リアホナ 2005年 2月号 スマトラ沖地震津波災害現場から

スマトラ沖地震津波災害現場から

新潟地方部/新潟支部の長老定員会会長でもある大矢重幸兄弟は,12月26日のスマトラ沖地震による津波被災者の援助のため,30日から1月12日までの2週間にわたって国際緊急援助隊医療チームの医療調整員として派遣された。タイ国政府の要請を受け,日本政府(外務省)からJICA(国際協力機構)へ派遣指示があり,大矢兄弟は10年ほどマレーシアやカンボジア,アフリカのマラウイなどでJICAからの農業指導専門家として派遣された経験も考慮され,訓練を受けている登録者から選抜された。

「外務省職員を団長に医師4人,ほかに看護師や薬剤師など22人で,南部のプーケット島に到着しました。インドネシアを中心に遠くアフリカ東岸にまで及ぶ十数か国が被災し,18万人にもなるという死者・行方不明者を出した未曾有の大災害,タイ王国だけでも被災者の数は約1万人に及びました。

インド洋に面する南部諸州のうち最も被災者の多いパンガー県タクアパ郡に的を絞って被災地を回りました。周辺の海岸線はまさに瓦礫の山で,廃墟と化したかつての美しいリゾート地には死体が並べられ,写真がはり出され,身内の安否を気遣う人々や報道陣があふれていました。子供の手をしっかりつないで逃げたが波の力で離れ離れになった人,行方知れずの家族の名を叫んで探し続けていた人,不法滞在のため身内の捜索や配給物資を受け取ることができない人など,悲しい話は尽きません。

まず最初は,モバイル・クリニック(移動医療施設)で,ゴム林などにいる被災者への訪問医療を行いました。その後,幼稚園の教室を借りて診療所を設置しました。また,避難テントと仮設住宅の設置が決まり,パンガー県タクアパ郡バアンムアンキャンプサイトにも,地元の保険所や病院,国境警備隊や警察と協力して診療所を開設しました。このテント村には,650ほどの小さなテントに3 , 5 0 0人以上の人が避難していました。

医療チームは3つに分けられ,モバイル・クリニックでの巡回診療,幼稚園の教室,そしてキャンプサイトのテントでそれぞれの診療を行いました。患者総数は約600人。重症患者は被災後すぐバンコクなどに搬送されたため,大きな手術はありませんでしたが,外傷,熱や風邪の症状も多く,心的外傷後ストレス障害(PTSD)と呼ばれる精神的ダメージを負った人も少なくありませんでした。

今回の派遣では,台湾,韓国など外国の医療チームや援助救援団体と何度も奥深いジャングルで出会い,思わず胸が熱くなることもありました。善良な多くの人を一瞬にして葬り去る災害の起こる意味は分かりませんが,少なくとも,だれもが本来心の奥に常に抱いている温かさ,優しさ,思いやりの気持ちを伸ばす機会であったことは間違いないと思います。帰国を惜しみ被災者から手を合わされ,幸福と好運があるようにと手作りの仏様のネックレスや毛糸のブレスレットを頂き,かえって自分の非力さを痛感しました。被災者の中でも,特に怪我や病気をし,親を失った子供たちが,独りで苦しんだり悩んだり,寂しさで泣き続ける状態から,希望を抱いて明るく過ごせる時が来るように,何度も一生懸命祈りたいと思います。」◆