リアホナ2004年6月号 モーサヤの息子たちのように

モーサヤの息子たちのように

~モンゴルから来た宣教師・ダンバドルジュ長老と3人の仲間たち~

モンゴルは草原の国である。 日本の4.1倍の広さの国土に人口は約 241万人,そのうち 3 割が今も草原で遊牧生活を送る。 雨は少なく乾燥していて, 2,3か月ほどの短くさわやかな夏と,寒いときはマイナス40度にもなる長 い冬がある。 2000年 1 月末のあ る晴れた日,首都ウランパートル 市で学生生活を送っていたエンヘバット・ダンバドルジュ兄弟ら19歳の4人の大学生が街で見かけた 教会に入ってみようと思い立った のはほんの好奇心からだった。

「わたしたち4人は皆違う学校で, 学校間の合同イベントで知り合い ました。当時の教会は2階建ての大きい建物を買って教会の形に改装したものでした。ウランパートルの町中で,ドアも建物もすごくきれいな教会です。キリスト教かな,じゃあちょっと行ってみようか、と勢いにまかせて入ったんです。一人か二人だったら入ったかどうか……。」

それは週末で,立派な扉を押して入るとバプテスマ会が行われていた。集っていた会員や宣教師たちは彼らを温かく迎えてくれた。当時も今もモンゴルの教会では一般に週に2回,定期的にバプテスマ会が聞かれ,着々と成長を遂げている。しかしモンゴルの法律では宣教師 は戸別訪問や街頭伝道をすること が認められていない。したがって バプテスマを受ける人の全員が教会に自ら足を運んだ人,あるいは会員の紹介によって福音を伝えられた友人や家族である。つまりモ ンゴルでは伝道を進めるのは会員 であって ,宣教師の役割は純粋に教え,証することなのである。そのことがかえってモンゴルの教会の発展の基礎を強固なものとしている。

4人の学生たちは  2組に分かれて福音を学ぶことになった。「今日こういうことを学んだ,そのときすごかったよ,今度はこうしてみたら…などと,一つ一つの課程が終わる度に友達 4人で集まり,この教会の教義のすばらしさ,自分たちの感じたことを話し合い,チャレンジし合い,お互いに強め合いました。そこから4人の関係はもっと強くなりました。頑張ってこの教会についてしっかりと学んでいこう,と皆で約束しました。レッスンは3週間半ほどで終わり2000年2月  26日,皆でバプテスマを受けました。」それが終着点ではなかった。 2 か月半後,ダンバドルジュ兄弟は下から 2番目の妹にバプテス マを施し,7か月後,当初反対して いた母親も「主の奇跡によって」改 宗した。友達の二人の妹と一人の 兄も改宗した。 4人の仲間はインス ティテュ ートヘ週4回一緒に出席し四大聖典のコースを平行して履 修して 1 年間ですべて卒業してしま い,同時に伝道に出たのである。ダンバドルジュ兄弟は日本へ,ほかの3人は合衆国テキサス州へ召され,揃ってプロボの宣教師センター (MTC) へ旅立った。 MTC にいる間にダンバドルジュ長老は末の妹が改宗したことを知らされた。

最初に赴任したのは岩手県盛岡市だった。 12月の盛岡はダンバドルジュ長老にとって暑くてしょうがなく,窓を開けて寝ていて同僚に変 人扱いされたという。ましてや夏は

「暑いときに暑く,寒いときに寒く,雨の日には雨に打たれ,たくさんの長い時間歩いて靴擦れを起こし,血が出たままで歩き続け……わたしの信仰をばかにする老人に追いかけられ …… 求道者が答えを得られるほど謙遜になれないのを見て泣きました。」テキサスで伝道中の友達にいつも手紙を書いて励まし合った。

「人に自分の学ん できた福音を話し 証するほどに,主を近くに感じ神 様についてもっと知るととができ ます。学んだことが少なくてまだまだかなと思っても,今日一日学んだことをだれかに話せば,その人も成長しわたしも相手から何かを学ぶことができるんですね,お互いに。日本の人も友達や家族に自分の学んだこと感じたととを直 接話せば,あるいは手紙などで伝 えれば,必ず福音の証を受けるこ とができるとわたしは思っていま す。たくさん話し証することですね。」改宗前から友達 4人で互いに 福音について語り合ってきたダンバドルジュ兄弟は,「やはり教会で 友達を作るのが大切かな 」と実感を 込めて語る。

2003年5月,ダンバドルジュ兄弟は故国モンゴルへ帰還し,懐かしい3人の仲間と再会して伝道中の経験を互いに語り合った。「……アルマは自分の仲間に会えたことでひとかたならす、喜んだ。しかも,彼らがなおも主にあって兄弟であったので,その喜びはいっそう深かっ た。 」(アルマ 17: 18)