リアホナ2005年9月号普天間の用地取得の経緯

普天間の用地取得の経緯

50 年前から備えられていた主の業1956 年12 月19 日,アンドラス伝道部長は普天間支部の土地を購入した。この土地取得にまつわる不思議な経緯を宣教師の島袋は次のように伝えている。

「私たちは最初から普天間に礼拝堂を建てたいと望んでいましたが,敷地はあまりにも狭く,仮に礼拝堂を建てたとしても50 人ぐらいしか入れない小さな建物になってしまいます。アンドラス伝道部長は周りの土地をぜひ購入するようにと言われましたので,これを私たちの第一目標にしました。しかし,当時の沖縄では強い反米感情があり,はたして土地を取得できるかどうか疑問でした。学校の校庭では毎週のように反米集会がありました。とにかく,私たちは役所へ行って周りの地主の名前を教えてもらい,三人の地主の家を訪ねました。最初に訪問した地主は不在,二番目に訪問した地主も留守でした。私たちはちょっとがっかりしながらも三番目の地主を訪ねました。この地主の家は普天間からだいぶ離れていました。玄関で戸をたたくと70 歳くらいの老人が現れました。私がその老人に用件を話したところ,彼は私たちを家の中に招き入れました。そこで,改めて私たちが訪ねて来た理由を説明しました。

『私たちは末日聖徒イエス・キリスト教会の宣教師で,今,普天間で伝道活動をしていますが,礼拝堂がないため集会を開くことができません。今,少しの土地を持っていますが,面積が狭く礼拝堂を建てても50 人くらいしか入れない小さな建物になりますので,周りの土地を購入し,沖縄の人々のために大きな,立派な建物を建てるのが私たちの目標です』と私たちの気持ちを話しました。老人は静かに目を閉じて聞いていました。それから彼は静かに次のように話しました。

『私は50 年前に労働者としてアメリカへ行きました。私が働いたのはユタ州のガーフェルという小さな町でした。そこで労働者として働いていましたが,あなたの教会の会員と一緒に働いていました。モルモン教徒のことは,私はよく知っています。モルモン教会の会員はほんとうにまじめで,正直で,働き者です。そのような人々と働く機会がありまして,私はほんとうに良い印象を受けました。私は50 年前に立派な人々と話す機会があったことにほんとうに感謝しています。ですから,私は自分の土地をあなたの教会に売ります』

私たちはその話にほんとうにびっくりしました。それから,その老人は続けて次のように言いました。

『他の二人の地主は私の友人ですから,私があなたがたの代わりに,彼らが教会に土地を売るように頼みます。ですから,あなたたちは,他の二人の地主の家へ行く必要はありません。来週この時間に私の家に来てください』1 週間後,再び私たちが彼の家を訪問したところ,他の二人の地主が教会に土地を売ることに同意したと話してくれました。私たちは感謝の気持ちでいっぱいでした。もし初めの二軒の地主が家にいたら,教会のことも知らなくて,土地を売ってもらうことは不可能なことでした。天のお父様は沖縄に神様の教会の建物が建てられるように,50 年前から準備のために19 歳の沖縄の青年をユタ州に招いておられたと信じます。この老人の助けと御霊の導きによって,今,普天間に立派な教会堂が建っております」(『世紀を越えて──末日聖徒イエス・キリスト教会伝道100 年のあゆみ』,239 より引用)◆