リアホナ2005年8月号「多様性を許容する社会」諏訪教授の語る21世紀日本の仕事と生活の調和

「多様性を許容する社会」諏訪教授の語る21世紀日本の仕事と生活の調和

法政大学大学院の諏訪康雄教授は,厚生労働省が識者に依頼して設置し,政府の施策の方向性に強い影響力を持つ「仕事と生活の調和に関する検討会議」において座長を務める。「ワーク・ライフバランス」研究の日本における第一人者であり,昨年11月に開かれた「『仕事と生活の調和』についてのシンポジウム」においても,教会広報部の依頼を受けて教会外から参加し,パネラーを務められた。その諏訪先生に,日本社会におけるワーク・ライフバランスについて伺った。

諏訪康雄教授の専門は政策科学研究。厚生労働省の委員会でも活躍し,政府の方針や解決策に対して科学的,理論的な解明の手法を教える研究も行っている。

「ワーク・ライフバランス(という概念)は,日本の企業の中ではあまり浸透していません。企業によってもばらつきがある状態です」と諏訪教授は話し始める。少子高齢化社会へ移行しつつある現在,企業戦略として女性の活用を重視した結果,ワーク・ライフバランスを実現している企業もあるという。化粧品やファッション業界など女性社員の多い企業がさきがけとなっている。「女性に働きやすい環境というのは,実は男性にも働きやすい環境と言えます。数年前に秋田県のある企業がファミリーフレンドリーということで表彰を受けたことがあります。女性がオーナーであるこの企業は,まさにワーク・ライフバランスを実践している会社でした。無駄な仕事をやめ,時間を効率よく使い,個人の生活を考えて仕事のやり方を柔軟に捉えていました。

子供のころからわたしたちはよく学び,よく遊べと言われていましたよね。大人でもそれは必要なことなのです。目先のことだけではなく,中長期的なことを考えた仕事と生活のバランスが必要です。バランスが取れていないと,短期的に,また個人的に満足することもあるかもしれませんが,事業環境の変化に弱かったり,離職率が高くなるなど問題が出てきます。高齢化なども併せて考えますと,企業経営は難しくなるでしょう。ワーク・ライフバランスは当たり前のことなんです。仕事と生活との間に一定のバランスが取れていなければ,社会も企業も成り立たなくなってきます。

貧しかったころの日本は目先のことだけに注目してきましたが,長期的な視点がなく,それが今では限界に達してきているように感じます。ワーク・ワークアンバランスですね。ワーク・ライフバランスの考え方は,これからの日本を再設計して中長期的に持続可能な経済発展の視点を持ち,またこの国に生きていてよかったと思えるための大切な政策目標の一つだと思っています。とりわけ,雇用に関する部分では大切な政策目標です。」

ワーク・ライフバランスの意識は,発展途上国から先進国へ向かうにつれ強くなってくる。人生において仕事優先と考える人はスウェーデンで約10パーセント。日本では全体の約30パーセントだという。「この意識が後戻りすることはありません。なぜならば,ワーク・ライフバランスは究極の贅沢だからです。お金はあるけれど使う時間がないとか,何に使うべきか分からない,使ったけれどむなしい使い方をしているという人がいます。ほんとうの豊かさとは個々人の豊かさで,天から与えられた能力や適性によって,社会とかかわりつつ自己実現していくということです。単にお金だけではなく,時間を人生の中で何に振り分けていくかということが重要です。1年を時間単位で表すと8,760時間,たったこれだけしかありません。そのうちの約3分の1は睡眠時間です。残りの時間の中で,どこに行動エネルギーを注ぐかということです。世代的にも性別的にもバランスは求められていくことでしょう。」

アメリカにおける仕事のスタイル

「アメリカでは仕事を家に持ち帰る人が多いことはあまり知られていません。日本よりも持ち帰り残業が多いんです。アメリカでは終業時間になると家に帰り,家族と過ごし,そのあと書斎で仕事に取りかかる人が多くいます。恒常的にやっている人が多くなっていますので,残業をしないと思われがちなのです。実際には,会社の中の残業がないということです。アメリカでは多くの場合,時間給ではなく職務給での年俸制になっていますし,残業手当もつきませんから,会社に長くとどまる必要性がないのです。その反面,朝早くから職場に行く人も多いようです。」年間を通じて一定の成果を出せばよいとの考え方から,事情に合わせて個々人がスケジュールを調整し,子供の行事などをうまく組み込むこともできる。その代わり成果が上がらなければ減俸や解雇もあり得るので,必要とあらば仕事を持ち帰ってでも働くことは厭わない。「個人的にはなかなか健全な制度だと思っています。ここでも柔軟になることの大切さが分かると思います。」

人生のステージで変化するバランス

ノー残業デーを導入する企業が増えているが,終業時間になると会議中にもかかわらず照明を落とされたり,組合役員が回って来て帰宅を促したりする。こっそり残業するために手もとを照らすLED照明スタンドが売れているとの本末転倒な現象もあるという。「日本ではワーク・ライフバランスも画一的に一律にやろうとする傾向があります。教育啓蒙効果を狙うには良いのかもしれませんが。

しかし例えば,プロを目指す人がいたとしましょう。このような人に労働時間の制限を設けますと,もっとスキル(技術・技能)を極めたいにもかかわらずできないわけですから,結果的にプロになれないかもしれません。それは個人にとっても社会にとっても損失です。ワーク・ライフバランスは重要な基本条件ですが,世代や性別など個々人の状況に合わせて考えることは必要です。若いころはスキルを確立すべく思いっきり働き,子供が小さいときには子育てとのバランスを考慮し,さらに年配になってからは趣味やボランティアなどの生活を楽しむ。年代によってこれらの3つの輪を大きくしたり小さくしたりしながら生活するのが望ましいと思います。

要は働きたい人たちと生活を充実させたい人たちのために選択の余地を増やしていくことです。人々の気持ちの問題をうまく制度が受け止めて支援していくことですね。それぞれの状況にある人に,あなたはそれで幸せですかと問いかけながら,柔軟に多様性を認めていかなければなりません。」

幸福の3つの条件

諏訪教授は,人生に高い満足度を得るには3つの条件があると話す。それは──「1)経済的報酬,2)社会的貢献感,3)自己達成感の3つのバランスが取れた仕事が望ましいのですが,例えば医師などの職業に就ける人は限られていますし,実現は簡単ではありません。3つのうち1つだけが突出していても高い満足度は得られません。」たとえ金銭的報酬が高くても道義的に疑問のある仕事であれば心からの満足は得られない。また一部のNPO法人のように社会的意義は高く評価されていても金銭的に運営が苦しい場合もある。そうすると職業だけで3つの条件をすべて満たすのではなく,別の場所に求める生き方も考えられる。

諏訪教授が紹介するある人物は,日銀に勤め,銀行内での地位はさほど高くはないが経済的には恵まれ,そして俳人として日本文学の世界に名を残す仕事をしているという。このように満足の多様な形を認める社会が望ましく,社会的貢献感を求めてボランティア活動に携わる年輩の人々も増えてくるだろう,と諏訪教授は話す。「これからは職業で得た経験や技術を活かした質の高いボランティアが求められるでしょう。専門の技術を持った人がその分野でのボランティア活動に携われれば,かなり質の高いボランティアとして活躍することができます。ボランティアも多様化していく時代が来ていると思います。」

その点,現役時代のスキルを生かして奉仕する教会の奉仕宣教師や夫婦宣教師の制度はすばらしい,と諏訪教授は称賛する。特に,自宅で週32時間以上奉仕する夫婦宣教師のように,働く場所や時間を柔軟に選択できる制度はボランティアのあり方として優れているという。

変化してきた家族の価値観

「古い世代では家族をないがしろにする傾向にありましたが,今日の若い世代では家庭に対する価値観がずいぶんと変わってきました。子供の誕生日や記念日という理由で仕事を早く切り上げて帰宅する人が増えています。自分たちの世代では決してできませんでした。そのような傾向は強まっていくことでしょう。しかし,仕事の現場では,頭では受け入れていますが,体がついていっていないのが現状だと思います。現場ではどうしても昔ながらの方法や独自のやり方に固執しがちで,変化を嫌います。変えていくには強いリーダーシップが求められます。重要なのは,仕事と内容を見直して付加価値の低いものをなくすということです。絶えず業務内容を見直していくことです。」

「家族はかけがえのないものです。明日から自分がいなくなったとしてだれがほんとうに困るのか,心から涙を流すのかというと,それは家族だけかもしれません」と,諏訪教授は実感を込めて言い添える。生活の充実は仕事の充実に反映し,ワーク・ライフバランスの相乗効果で付加価値の高い仕事と生活を実現していくことが,ひいては日本社会が成熟を迎えるための鍵となる。「仕事に集中すればストレスがたまります。それを生活で発散していくのは大切です。同様に,生活を一生懸命やるとそれもストレスがたまります。逆にそれは仕事で発散されていきます。バランスをとることによって,仕事も生活も質が向上していくのが理想的な形なのです。」◆