リアホナ2005年1月号この町に末日聖徒7 10人の子供たちの里親として慕われるお花の先生

この町に末日聖徒7  10人の子供たちの里親として慕われるお花の先生

宜野湾ステーク普天間ワード 比嘉リミ子姉妹 

「こんな人がいたらいいね。」比嘉リミ子姉妹は二人の娘と楽しく話しながら理想の人物像を想像していた。「でも,なかなかいないよね。」子供たちと三人で確かめ合うように

顔を見合わせる。

今から17年ほど前のある晩,英語を勉強したいという高校生の二女と話しているうちに,どのような教師が理想なのかという話題になった。「礼儀正しくて,正しい英語を話し,親しみがあり,信仰心のある人で……。」条件は10項目近くも並べられた。カトリック教会へ熱心に集う比嘉家族の理想は高く,単に英語を教えられるだけではなく,信仰心や道徳心も必要な条件になっていた。「やっぱり,なかなかいないよね。あまり見たことないよね。」それが親子で話した結論だった。

翌日,比嘉姉妹の家に戸別訪問する宣教師が訪れた。「あいさつされただけで,『この人たちだ!』と思いました。昨晩娘たちと話していた理想の教師が来たと思いました。」比嘉姉妹はすぐに宣教師を玄関に招き入れ,彼らの話に耳を傾け始めた。宣教師のメッセージを聞き終えた比嘉姉妹は「わたしたちの子供が皆さんのような宣教師になれるように指導してください」とお願いした。理想の英会話の教師との出会いを願っていた比嘉姉妹のもとを訪れたのは,福音を携えた理想の教師であった。

「それからすぐに宣教師のレッスンを受け始めた娘たちは,寝る間も惜しんで『モルモン書』を読み始めました。証を強めていった娘はバプテスマを受けることを望むようになりました。しかし,まだ高校生だった娘はバプテスマを受けるのに主人の許可が必要でしたので,一生懸命に勉強し,学んだことを毎日話していました。また,教会が真実であるこ

とを毎晩涙ながらに主人に伝えていました。ほかの教会へ行っていましたから,なかなかバプテスマの許可を受けられませんでしたが,あまりにも熱心なので,ついには主人も許可し,バプテスマを受けられるようになりました。本当はわたしが最初にバプテスマを受けたかったのですが,そのときは主人と一緒に受けたいという希望もあって,娘が先となりました。」その後,バプテスマを受けた二人の娘は比嘉姉妹が望んでいたように宣教師として奉仕した。「長女が伝道へ行ったときにわたしがバプテスマを受け,二女が伝道へ行ったときに主人がバプテスマを受けました。求道者として5年ほど学んでから改宗しました。」

里子たちとの日々

比嘉姉妹には神様の教えを学び続けているのと同じようにライフワークとなっていることがある。「ライフワークというよりも,使命,天命と感じるときもあります」と比嘉姉妹は話す。それは様々な状況で親元から離された子供たちの「里親」となることだ。

「大学生の時に孤児院で実習を受け,卒業してからそこへ就職しました。24時間勤務の職場でしたので,その後,結婚を機に退職しました。子育てが終わったら,また携わりたいという希望はいつも持っていました。二人の娘が伝道を終えて嫁いだのをきっかけに,すぐに里親を始めたんです。」

今までに比嘉姉妹が里親として預かった子供たちは10人。そのうちの4人の子供たちは,2歳のときから6年間預かった。子供たちは一定の期間を経ると,里親の元から旅立つことになる。親元へ戻される子供もいれば,親のいない子供もいる。

「それぞれの子供たちには,里親に預けられるそれぞれの事情があります。みんな素晴らしい子供たちですが,病気を患った子供もいれば,心のよりどころを求めている子供もいます。親のいない子供もいれば,中には虐待を受けていた子供たちもいます。わたしはそういう状況の子供たちこそ助けたいと思っていました。健康でかわいい子供たちは預か

ってくださる方がいるので,誰も引き取る子供がいなければ人種や障害,状況に関係なく,わたしに預けてくださいとお願いしていました。体質を改善したり,精神的なフォローをして,両面を癒してあげたいと願っていました。わたしのところへは『運よく』そのような子供たちが預けられてきました」と子供たちとの出会いを回想する。

比嘉姉妹と過ごした子供たちは「だいたい2年ぐらいで変わってくる」らしい。「髪の毛がなくて丸坊主だった子供も治ってきて髪が伸びてくると,『あれ,女の子だったの』と言われることもありました。子供たちは肌がきれいになって,みんな健康な状態になって戻って行きました。栄養のバランスも大切ですが,精神的なものが大きかったのだと思います。子供たちはみんな恵まれない環境にいましたから。」

子供たちは比嘉姉妹を「お母さん」,「ママ」,または「リミちゃん」と呼ぶ。どの子供たちも比嘉姉妹への信頼と愛情は強く,別れるときには「リミちゃん死なないでねと言うんですよ」と微笑む。「ほんとうにわたしのことを心配してくれているんです」と子供たちの優しさを誇るように話す。

また,どの子供たちも「大きくなったら宣教師になりたい」と話すという。自宅へ帰ったときに比嘉姉妹がいないと,子供たちはすぐに教会へと向かう。比嘉姉妹が教会で奉仕していることを知っていたので,「家にいなければ教会にいる」と子供たちは分かっていた。比嘉姉妹がかつて宣教師と出会って影響を受けたように,子供たちも愛情をもって接して

くれる宣教師に信頼を寄せ,憧れの気持ちを自然に抱いていった。子供たちの心の中には比嘉姉妹だけではなく,比嘉姉妹の周りにいる兄弟姉妹や宣教師の優しさも浸透していった。

ある日,預かっている一人の女の子が熱い汁をこぼして火傷をしてしまった。大きな火傷ではなかったが,皮膚が完治するのには約3か月がかかった。「皮膚の移植が必要だったらわたしの足から取って付けてあげるから,心配しないでいいよ」と比嘉姉妹は少女を安心させるように話した。すると,その会話を聞いていた弟が,比嘉姉妹が足を切断して助けるつもりだと思ったらしく「リミちゃんの足を切るなら,代わりにぼくの足を切ってあげるからリミちゃんの足を切ってはだめだよ」と言い張った。「自分のことに優先させて,姉やわたしのことを心配してそう言ってきました。ほんとうに優しい子供だと思いました。」比嘉姉妹の愛情のもとで育った子供たちは,強い愛情を感じるとともに,周囲への愛情も深めていくように変化していく。「テレビでかわいそうな子供の報道がされると,『あの子たちをみんな家に連れて来てお世話してあげて』とわたしに頼むんです。『もっとかわいそうな子供がいるから助けてあげて』と頼むんです。わたしはいつも子供たちに心癒される思いで感謝して生活しています」と比嘉姉妹は語る。

野の花を養うように

比嘉姉妹が最初に里親として預かった子供は既に大学生の年齢に達している。「親と一緒に訪問して来る子供もいます。そのときはとてもうれしくなります。わたしのような者にでも神様の子供を預けてくださったことに感謝する気持ちで満たされます。主人と娘たちも助けてくれたおかげで,わたしがやりたいことを続けることができました。みんな子供

が大好きで,それも神様からの大きな祝福だと感じています。」

比嘉姉妹は毎週礼拝堂に花を生け続けて15年になる。「花を生けることは楽しいことですね。それぞれの香りが心を癒してくれます。わたしは『花は野にあるように』と心がけていけています。創られた作品をできるだけ損ねないで,野にあるように生けています。わたしの教師は神様ですから。」比嘉姉妹は子供たちに接する時にも,花を生けるときの

この気持ちを忘れない。「花は野にあるように」この気持ちが子供たちをいつも癒している。「わたしが生きている間は,親を必要とする子供がいたら,どんな子供もでも引き受けたいと思います。」そう語る比嘉姉妹のライフワークはまだまだこれからも続く。

「こんな人がいたらいいね。でも,なかなかいないよね。」

比嘉姉妹が高校生の娘たちと理想の教師像について話し,後に宣教師と出会ったときのように,里親を探す人々や子供たちは,比嘉姉妹と出会うまでは理想の母親像についてきっと同じように考えていることだろう。◆