リアホナ|主の愛に包まれて会員とともに働く

主の愛に包まれて会員とともに働く

田中 力長老/福岡伝道部 元専任宣教師

「警察を呼びますから!」そう言ってドアを閉められた。北九州市八幡の、100戸ほどある8階建ての大きなマンションで戸別訪問をしている時である。田中力長老たちが自己紹介し,無料英会話もしている, と告げたとき, 玄関先で話を聞いていた40がらみの男性が突然怒り始めた。法律関係に詳しい人のようだった。違法な英会話の訪問勧誘と誤解されたにかもしれない。

そのマンションは住民以外構内に入れないというタイプではなかったし、戸別訪問することには何の問題もないはずだった。「逃げましょう」と同僚は言ったが、田中長老は動じない。悪いことをしているわけでもないのに逃げるのは嫌だったし、かえって変な目で見られると思った。警官は7分ほどでやって来た。エレベーターから二人、階段から一人が上がって来る。「男性を二人確保しました」と無線で連絡している声が聞こえた。

身分証明の提示を求められた田中長老は,ヒンクレー大管長のサインが入った宣教師の証明書を見せ,「わたしたちは末日聖徒イエス・キリスト教会の宣教師で・・」と戸別訪問をしていた状況を淡々と説明した。警官たちは時折街で見かける宣教師を知っていたらしく,礼儀正しく話たけを聞くとすぐに帰っていった。

「わたしたちは主の用向きを果たしているのだから,何の不安もありませんでした。」そんな田中長老に,宣教師として最も必要な資質は?と尋ねると即座に「慈愛です」と返ってくる。さらに「愛は恐れを取り除きますから」と続く。

御霊の証

田中力長老は2002年2月,JMTCを出て最初に福岡ステーク八幡支部へ赴任した。しかし,しばらく働くうちに行き詰まりを感じ始めた。求道者に証するものの,御霊を感じてもらえすレッスンが進展しない。幼いころから2世の教会員として福音の中で育ち,教会は真実だと信じていた。しかし振り返って見ると,田中長老自身はっきりと御霊だと確信できるものを感じた経験はなかったのである。自分がよく知らないものを伝えられるわけかないと思った。それからは宣教師として御霊を感じられるよう熱心に祈り求めるようになった。

やがて2002年6月末,全世界を衛星中継で結び,イリノイ州ノーブー神殿の奉献式が行われた。当初は田中長老たち宣教師が出席する予定はなかったが,八幡支部の支部長に誘われ,支部の会員たちとともに車に分乗して衛星放送の奉献式会場となった福岡ワートへ向かった。

6月29日,土曜日の夕方のセッションだった。降ってはいなかったが梅雨時の雲が空を覆っていた。

田中長老は静まり返った礼拝堂の前の方に座って奉献式が始まるのを待った。そのときは特に何を期待していたわけでもない。しかし,前方に投影された衛星放送の画面に見入っていたときである。「目に見えたわけではありませんか,ヒンクレー大管長か奉献式をしているその場所に,ジョセフ・スミスがいる,そこに来ていると強く感じました。」目に涙があふれた。通訳は大管長の言葉を伝えていたが,言葉は気にならなかった。心に直接感じる,これか御霊の証だと理解した。主の慈愛に包まれる温かさを感じた。

それから田中長老の伝道は変化する。主を証する言葉に力が宿り,さらに恐れを知らない宣教師となった。

会員と宣教師がともに漁る

その後,沖縄の那覇に転任した。ここは田中長老にとってゆかりの土地である。田中長老の母親は沖縄の名護市出身,高校生のころバス停で宣教師と出会った。当時ピアノを習っていた先生が教会員だったことにも助けられてハプテスマを受ける。改宗後,教会員の喜納敏光兄弟の主宰する空手道場に通っていたこともある。父親は大学生のとき,敏光兄弟の弟で東京で伝道していた喜納正兄弟と街頭で出会い,福音を紹介された。そんなわけで,現在,両親の改宗に直接関係した人々が集う那覇に赴任した田中長老はワードのメンバーに家族のように迎えられた。古い会員たちからは両親のなれそめまで教えられたという。

千葉県の海辺の町に育った田中長老は自他ともに認める釣りキチである。もっとも「伝道中は釣りに行きたいという気持ちをあまり感じませんでしたけれど」と言い添える。田中長老の脳裏ではいつしか伝道を釣りになぞらえるようになっていた。ペテロではないが,「人間をとる漁師」である田中長老はこう語る。

「釣りでは仕掛けやえさも大事ですが,釣れるポイント(釣り場)を知っているかどうかか大きいんです。」会員から福音に耳を傾けそうな人を紹介される,それがポイントを教えてもらうということだ。「魚を集めるためにこませ(撒き餌)をまきます。それは宣教師が証をすることと同じです。」針にかかる,つまり求道者か御霊を感じて心が変化するかどうか,そこは神様の導きである。「そして大物がかかると引き寄せて玉網ですくい上げます。その網が会員の助けなんです。それは教会に来た年齢の近い求道者と一緒に座って話しかけるといった小さな行いです。網に穴が空いているとそこから魚は逃げてしまいます。」会員と宣教師の良い関係が伝道の鍵と言われる所以である。「那覇ではまさに宣教師と会員か一緒に伝道していた,という実感があります。」

2004年2月初め,田中長老は伝道を終えて羽旧空港に降り立った。両親かゲートまで迎えに来ていた。対面した田中長老の言葉数は少なかった。無事2年間の伝道を終えたことはうれしいようでうれしくないようで,複雑な気持ちが交錯する。昨日まで毎日聖文を学び,伝道をしていた宣教師の生活サイクルが急に変わったことにうまくなじめなかった。

帰還後,大学に復帰した田中兄弟は最近,沖縄の会員から電話を受けた。那覇から転任する直前に子供たちがバプテスマを受けた家族の,教会から足が遠のきがちだったお母さんかその後集うようになり,教会員でないご主人も顔を見せるようになった,という。気になっていただけにうれしい知らせだった。「伝道は最高です!」そう振り返る田中兄弟は,沖縄の人々のように今度は会員として宣教師とともに働く機会に意欲を燃やしている。◆