リアホナ2005年10月号吉村地域設計士が語る「地域建築標準プラン」が確立するまで

吉村地域設計士が語る「地域建築標準プラン」が確立するまで

2000年のことである。前年示された新しい施設運営の方針に基づく「建築標準プラン」のビジョンを見せられ,教会地域設計士エリアアーキテクトの吉村信之兄弟は信じられない思いであった。「まさか本当になるとはね,わたし自身もこの時点では思っていなかったんです。」──「(新しい方針の)大きな目的は,人々の霊をキリストのもとに連れて来る,すなわち救いをもたらす地元の指導者を助けるための施設を提供することです。そのための建物は,特に尊厳や崇高さを求められる。できる範囲で最高の物を提供する必要がある,ということを強調されたんです。……それは,教会が発展していく状況を見極めた預言者の大きな方向転換だと思いますね。」

吉村兄弟は1998年に,それまでの建築家としてのキャリアを離れ,管理本部の施設管理部に地域設計士として入った。当時,教会の集会所は,合理的に規格化された極限までシンプルな建物であり,建築をデザインするという余地はあまり残されていなかった。「そのときわたしは,例えば建築家としての夢,もありますけれど,それは横に置いておいて,仕事として主の業に奉仕できる喜びを選択したつもりだったので,今までやってきた建築デザインが仕事に反映されなくとも,十分な喜びはあったんです。」

ところが,そう割り切ったつもりの吉村兄弟の肩に,思いもかけない重責が降りてきた。「地域建築標準プラン」の確立という大仕事であった。

地域設計士の仕事はこうである。まず管理監督会が承認した「世界標準プラン」(コアプラン──右下図面参照)から地域の実情に合ったものを幾つか選択する。それを基本として,風土や国民性,慣習などを考慮のうえ幾種類かの外観・内装デザインを起こす。そして,地域で調達可能な資材や工法に基づいて細部に至るまでの仕様を決め,実施設計をする。

世界標準プランは文字どおり世界共通の核となるプランで,変更は許されない。しかし,下の線画のように大枠が定められているだけなので,教会本部の示す伝統的な教会建築(下図参照)の雰囲気を保ちつつ,細部のデザインや仕様は地域の裁量で詰めていく。建築家の腕の振るいどころである。

アジア北地域では7つの世界標準プランが選ばれ,それを地域標準プランにアレンジする作業が始まった。まず吉村兄弟は,それぞれのプランに4つのイメージワードを冠する外装のオプションを設定し,都合28パターンのデザインを起こすことにした。それからの作業はイメージと表現の感性を駆使した祈りの日々となった。これまで多くの教会建築の設計に携わってきた教会員の建築家である守谷歓二兄弟をはじめとする有能なエキスパートのたち助けを得て,主と人に喜んでいただけるよう,このアジア北地域の標準建築デザインに着手する。「できるだろうか,とわたしは一時期ほんとうに不安に思っていました。様々な教会建築の写真をずうっと見ながら,とにかく自分のイメージで,主の礼拝の場,心を天に向け,敬虔な気持ちを表すのを助ける空間をどう実現できるか。ただお金をかけて豪華にするのではその目的を達せられません。祈りと啓示が必要でした。」

通常業務をこなしながらの作業でもあり,吉村兄弟は徹夜や泊まり込みもして集中的に取り組んでいった。「作り始めたとき,かなり短い時間で最初の4つのパターンができていったんです。それまでいろいろ資料を買ったり建物を見たりしても心配がありましたけれども,着手し始めたら驚くほど短い時間で──あれはほんとうに導きだったろうと思います。」またその過程で,図らずもかつて吉村兄弟がある時期手がけていた初期アメリカ様式の建築設計の経験が大変役に立ったともいう。主の目にあって,人生に無駄なことは何もない。「管理本部に入ったときは予想もしなかったです。自分の才能を主のためにささげるという意味では考え得る最高の特権でしたね。」◆