リアホナ 2005年6月号 末日聖徒であるビジネスの先達に助けられた今,後進に道を備える

末日聖徒であるビジネスの先達に助けられた今,後進に道を備える

東京近郊に住む教会員を中心に活動しているBYUマネージメント・ソサエティー。そこには年齢に関係なく,家庭とビジネス,そして福音とのバランスを取りながら社会で活躍したいとの希望を持つ教会員が集っている。若い教会員からの質問に,経験豊かな教会員からのアドバイスもあり,様々な意見が交換される。会長からの推薦を受け,マネージメントソサエティーの中では書記の責任を受けている八木大造兄弟にお話を伺った。

八木兄弟が改宗したのは17才のとき。小学校から高校まで一緒だった教会員の友人を通じて改宗した。

就職した八木兄弟は,様々な面で会社から優遇された。社内教育の制度を利用し教育費用を会社が払い,全寮制にもかかわらず社長の配慮によって住宅手当まで付けてもらっていた。当時を振り返る八木兄弟は「会社に恩を受けながら働いた」と振り返る。そのような環境の中で伝道へ行く決心をすることはとても難しいことだった。「伝道への熱意はありましたが,福音を伝える宣教師になるのに失礼なことはできない」と八木兄弟は悩んでいた。「支援してくださった方々を落胆させ,怒らせてしまったと思います。どのような教会なのか心配し,社長も役員も相談に乗ってくれました。」そのような中で,八木兄弟を間接的に助けてくれた存在があった。それは,社長のかつての部下で,グループ内の本社で課長として働く人物だった。八木兄弟の集う教会の名前と彼が集う教会の名前が同じだと気づき,その人物に教会について尋ねたのだった。「とても優秀な人で,職場でも尊敬されていましたし,社長からも信頼されていました。同じ教会の宣教師になるということで安心し,帰還後は再び会社に戻れるように約束してくれました。両親が心配するというので,わざわざ両親の所まで会社の役員が訪問し,心配はいらないと話してくれました。」そのときの経験を「社員総数が約20万人近いグループの中で模範を示している教会員がいて,その人の影響のおかげで理解を得られたというのは不思議なことです」と語る。

その後伝道から戻り,再び勤務した。上司が変わり,社長が代わり,将来の仕事を考える時期にさしかかったころ,区切りをつけて辞職することにした。その経験を思い起こすと「これからわたしも恩をお返ししたいと思っています」と話す。

八木兄弟は何度も「35才で生き方を変えると決めていました」と目を輝かす。現在務める会社への転職を機に,すべてを変えようと決心した。「通勤時間から仕事から,すべてを変える決心をしました。また,一緒に働くならば自分が選ばれるのではなく,自分から一緒に働きたい上司を選ぼうと思いました。」

不思議なことに,新しい職場でも間接的に八木兄弟は助けられているらしい。

「自分が入社した月に執行役員になられた方がいるのですが,その方が教会員であると知らされました。自分にとっては雲の上のような存在で,会社の数字まで細かく分かって,会社の知恵袋のような存在の方です。」

周囲の人は彼が教会員であることを知っているし,八木兄弟が教会員であることも知っている。「今まで,直接的,間接的に模範となる教会員の方々に救われてきましたし,生かされてきたと実感しています。はたして,自分はそのように行っているのだろうかと反省してしまいます。」

八木兄弟は仕事で会う人たちに次のように話す。「自分は教会員ですが,自分をほんとうの教会員と思わないでください。ほんとうの教会員はもっと立派な人たちです。」仕事仲間からは「八木さんはくだけていますね」と言われることもあるらしいが,「そこで誉められてもな……」と恥ずかしそうに苦笑する。

すばらしい目標となる教会員がいるので,最近では周囲に「もうちょっと良い教会員になります」と話しているという。そんな八木兄弟が他の社員や仕事仲間の話に熱心に耳を傾けながらアドバイスをすると,「やっぱり八木さんは宣教師だったんだね」と言われることもある,と笑う。

八木兄弟が仕事のうえで,教会員であるとオープンにすることは多くの祝福をもたらしてきた。教会の名札を着けていた宣教師時代のように,周囲に「末日聖徒」として見られているからこそ,ヒンクレー大管長の勧告する「もう一歩,良い人になる」よう自然と努力することができる。そしてかつて自分が恩恵を受けたように,自分への評価が後進の教会員の若人を助けられるような存在になることで,「恩返し」をしたいと願っているのである。◆