リアホナ 2005年 2月号 夫婦の履歴書 第9回 幸せな人生を分かち合う,夫婦伝道の日々

夫婦の履歴書 第9回 幸せな人生を分かち合う,夫婦伝道の日々

札幌伝道部夫婦宣教師──安田琢三・道子ご夫妻

旭川に住む安田琢三長老と妻の道子姉妹は4男2女の6人の子供に恵まれている。次男の直樹兄弟,三男の正彦兄弟,四男の義人兄弟,長女のまどか姉妹の4人はすでに伝道を終え,それぞれの家庭を築いている。末娘である二女のはるか姉妹は現在,専任宣教師として広島伝道部で働いている。

「夫婦で伝道へ行くことは難しいと思っていました。子供たちを伝道へ出すことは考えていましたが。」安田姉妹は家族の懐かしい写真を見ながら話す。「長男の基が幼児自閉症という障害を持っていたので,わたしたちは家を空けることはできないと思っていたんです。」

小さいころの基兄弟は自閉症に伴う多動性からじっとしていられなかった。「いつどこへ行ってしまうか分からなかったんです。ちょっと目を離すと家からもいなくなってしまいますし,教会からもいなくなったことがあります。電車に乗って遠くへ行ってしまったり,保護されて警察から連絡が入ることもありました。」当時,お母さんの道子姉妹は心の休まる暇がなかったという。

基兄弟は17歳のころから,富良野にある知的障害者の施設で生活している。月に1度は父母会などで施設へ赴く必要があり,また,まとまった休みには帰宅する基兄弟のことを思うと,伝道地への赴任は無理だと考えていた。その代わり,定期的に東京神殿へ参入し,長期滞在奉仕者として数週間の奉仕活動を行ってきた。「それしか方法はないと思っていたんです」と安田長老は回想する。

ところが──「良い方法がありますよ。」一昨年の秋に開催されたステーク大会で菊地良彦長老が安田ご夫妻に声をかける。それが,自宅で生活しながら地元で専任夫婦宣教師として働くという現在の召しだった。「アメリカやカナダでは以前からこのような形はあったようですが,日本ではわたしたち夫婦が二組目と聞きました。」菊地長老からの提案は二人にとって朗報だった。しかし……「もう少し早く知っていればと思いました。できれば60代の前半に伝道していたかった,70代になるとけっこう疲れるんですよ」と安田長老。そして「わたしは賞味期限の切れた宣教師ですから」と笑う。

熟知した地元との繋がりを生かして

宣教師としての安田夫妻の一日はまさに地元のワードの活動に密着している。「朝は夫婦一緒に聖典の勉強をします。毎日10時ごろに出かけて会員宅を訪問します。昼食は一度家に帰り,午後から夕方まで再び訪問を続けます。また,姉妹宣教師を車に乗せて求道者の家まで送迎もします。夫婦だと女性宅にも訪問しやすいので,家庭訪問をする場合も

いつも一緒に行動します。夜に訪問することはほとんどありません。夕方以降は自宅に求道者や新会員を招いて家庭の夕べをしたり,一緒に食事をしたりしています。家族歴史作成のお手伝いもしますし,ホームティーチングは毎月40から50件を行います。1週間に32時間以上伝道することになっていますけれど,わたしたちは平均45時間ぐらい伝道しています。旭川の市内や近郊を中心に活動します。要請があれば遠方に足を伸ばすこともあり,もちろん,若い宣教師たちと一緒に宣教師大会にも出席します。いちばん助かるのは,長男が夏休みやゴールデンウィークに帰ってくるときには,わたしたち夫婦もお休みをいただけるということです。」

安田夫妻が宣教師に召されたのは昨年の3月。任期は1年間。「各地には地元に住むわたしたちみたいな夫婦宣教師が必要だと思います。顔見知りや友人も多く,できることもたくさんあります。このような形で伝道できる人は潜在的に多いでしょう。また,夫婦宣教師として働くようになってから,若い宣教師への援助はとても大事だと分かりました。宣教師たちとの関係も築かれてきましたので,夫婦宣教師としての活動が終わっても,宣教師を支えることは続けていきたいと思うようになりました」と安田長老は夫婦宣教師の必要性を説く。安田姉妹も「2年したら宣教師は帰ってしまいますが,あなたたちみたいな宣教師はずっとここにいますからと多くの人に言われますし,励まされることがあります」と言う。

「長男がいたからこそ,思いもよらぬ方法で宣教師になることができました。わたしたちは若いころに改宗し,ずっと旭川で教会に集っています。ここで改宗した人たち,今は教会へ出席していない人たち……多くの方のことをよく知っています。ですから,ここで働くことによって,わたしたちの良さも発揮できているんです。これは長男を通じて得た祝福です。また,ほかの子供たちは結婚して出て行ってしまいますけれど,長男だけはいつまでも親元にいますから,そのこともわたしたち夫婦には大きな祝福ですよ」と安田姉妹は述懐する。

福音とともにある,幸せな人生

旭川に生まれ育った安田長老は「旭川が終の棲家になる」と話す。「市外に住んだのは東京の早稲田大学に通っていたときだけです。それでも,春,夏,冬の休みには旭川へ戻って家業の手伝いをしていました。」24歳のときに改宗した安田長老。旭川の商業高校で教鞭を執っていた人生経験から,青少年や若人に対する思いも強い。「JMTCでの1週間はすばらしい経験でした。福音をしっかりと勉強し,学ぶことがこんなに楽しいものかと自分でも驚くほどでした。一緒に学んでいた若い宣教師たちの熱気や帰還宣教師からの熱心な指導によって,福音の持つ真理の尊さにわたしたち夫婦の心が共振したのではないかと思います。こんなにまじめに勉強している若い人がいるんだなと感心しました。若い人たちの犯罪や不道徳が報道されることが多いのですが,JMTCで学ぶ若い人たちと接したとき,教会の次世代を担う彼らの態度や活躍ぶりに胸をなで下ろすような気持ちになりました。」

安田姉妹も青少年の時に改宗している。「1954年に二人の宣教師が我が家を訪問して,母に初めて神様についての話をしました。当時13歳だったわたしは11歳の妹と一緒に日曜学校へ出席し,旭川支部へ集うようになりました。日本的な畳敷きの二間の部屋を礼拝堂として使用していた当時の教会は,初めて出席したわたしたちには物珍しく見えました。二人の宣教師はとても優しく,いつも正座していたのが印象的で,紳士そのものでした。3年近く教会へ通い,地方部大会が札幌で開かれたときにアンドラス伝道部長の力強い話を聞き,とても感動したのを覚えています。わたしも救いの道に入りたいと願い,やっとそのころから求道者として扱われるようになりました。」

宣教師からレッスンを受けた安田姉妹は,両親の許可を得て1957年にバプテスマを受けた。「そのときの聖い水をくぐった感動は忘れられません。人はみな神の子として生まれ,大切な使命を一人一人が持っていると知り,信仰に目覚めた思いでした。当時,両親は雑貨店を営んでおり,わたしは学校が終われば手伝いをするのが日課でした。店の手伝い,家の食事の手伝いと多忙でしたが,両親は教会へ行くことには協力的でしたので安息日には妹と教会へ通いました。わたしも妹も多感な思春期に主の言葉に支えられ,多くの方々の助けを受けたことはとても幸せなことでした。」

淡々と語りながら,安田ご夫妻の会話の中には何度も「幸せ」と「感謝」の言葉が繰り返される。長い人生の照る日も降る日もすべてを含めた上で,「幸せ」と捉える強さがそこにある。そして,安田姉妹の幸せな話は続く。──「改宗してから10年後に父親が改宗しました。母親は父が亡くなってから改宗しました。母親が改宗したのは,初めて宣教師の訪問を受けてから32年目のことでした。その後,母と一緒に神殿へ参入することになりましたが,とても幸せな経験でした。」

安田夫妻は子供たちが宣教師になる決心をしたときも幸せな気持ちで満たされたと話す。「わたしたちは子供たちが伝道へ行くことを願っていましたが,強制したことはありませんでした。言わないでも行ってくれたらいいと思っていました。子供たちが親元から離れたときに,教会との関係が重要になってくると思います。わたしたちの子供たちは家を離れても,集っている教会の方々の良い影響を受けて伝道へ行く気持ちを強めていきました。すんなりいく子供もいれば,そこに到達するまでに葛藤がある子供もいます。」様々な人生経験に裏打ちされた安田ご夫妻の信仰と希望は,目先の状況の善し悪しに動じることはない。

幸せを分かち合いながら

宣教師としての生活を振り返って安田姉妹は次のように話す。「わたしたちは若い宣教師と同じようなことはあまりしません。教会員を強めることがわたしたちの責任です。教会から足が遠のいた方々を訪問しても,多くの方が快く迎えてくれます。久しく会っていなかったにもかかわらず歓迎してくれます。教会のことを夢に見たり,集っていたときの楽しかった経験は忘れられないと話してくれる人もいます。」

安田長老も同様に夫婦宣教師としての喜びについて話す。「どこに行っても教会員の中には善い人がたくさんいます。伝道へ行っても良い人と出会えますし,良い人を見いだすことができるので幸せです。わたしたちはそれぞれの立場で主の業がよく果たせるように努力すべきだと思いますが,主もわたしたちを助けてくださいます。微力ですが宣教師に召されたことをあらためて感謝していますし,喜びをみんなと分かち合いながら努めていきたいと思います。」

幸せを語りながら,安田長老は時折「あとは死んでもいいですよ」と微笑む。厳寒の旭川で働く安田夫妻は春を迎えるころに夫婦宣教師としての召しから解かれる。しかし,召されている場所も同じならば,解任された後に集うワードも同じ,安田ご夫妻の伝道の志もまた変わることはない。「100歳までは生きるんじゃないですか」と娘のはるか姉妹は笑う。安田ご夫妻の「賞味期限」はまだまだ切れる兆しを見せていない。◆