リアホナ2004年6月号 “お泊まり会”の試み

“お泊まり会”の試み

千葉ステーク成田ワードのセミナリー・クラスは毎朝5時45分に始まる。生徒たちは部活の朝練に参加しなければならないので少しばかり早い時刻のスタートだ。「日本でいちばん早いセミナリーかもしれませんよ。」と教師の一人である田淵登美子姉妹は笑う。セミナリーの時間を決めるに当たっては,親も子もともに悩んだという。早朝セミナリーが難しければ,「週に 1回だけのレッスン」や「家庭学習」という選択肢も考えられるかもしれない。しかし,「最初から早朝セミナリーしか考えていませんでした。ほかの方法を考えるのでなく,どうやったらそれを実現できるかだけを考えてみんなで悩みました。」その結果が朝の 5時45分。当然のことながら起床時間はもっと早い。自然と子供たちの生活は夜型から朝型へと変化した。

『お泊まり会』 と子供たち

 ゴールデンウィークを前にして,もうー人のセミナリー教師である池田和代姉妹宅へセミナリー対象の生徒が集まり,合同のレッスンが行われた。テーマは神殿結婚。教会の標準や神殿で結婚することの大切さが語られ,意見が飛び交う。「どんな人と結婚したい?   」 教師の質問に戸惑う子供たち。 ―「じゃあ,どこで結婚したい?」 レッスン教材の写真を指さしながら「神殿」と一人が答える。純潔の大切さが何度も話題になる。

セミナリーのレッスンの後には子供たちの楽しみがある。1つはみんなで囲む夕食。もう一つは恒例になっている「お泊まり会」である。会場を提供している池田和政兄弟は「もう 8年ぐらいになります。定員会ごとに対象者を分けたり,みんなで集まって楽しい時間を過ごしています。今日はセミナリーの子供たちが対象になっています」と話す。

池田兄弟が最初に「お泊まり会」に強い関心を持ったのは,ニュージーランドに住んでいたときのことだ。青少年の責任を引き受けていた池田兄弟は,青少年の親から「子供たちが悪い方向へ走らないように,様々な活動を計画してほしい」と頼まれた。子供の信仰を育てたり,誤った価値観に染まらないようにするためにも,日曜日の活動だけでは十分ではないとの意見だった。親しい宣教師の中には「子供のころ毎週のようにお泊まり会を やっていた」 と話す人もいた。

「夕方からみんなで映画館へ行き,夕 飯を食べ,ゲームをして宿泊する。日曜日の朝は一緒に教会へ行きます。とても単純なものです。プログラムと言うのも大げさなものですよ。 」  それでも,友達と“泊まる”というだけで子供にとっては普段と違ったわくわくする時間になる。池田兄弟は「非日常的な共通体験 」をもって子供たちと接することをモットーとしている。

千葉ステークの副ステーク会長でもある田淵裕也兄弟が,子供たちを対象とする活動を行うと きには様々な意見があると思います。楽 しければ何でもよいということではありま せん」と慎重な意見を述べると, 「親が同 伴で、映画館へ行くとしても,安いという理 由だけでナイトショーへ行くのは今は控 えるようにしましたよ」と池田兄弟が反省 する一幕も。それぞれの家庭の考え方 の中で“お泊まり会'という手法にも賛否両論があることだろう。それでもここに集まった親と指導者たちには,この一つの処方箋が,揺れ動く思春期の子供たちに大切な何かを与えることができるという信念がある。

お泊まり会を通じて青少年と接してきた池田姉妹は,集まった青少年が信仰について考えながら友情を育む姿を「神友」と表現する。「大人がいなくなった後に子供たちだけでいろいろなことを話し合っています。その時間を大切にしています」と池田姉妹は話す。回を重ねるたびに参加する青少年のきずなは強くなり,青少年の年齢から卒業するときには涙を流し合う場面もあるという。

なぜ,今『お泊まり会』なのか

長男がお泊まり会に参加することが多くの面で助けとなった,  と言う岩橋芳夫兄弟は,お泊まり会について次のように評価している。「日曜日の 3時間に教会へ出席するだけでは,青少年にとって表面的なつながりしか持てないように感じます。彼らに必要なのは同じ信仰を共にする仲間です。学校の仲間と教会の仲間には違いがあります。それを彼ら自身も感じています。学校の友達の方が一緒に過ごす時聞が多く,その影響力も大きくなります。同じように教会の友達が互いに良い影響力を持てるような関係を築ければすばらしいことです。わたしたち夫婦にとって,青少年のお泊まり会はとても魅力を感じる活動になっています。」

過去に数回,成田ワードのお泊まり会に親子で参加している竹馬庸裕兄弟は,その活動をつぶさに観察し,子供たちに及ぼす影響について感銘を受けたと話す。実は竹馬兄弟は長崎地方部長崎支部の若い男性会長で,臨床心理学を医療に導入している医師でもある。青少年の子供を持った親の集会へ講師として招かれたのが契機となり,成田ワードの会員と交流が始まったいきさつがある。

「野草にはものすごい生命力がありますが,切り取られるとまったく力がありません。一生懸命,光を当てでもあまり効果がなく,やはり大地にしっかりとつながっていなければ力が出ない。わたしたちは時として,切り取られた野草がまだ大地につながっていると思い込み,それに光を当てていることがあります。それでは子供たちは,親や指導者に愛され受 け入れられている,という実感を持てな くなります。子供たちを根無し草にしな いよう,様々な方向からサポートしてくれ る力が必要です。ここに集まる御両親からは,子供たちを大地にしっかりつなご うとする力を感じます。」

 池田兄弟は子供たちの悩みに耳を傾 けているうちに危機感を強くしたのだと いう。「ある子供は自分の悩みがあった ときに,親には話しません。教会の指導 者にも相談しません。もし,教会の友達 との関係がなければ学校の友達に相談 します。しかし,学校の友達の多くは異 なった標準に基づいてアドバイスをすることがあります。純潔に関することでも違 った価値観を持っているでしょう。飲酒や喫煙についても価値観が異なるかもし れません。青少年は親が知らないうちに 様々な影響を受けるにようになります。標 準が違うのですから当然のことです。」

池田姉妹も青少年に対して同じ危機感を持っている。「子供は家族よりも学校 の友人といる時間の方が長いんです。 その中で白分の標準を守るのは大変な ことです。どこかで自分と同じ価値観の 人を見つける必要があります。日曜日の夜に青少年を対象としたファイヤサイドを行えば,霊的な部分を補うこともできます。日曜日に会い,日曜日の夜にも会い,週日にも会い,お泊まり会でも会いというように,少しでも多くの機会を提供することは大切です。回数は重要だと思います。信仰を共にする仲間と時間をどれだけ過ごすかということが大切になってきます。」

岩橋理津子姉妹は今の青少年を見て「教義的なことへの感動がない」と 表現する。「何不自由なく育ってきている ので,価値観が違うのかもしれません。 子供同士で一緒に友情を育て,教義を 話し合い,生き方について話し合える場 所が必要でしょう。考えてみれば,わた したち親の世代も独身のときに,教会員 の友人の家に泊まる活動を通じて信仰 を育て,助け合ってきたわけですから。」

田淵兄弟姉妹は子供の学校の友達を招いたお泊まり会も行っている。「教会員ではない友達を泊まらせることもあります。そのときには教会の話をします。家庭の夕べのレッスンのようなものです。必ず霊的な話をして,わたしたち家族の標準を伝えます。子供たちの中には,涙を流しながら聞く純粋な子供もいます。子供には親の愛情や周りの理解者が必要なんです。」そのお泊まり会は学校の友達に大きな影響を与えたと田淵兄弟は話す。「中学生になると隠れてたばこを吸うような生徒もいます。そのようなときに,普段は親しいにもかかわらず,我が家の子供たちは誘われることがありません。子供自身の口から知恵の言葉を友達に紹介するのは時に難しいかもしれませんが,すでに親から話を聞いて標準を理解していますので誘われることがありません。親しい仲間ですが,そのときだけは外されるんです。」

田淵家の子供は,悩みごとを父親には相談せずに池田兄弟に相談していた時期があったという。「中にはそのような状況にショックを受ける人がいるかもしれません」と田淵兄弟は予想する。「しかし,わたし個人としては非常に助かったと感謝しました。自分では賄えなかった部分を教会員のサポートによってカバーできたわけですから。そのようなことを助かったと感じる人もいれば,親のプライドが傷つけられたと感じる人もいることでしょう。しかし大切なのは,子供が悩んだときに相談すべき相手が教会の中に何人もいるということです。」「自分の子供が指導者に相談してくれれば,親のほかにも相談できる相手がいるのだとわたしはむしろほっとします。」 池田兄弟自身も同じように考えている。

岩橋兄弟は「自分の親に言いたくないことの方がむしろ多いのではないでしょうか」と青少年の心境を代弁する。「青少 年のときに自分のほんとうの気持ちを話 す機会がなかったという人がいます。そ うした感情を表現する場を与えてあげる のは大切なことです。青少年の子供たちが,もしお泊まり会のような活動でそ れを表現することができるのならば,そ れだけでも青少年の精神面の負担は軽 くなり良い影響があると思います。」竹馬兄弟は自分の子供の表情や態度を見てそれを実感するという。

「お泊まり会では,特に何かを教えることもなく,リラックスしてもらっています。よほどの間違いがなければ指摘することもありません。何か教えようと思ったらこのようなお泊まり会は長続きしなかったと思います」と池田姉妹は言う。子供が本来の自分でいられる場所,価値観を同じくする仲間と一緒にいて安心できる場所があることは子供の情緒を安定させる。親とろくに会話もしなかった子が,お泊まり会に参加して明るくなったり,話すようになったりした例もあるという。「お泊まり会には,子供が素直に親と向き合えるように,子供が普段感じているストレスのガス抜きをする場としての役割もあります。」

親同士の話

岩橋姉妹にとっては「親同士の交流も必要」であり価値あるものだった。「青少 年だけの交流に限らず,同じ年 代の子供を持つ親同士が交 流すれば,共有できるものや,もっと新しい発見があると思います。」「互いに共通の悩みを話し合っ たり,良い経験を 交換し合うのは 大切なことで す」と岩橋姉妹 は言う。

たとえばこんな具合。「子供が望んでいることと親が行っていることがすれ違っていることもあります。それを理解するためにも,一人一人のわが子と話し合う時聞を持つことが大切です」と田淵姉妹が話すと,それを地でいく経験をした,と竹馬兄弟が応じる。「以前,息子はわたしと共通の趣味がないと言っていました 。  でも,わたしは息子と一緒にカヌーをすることが夢であり,目標でした。それを実現するために努力したのですが,いざ,カヌーをやる段階になると子供はそんなことには興味がないと言うのです。息子がやりたいことは,実はカヌーではなく歌を歌うことだったんです。向かい合って話し合って初めて分かりました。そこでわたしがギターで息子の好きな歌を弾いてやったら喜んで歌うんです。その瞬間,今まで、自分は何をしていたんだろうと思いました。息子が望んでいることでできることはたくさんあったのに,親として自分がしたいことを勝手に強要していたのだと知りました。」     思春期の子供の心の声を聞くこと,親と子が心の底から話し合える環境を整えるのは簡単なことではない,と池田姉妹もうなずく。

こんな話も出る。

親として大切に思っている純潔の律法について子供に正しく伝えたいが,それは親子間でいちばん話題にしにくいことでもある。田淵ご夫妻が取った方法は,正面から自分たちで厳粛に伝えることだ った。「子供と向かい合って,『 まじめな話がある。二度は言わないから心して聞きなさい』と切り出しました。そんな厳粛な態度が必要なときもあります。親が真剣になれば子供は必ず耳を傾けてくれます。『あなたのことが大切だから』という気持ちが伝われば大丈夫です。

(性道徳、は)大切なことですから,親が伝えるべきですね。本来は家庭ですべきですが,その大事な部分を青少年の指導者や監督などに任せて,ほかの人が伝えてもかまわないことを自分たちでやろうとしていることもあるのではないでしょうか。性教育の話を終えて子供に『質問は?』と尋ねたら『アンコール J と言われました(笑)。』  言いにくいことを真っ正面から伝えることで,かえって子供との信頼関係が強まったという。……子育ての様々な局面で親が気づいたこと,考えさせられたこと。親たちの話題はこちらからあちらへと際限なく続いていく。

今回のお泊まり会に親子で参加した 竹馬兄弟は次のように結んだ。「今は善を行うのが難しい時代です。子供たち には危機感を持っています。しかし,親 ができる限りのことを行えば神様は何か してくださると思います。あきらめないこ とが大切です。わたしたちが時に犯す間違いの一つは,青少年のときの態度だ けでその子供の価値を測ってしまうこと です。子育ての結果は死ぬまで分かりま せん。心の底から子供と何でも話し合え るようになるまで,できる限りのことは全 部すべきです。そうしなければ子供も親 もほんとうの成長はありませんから。」