かテーマがないといきなりは難しいですから。それまでは,青少年が証するなんて彼らの辞書にはない,あそこは大人の決まった人が出て話すものだと……でも自分たちも出ていいんだということが分かったんですね。」夏の時点で「旅行談」のようだった証も,11 月のセミナリー修了の証,そしてクリスマス劇の証と回を重ねるにつれて徐々に変化する。「面白いことに,証する度に証の内容がどんどん変わってくるんです。どこへ行った楽しかったおもしろかったと言っていたのが,ほんとうに『証』になってきた。もうびっくりするくらい変わってくるんですね。」

2003 年の暮れ,升山兄弟はステークの若い男性副会長にも兼任で召される。

Step 3 / 祈りの力を実感すること

「1年半くらいうまく心が通じない子もいました。どう接すればいいか分からず──祈りの中で,『彼と信頼関係を築くためにどうすればいいか教えてください』と願い求めました。そのとき感じるものがあって,その子に,あえてカンファレンスの実行委員になることを頼もうと思いました。内心,『断られるかな』と覚悟して切り出して,『すぐに返事しなくていいから,考えといて』と言ったんです。すぐに断られるのが恐くて。──翌週,彼が『いいよ』と言ってくれたのには驚きました。」

2004年9月,翌年春のユースカンファレンスの準備が始まった。北六甲ワードから委員長を含めて3人,ほかのワードから3人,合計6人の青少年たちで実行委員会が組織される。「早すぎて青少年に負担になるという指導者もいらっしゃいましたが,遅く始めて間際でばたばたするのもかえって負担になりますし。それにこのカンファレンスを青少年の再活発化の機会にしてほしかったんです。『カンファレンスで何々をするから協力して』と言うほうが,ただ『聖餐会に来て』とか言うより誘いやすいじゃないですか。」──

例によって自立心をはぐくむため「自分たちで」計画するよう,青少年は青少年,指導者は指導者で別々の輪になり,それでも助けが必要ならすぐに手が差し伸べられるようにと同じ部屋で話し合いが進められる。

ところが青少年たちの実行委員会は思いのほか滑り出しが悪い。「委員長も,『何々~だよな?』って,気心の知れた北六甲ワードの子にばかり話を振ったりして,すごくぎこちなくて。」委員の中には月例の2時間の話し合い中,ほとんど一言も口をきかないで固まっている子もいる。9 月,10 月,11 月……固い雰囲気はまったく変わらず,テーマ一つ決めるのに2,3 時間もかかる始末。年が明けて2005年1 月30日,残すところ2 か月となりさすがに皆が焦り始めたところに升山兄弟が介入した。

「みんながこういう雰囲気だとカンファレンス成功すると思う? 皆,班員同士どんなふうになってほしいの?」

「……それは仲良くなってほしいし,気楽に話せるようになってほしい」

「今の君たちがこんなやったら無理やろ?」

──無言で考えている実行委員たち。

「じゃあこれから毎日,カンファレンスが成功するように祈ろう」

「そんな風に自分たちで考えさせてから,,こうチャレンジをしたんですね。1日1 回でもいいから思い起こして,毎日それに心を向けていること──自分も伝道中に,毎日同じ求道者について祈るという経験がありましたから,これすると絶対に変わるから! と自信を持って勧めて。委員長を通してメールなどでもフォローアップして,だんだん意識づいてきたんです。」

翌週の断食日にはカンファレンスのために断食して祈ることも申し合わせる。

そして,2月の会合の日が来た。

「全然,雰囲気が違いました。急速に良くなりました。固まっていたあの子も話に入っているし,委員長も全員の顔を見て話すようになったし,その日以降,話し合いはすごくスムーズで,とにかく実行委員が仲良くなりましたね。メールとかもばんばん使うようになって。……間違いなく祈りの力だと思います。何で変わったのか論理的には正直分からないんですけど。指導者にとっても証が強まりましたし,何より青少年自身が感じていますから。おお,すごい変わったなあ,って。」

Step 4 / 同胞に手を差し伸べること

そうして実行委員たちが祈りの力を実感しているころ,北六甲ワードの若い男性たちも別の形で祈りの力を確かめていた。それは──

「カンファレンスを通じて教会から足の遠のいている青少年を助けるべく,指導者たちにステークからチャレンジしたんです。若い男性,若い女性一人ずつでもいいから個人名を挙げて,だれに働きかけるか祈りを通して決めてください,と。」そのことを北六甲ワードの若い男性と神権会で話し合ったとき,以前から升山兄弟も気になっていた一人の男の子に焦点が当たる。その子は,中学生のころはそれなりに集っていた。しかし進学した高校には教会員がおらず,そのほとんどが一つの高校に通う北六甲ワードの青少年の輪の中には入って行きづらい。また高校で部活に入ったこともあって教会には「宙ぶらりん」の状態だった。升山兄弟は若い男性に投げかける。

「このままでいいの?」

「あかんとは思うんやけど,でも,どうしていいか分からない」──正直,指導者たちもどうしていいか分からなかった。

「何をすればいいか分からなかったら,どうすればいいか教えてくださいと,そういうところから祈ろう」……

「彼ら自身も心のどこかで分かっているんですね,入れてあげた方がいい,って。でもそれを実践する勇気がない,恐い。大人と一緒ですよねその辺は。」

祈ることをチャレンジして1週間後,再び話し合う。

「とにかく彼を誘わないと話にならない」

「どうやって?」

「……お母さんに(申込書を)渡す」

「いや,そんなんじゃあかんやろ」

「──家まで行こうか?」

そこで升山兄弟はその子の家に電話をかけ,まずご両親に話す。電話口でお母さんは「多分あの子に言っても……」と最初は否定的な様子だった。

「いや,でも,それは彼ら青少年が祈って決めたことです。だから結果がどうであれ悪い方には行かないと思いますよ。それで彼がすぐ教会に来るかどうかは分かりませんけど」そう語る升山兄弟に納得して,最後にはその子に電話を替わってくれた。

「……日曜日の夜だったらいるから」

「じゃあ,みんなが会いたいらしいからちょっと行くな?」渋々だったかもしれないけれど,約束は取れた。

2月27日,冬の短い日がとっぷりと暮れた午後7時ごろ,中学2年以上の若い男性10 数人が北六甲ワードに集まる。輪になりひざまずいて祈りをささげ──ひざまずいて祈るのは初めてだったかもしれない──3台の車に分乗してその子の家に向かった。

「そんな人数で来たから,最初彼は出たくないって──聞こえるんですよ玄関だから」──それでも結局その子は出て来てくれた。今まで自分を輪の中に入れてくれなかった子たちが,大挙して自分の家に来ている。

「カンファレンスに来てほしい」

「どんなことするの」

「いやこんなことをこういうふうにするから……」

「これ申込書持って来たよ,だから来てほしいねん」……

特に話し方を打ち合わせたわけではない。しかし,一人が代表して話すのでなく皆あちこちから口々に話しかける。青少年たちの言葉に心があった。

「その子にもそれが多分伝わったんでしょうね,話して悪い気はしないな,という雰囲気になってきたんです。」

「うん,じゃあ考える」

玄関先で10 分ほどの会話だった。翌週,3 月の断食安息日にその子は教会に姿を見せた。

「その子が来たらみんな隣に座ったり,証会でみんなその経験を──その,本人がいましたけど──証したりして,いい雰囲気になって。祈りによって道が開けたという証を得て,もう彼らはみんな証をするようになっているんです。

彼ら自身,ほんとうの喜びというものが実感として分かりましたし。──ぼくは正直,その子はカンファレンスは来ないかなあ,と思ったんですけど,あとでぼくの所にメールが来まして,『たまたま部活の合宿と重なってるから行けないけど,ほんまはちょっと行こうかなと思ってた』と。『じゃあぜひ来年は来て』と返しました。その子と青少年の同年代の子たちは今も個人的にメールでやりとりしています。

彼らは,自分たちだけで楽しむのではなくて主が望まれていることを理解するようになりました。自分たち99 匹の羊だけでなく,輪の中に入れずにいる1 匹の羊にも目を向けることができるようになりました。」

2005年3月29日,神戸ステークのユースカンファレンスが始まった。うららかな好天に恵まれ,神戸ワードで開会した青少年たちは,そのまま六甲山に登り始める。途中,クイズやゲームを交えたオリエンテーリングを楽しみながら目指すは六甲青年の家。──青少年たちが自分で計画したカンファレンスのプログラムは,キャンプファイヤーでの各ワードの発表や,「神様がいることを知っていると証できますか」「この教会で良かったか」「イエス様を知っていますか」などのテーマ別に青少年が直面する課題をグループで話し合うディスカッションなど,「楽しい」と「霊的」がうまく組み合わされた真摯なものだった。

2 泊3日の日程を終えて下山,再び神戸ワードに着いた青少年たちは,安息日の服装に着替え,最後のプログラムである証会に臨んだ。涙ながらに証する,普段泣いたことなどないという男の子。「震えが止まらなく」なって思わず壇上に立ったという女の子。彼らの確かな成長を実感させる証を聞きながら,升山兄弟はある感慨に包まれていた。「自分のここでの役割は,これでほんとうに終わった」──実は折から転職のため,升山兄弟はこの日その足で九州へと赴任することが決まっていたのである。

今,九州の地で,升山兄弟はこう振り返る。「青少年たちは預言者でも何でもありませんが,それでも若い分,幼子に近い心を持っています。彼らの純粋さに大人はかないません。あれほどすばらしい証会にはこれまで出たことがありません。ほんとうにすばらしい証会でした。」◆