自立の原則その9:粘り強さ

自立の原則その9:粘り強さ

ベニヤミン王について考えるとき、王の有名な説教を思い起こすでしょう。王は福音の要点を美しくまとめ、イエス・キリストの使命と、主の弟子としてのわたしたちの義務を語りました。しかし忘れがちなのが、ベニヤミン王の若い頃の功績です。彼が王国を受け継いだとき、王国は論争と分裂が広まっていました。キリストの旗の下に人々を集めるには、多くの労力と粘り強さが求められました。モルモンはこのように記しています。


ベニヤミン王は……自分の体力の限りを尽つくし、能力の限りを尽くして働くことによって……国内にもう一度平和を確立したのであった。

モルモンの言葉1:18

しかし粘り強さはある人にとって習得が難しいのに、他の人にとって習慣のように思われるのはなぜでしょうか。

人によって粘り強くあることがより困難であるのにはたくさんの理由があります。リソースが十分になかったり、家族やグループのサポートに欠けていたり、あるいは他の事情により習得が難しいことがあります。「Promoting Grit, Tenacity, and Perseverance—Critical Factors for Success in the 21st Century」と題された教育者向けの研究の中で、米国教育省は粘り強さを培う重要な要素を特定しています。

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それは、すべての事物には反対のものがなければならないからである。……もし事物に反対のものがなければ、義は生じ得ないし、邪悪も、聖さも惨めな状態も、善も悪も生じ得ない。そうすると、すべての事物は混じり合って一つとならざるを得ない。したがって、事物が一体となるならば、生も死も、朽ちる状態も朽ちない状態もなく、幸不幸も、意識も無意識もなく、死んだ状態で続かなければならない。

2ニーファイ 2:11

時折わたしたちは、上流に向かって泳ぐサケのように感じるとこがあります。やる気を削ぐようなことかもしれません。そして努力をやめてしまえば、流れに押し飲まれてしまいます。しかし、トーマス・S・モンソン大管長は次のように言いました。


神の最大の賜物の一つは、もう一度やってみることの喜びです。失敗をしたらそれでもう終わりということではないのです。

トーマス・S・モンソン 「秘められた思い」 『聖徒の道』 1987年7月号、74

失敗から立ち直るには、自分自身に正直になる必要があります。こう自問しなければなりません。「自分は何を誤ったのだろうか」と。それはどれだけ不公平に扱われたと感じても、あるいはどれだけ自分のコントロールできる範囲を超えた状況であった感じたとしてもです。克己心を培い自分自身に報告責任を持つときに、過ちから立ち直ることができます。

また、わたしたちが全体像を見るようになることで粘り強さが育まれます。サケが流れに逆らって川を上り続けるのは、その先に安全に放卵できる場所があることを知っているためです。この地上で成長するというわたしたちの望みもそれと同じように強いものであるはずです。それはわたしたちが、逆流や挫折の終わりに天のお父様が温かく迎え入れてくださることを知っているからです。天のお父様はわたしたちを慰め導くために聖霊を与えられました。これらのスキルを養えるように祈り、行動計画に従うときに、神様はより神様のようになろうとするわたしたちの努力を祝福してくださるでしょう。


皆さんが自分の本分を果たそうとすれば,主が皆さんの努力に力を添えてくださることを,皆さんが理解できるように助けたいと,わたしは願っています。

ヘンリー・B・アイリング 「あなたは主の業の中で一人ではない」 『リアホナ』 2015年11月号