リアホナ 2005年6月号 教会を開こう

教会を開こう

映画『レガシー』の冒頭で,こんなスーパーインポーズが流れます。「幸いなことに当時のような争いや不和は今日には見られない」……2005年の今年,教会は預言者ジョセフ・スミスの生誕200年,教会が組織されて175周年,ブリガム・ヤング大学創設130周年を迎え,日本の教会に最初の宣教師が上陸してから104年の時を経ました。「幸いなことに」,自らを教会員であると抵抗なくオープンに,隣人や地域社会に伝えられる祝福された時代がそこまで来ている──そんな手触りを伝える様々な事例をご紹介します。 

4月22日(金)と5月16日(月)に,東京神殿別館と管理本部会議室においてビジネスマンを対象とした教会広報部主催の昼食会が開催された。この「ビジネス昼食会」と称された集会は,教会員ではない一般のビジネスマンを対象に,昼食を交えての小規模の講演会を開催していくものだ。出席を申し込んだ参加者のほとんどは,過去に教会の広報活動を通じて広報部スタッフと知り合った,マスコミ関係者とIT業界のビジネスマンだった。中には教会に足を運ぶのが初めてという人もいる。すでに広報関係者と交流のある人々が「宣教師のようになって」それらの人々を招待してくれたのだという。

話者として招かれた教会員は,約30分間で,携わっているビジネス内容とその背景や理論,ワーク・ライフ・バランス(仕事と生活の調和)について紹介する。

第1回目の話者として招待されたマシュー・J・ウィルソン兄弟は,フロリダ州とニュージャージー州での弁護士としての経験や,現在,副学長を務めるテンプル大学ジャパンの紹介を基軸に,幼いころから法律の仕事を目指したこと,宣教師として日本で働いたこと,家族の時間を優先する理念を持ち続けてきたことについて参加者に語りかけた。「わたしはかつて日曜日の夜中に飛行機で出かけ,翌週も働き続け,休みを取ることもなく土曜日もオフィスで過ごすことがありました。しかしあるとき,一つのことに気づきました。土曜日に一人でオフィスで働き続けた結果,だれがそれを覚えてくれているのかということです。だれもそのことを覚えている人はいないと感じました。もし,土曜日に家族と時間を過ごすならば,だれがそのことを覚えていてくれるでしょうか。もちろん子供や家族の心の中にはそのことが確かに刻まれていくことでしょう。少し無理をしなければならないかもしれませんが,家族と過ごす時間を確保することを優先させることは人生の中で重要なことです。」ウィルソン兄弟は家族とのエピソードをいくつも紹介しながら,いかに家族と過ごす時間が仕事に影響するかについて強調した。

メディアの取材も受ける中,ウィルソン兄弟は自分の信仰と仕事が密接に関係していることを説明した。参加した20人のビジネスマンの中からも「家庭を優先させる価値観をもってビジネスに取り組むことは考えたことがなかった」,「普通のセミナーでは話されることのないようなテーマで感動した」という声が多く寄せられた。

第2回の話者には,L・タッド・バッジ兄弟が招かれた。自身が頭取兼CEO(最高経営責任者)を務め,大胆な改革で銀行業界から注目を集めている東京スター銀行の企業理念を紹介し,銀行トップとして今日,リーダーシップを発揮する基となっているのは専任宣教師として伝道する中で学んだ経験である,と話す。「マネージャーは物を管理しますが,リーダーは人をリードします。リーダーとは,人に影響力を発揮してその能力を最大限に引き出すことのできる人です。わたしの場合は,家庭における両親と,フットボールのコーチに最も影響を受けました。」

その場に参加したあるIT関連企業の専務はこう感想を述べた。「ビジネス昼食会で話されるアメリカ人のエグゼクティブの方々は,日本人のエグゼクティブと比較しても,話し方さえまったく違います。親しみのある表情,導くように語る姿,明瞭な言葉遣いなど,すばらしい家庭で育ったことを想像させてくれます。また,それこそがうわべだけではなく,内側が磨かれている証拠だと思いました。紹介しているビジネス的な内容だけではなく,実福音に根ざしたビジネス哲学が日本のビジネスマンにインパクトを与える際に行っている奉仕活動や,家族と時間を過ごしていることを誇りに思っている態度など,日本人のエグゼクティブからはなかなか聞かれることのない話です。ビジネスのベースに家族の大切さがあることは,言葉では言えますが,実際には家族を犠牲にしている人は多い。家族との時間を確保することを仕事以上に大切に実践しているエグゼクティブは日本ではほとんどいないように思いました。」

ランチタイムに交流会を開催することに対して,地域広報ディレクターのステレット長老は次のように話す。「仕事が終わった時間帯と違い,昼食を挟んだ時間帯に参加できるのは,社内においてもそれなりに自由に行動することが許されていたり,影響力があったりする立場の人々に限られます。そのような人々に,教会に豊かな人材があふれていることを知っていただきたいと思います。」◆