リアホナ 2005年 2月号 新潟発~台風・水害・震災を越えて

新潟発~台風・水害・震災を越えて

新潟地方部/ 佐渡支部/ 三条支部/ 長岡支部

かつて東京-新潟間を結ぶ幹線道路だった国道17号線。新潟県の教会員が完成間もない東京神殿に通ったこの道路を走ってみた。震源に近づくにつれ,道路に引かれたラインが微妙に波打ち,路面の起伏が大きくなる。頻繁に現れる真新しい舗装の跡。いくつかの交差点で東方向に入る道路が軒並みパトカーで封鎖されている。標識で確かめるとその先は,土砂崩れダムにより全村立ち入り禁止となっている山古志村だ。小千谷市内に入ると,崖崩れの現場を迂回する急カーブや積み上げられた大量の土嚢,土手の下に崩れた路肩,波打つガードレール,大きく傾いた道路標識がいたるところで目に付くようになる。だが,いずれも人の手が加わり,社会基盤の復興はゆっくりとではあるが確実に進んでいるようだ。

2004年は新潟地方部の会員にとって文字どおり試練の年となった。7 月の水害では三条支部,1 0月の新潟県中越地震では長岡支部,そして一般にはあまり知られていないが,度重なる台風により佐渡支部の会員が被災した。

保険を備える

地方部内で最も大きな被害を受けたのは佐渡支部の会員だったという。台風の強い風により海水が飛散し農作物に深刻な被害を与える塩害が発生,佐渡で半農半漁の生活を営む濱田家族の柿の収量は例年の10分の1に落ち込み,米はほぼ全滅した。さらに高波の影響で漁に使う船が損傷し,係留中に沈没した。「操業中に沈まなかったのは不幸中の幸いです」と濱田忠男兄弟は語る。「泳ぎに自信があっても何キロも沖から泳いだりはできませんので。」その後,友人の紹介もあり,沈没したレジャー用ボートに代えて,GPSや発電機,「使ったこともない装備」付きの本格的な漁船を安く譲ってもらうことになった。

農業を任されている妻の久美子姉妹は「保険に助けられました」と語る。ほとんど全滅に近い大きな被害があったにもかかわらず,経済的な打撃はそれほどでもなかったことに胸をなで下ろしている。「共済に入っていたおかげで,何とか収支はトントンにできそうです。隣の家の屋根が飛んできてわが家の屋根を壊したのですが,それも保険で修繕できました。」保険を利用することも災害・非常時へのきわめて有効な備えとなるようだ。濱田兄弟はこう振り返る。「ここまで続くと自分の信仰や行いは充分じゃなかったのかな,とも感じました。もう一度新たな気持ちで戒めや信仰を吟味し見直すことができました。」

情報を備える

7月13日午後に発生した三条の水害では土田富志明支部長自身,2年前に購入したばかりの軽自動車が水没し使用不能になった。三条支部では活発会員の4分の1の家が床上もしくは床下浸水の被害に遭う。川の決壊から1時間弱でまず電話回線がダウン,1時間半後には携帯電話も通じなくなる。平日のお昼過ぎに発生した災害ということもあり,各々異なった場所にいる家族同士で2日から3日連絡が取れず,だれがどこに避難しているかわからないケースもあった。

一方,新潟県中越地震が発生した10月23日夕方,長岡支部の小林強支部長は出先から急いで帰宅し家族を探した。指定避難場所である最寄りの中学校は土砂崩れの危険があるということで避難所として使われておらず,だれもいない。結局,別の避難所であった小学校で家族と合流した。「家族で実際に避難場所を見ておくとよいでしょう。地震,火災,水害など災害別に避難する場所を決めておくことも有効です。」

土田支部長,小林支部長ともに,災害直後の情報網の混乱が次の一手の遅れにつながると口をそろえる。情報を得,連絡する手段が確保できないことを前提にして家族の安全を確保,確認する手段や方法を日頃から考えておく必要がありそうだ。行政や電話会社,放送局などが提供する安否確認方法についても知っておく必要がある。

被災への備え,復興への備え

今回の震災や水害で新潟地方部の危機管理への取り組みも本格化している。「わたしたちは運用プロセスを問われています。」近藤成吉地方部長は備えの質を向上させることが必要だと指摘する。「連絡網や地方部としての備蓄,緊急時の備えをどう整えるかだけでなく,実際に運用し使ってみる訓練をしなければなりません。保存期間の長さだけに注目するのではなく,日持ちのよいものを実際に食べてみて備蓄と消費を繰り返すといったプロセスが求められています。」昨年の災害時に新潟地方部では,カセットコンロなど必要とされるものを必要なタイミングで必要なところへ援助する,貴重な「実際の運用」を経験した。

両支部長はまた,「水を含め,日常生活で使うものすべての3日分の貯蔵(72時間キット)があれば何とか切り抜けることができます」と強調した。被災時には貯蔵自体に被害が及ぶことも予想される。火災,震災,水害,あらゆる災害を想定したうえでの「安全な場所」に物資を蓄えることも必要だ。

一方,被害は被災初期の目に見えるものばかりではない。地震や水害が地域経済に与えた打撃は計り知れない。本震後,車の中で家族とともに1週間過ごした長岡支部の野崎寛志兄弟は「むしろこれからが大変」という。野崎兄弟が20年間勤める精密機器メーカーの工場が地震で大きな被害を受け,操業ができない状態に陥っている。「今は自宅待機で給料も出ますが,場合によっては新しい仕事を見つけなければならなくなるかもしれません。じわじわ来る鈍い余震です。」一方で野崎兄弟は今回の災害を,人生を振り返り生き方をリセットする良い機会,としてとらえて

いる。「働いて家族を養ってはいましたが,自分は一体何をしていたのだろうかと思いました。自分の能力や才能を伸ばすことも備えの一部であると感じています。」

霊的な備え

新潟大学大学院医歯学総合研究科助教授で医学博士の斎藤亮彦兄弟は地方部評議員として震災直後の現地に入った。健康に不安を覚える教会員もいるので医師としてのアドバイスができるように,との地方部の配慮だった。「ある会員を探すため避難所に行ったところ,ちょうど医療スタッフが不足していると言われ,診療ボランティアに参加しました」と斉藤兄弟。「家具が倒れかかってきて怪我をした人が多かったようです。テレビがふっ飛んできたという人もいました。家具は壁に打ちつけて固定しておくことをお勧めします。」いつまでも収まらない大きな余震で心理面の不調を訴える人も多かったという。「夜になると不安で,家は壊れていないけれども,寝ている間に何かあると怖いということで避難所に行く人が結構いました。」

普通なら大きな被害をもたらす震度6や5クラスの余震が続いた長岡と,被害を出すほどではないにしてもその余波に見舞われた三条。本震後の1か月以上に渡る余震は人々にかなりの精神的なダメージを与えた。「これにより会員の目が開かれました。(主の警告が)より現実として感じられるようになりました。」土田支部長は水害の何日か前,バケツの水をひっくり返したような雨が降ったときにも,水害が起こるとは思わなかったことを引き合いに出して語った。「わたしたちは神様に従うしかないということを理解しました。与えられていることを忠実に行わなければなりません。」家庭の夕べや祈りを通して育まれる霊的な備えも重要だと土田支部長は付け加える。

物質的にはまださほど困窮していなくとも,電気・水道・ガスなどのライフラインが断たれるだけで人は大きな心理的不安に襲われる。被災の恐怖から心的外傷後ストレス障害を発症する場合もる。それでなくとも,失ったものから立ち直るには大きな心の力が要る。

「わたしは平安をあなたがたに残していく。……わたしが与えるのは,世が与えるようなものとは異なる。あなたがたは心を騒がせるな,またおじけるな。」(ヨハネ14:27)──人知では計り知ることのできない主の平安,これよりも大きな備えはない。

災害復旧の奉仕を通して長らくお休みしていた会員が再び教会に足を運ぶようになった。主の深い御心を感じた姉妹もいる。三条の市営住宅に住むその姉妹は4階から1階に移りたいとの希望を持っていた。10年待って4階から2階へ移ることになったが,やがて大水は1階を飲み尽くした。希望が通っていれば全財産をなくしていた。望みがかなえられないことも自分を守ってくださる主の深い御心だと感じた。

災害は時に大きな犠牲と悲しみをもたらす。しかしそれは,教会員にとっては大いなる学びの場でもある。「神様がなさることには必ず意味があるはず。その意味を考えるようにしています」そう語る野崎兄弟は被災をも前向きに捉えているのである。◆