家族の思い出は守られました

家族の思い出は守られました

熊本地震を通じて家族の神聖さを知る──ブリムホール・千香子(ちかこ) 姉妹

ユタ州レイトン市に住むブリムホール(Brimhall,旧姓・西郡(にしごおり))千香子姉妹は,航空会社が定期的に更新する東京行き格安航空券情報のウェブサイトを折に触れて見る。アメリカ人のベンジャミン・ブリムホール兄弟と結婚し,ユタ州に嫁いで7年。その間,熊本の実家に住む母親の死と3回忌を経験し,実家に戻る機会は何度かあったものの,仕事のスケジュールは年を追うごとに過密となり,航空運賃が高価なこともあって,定期的に帰省することもままならない。海を隔てても,母の思い出とともに実家で暮らす父を忘れたことはない。格安航空券の情報を確認しながら,千香子姉妹は家族や故郷への思いを日々募らせていた。

「ソルトレーク・シティー─羽田 往復航空券 600ドル 限定販売」 思いもよらぬ情報をウェブに見つけたのは2月上旬のこと。通常なら一人往復2,000ドル(約20万円)のところを,わずか600ドル(約6万円)!今年の帰省は諦めていた千香子姉妹だったが,ベン兄弟と相談し,急遽,熊本への帰省を計画する。

問題は,夫婦それぞれの職場で,月末にかかる2週間もの休暇が取れるかどうか。ことに千香子姉妹は経理業務にも携わっており,月末は多忙な時期だ。翌日,双方の上司に恐る恐るお伺いを立てると,意外なことにどちらの上司も快諾してくれたのだった。ただ,格安航空券は電話による先着順予約となる。そこで,夫婦2人で3台の電話を用意,航空会社に150回電話をかけ続ける。2時間の通話中状態の果てに,やっとの思いで航空券を購入することができた。

─こうして,思いがけずとんとん拍子に熊本への帰省が実現することとなった。「まるでお膳立てされていたようでしたね」と千香子姉妹は振り返る。

スキャナーを携えての帰省

3月,日本への出発を間近に控えた二人は,仕事と帰省の準備に余念がなかった。そんな中,ベン兄弟は千香子姉妹に突如こんな提案をする。「スキャナーを買って,実家に持って行きたいんだ。」千香子姉妹はいぶかしむ。海外への帰省はただでさえ,費用がかさみ荷物も多い。「こんなときになぜわざわざスキャナーを持って行くの。」最初は強く反対したがベン兄弟は譲らない。卓上型でなくハンディタイプのスキャナーだから軽くてかさばらない,修理済みの中古品だから値段も格安─「うん,分かった。」とうとう千香子姉妹は説得され,スキャナーを購入すると,3月中旬,一路,実家の熊本へ向かった。

満面の笑みで迎えてくれる父・英浩(ひでひろ)さんとの久しぶりの再会。そんな喜びもそこそこに,ベン兄弟は持参したハンディ・スキャナーを取り出し,向かう先は家の押し入れ,そこには無造作に収納された大量の家族写真が収められていた。その写真をやおら取り出すと,一枚一枚スキャンして,次々と画像データにし始める。「ベン,いったいどうしたの?」そんな周囲の思いをよそに,観光に出かけることもほとんどなく,来る日も来る日もスキャン作業に没頭するベン兄弟。近所の100円ショップで幾つものプラスチックケースを買ってくると,スキャン済みの写真に印をつけ,次々にそこへ収納していく。「あんなにスキャナーにこだわったのはこのためだったの。でもなぜ今?せっかく家族で一緒に過ごせるのに」そう問いかける千香子姉妹にベン兄弟は淡々と答える。「この前帰ったとき,たくさんの写真が押し入れにあるのを見つけたから,今度帰ったらぜひデータに残そうと決めていたんだ。」アメリカに帰る直前まで作業は続き,アルバムで50冊以上,枚数にして約2,500枚に及ぶ写真がデータ化された。

失われた記録,思い出を求めて

一方,千香子姉妹にも,この帰省で心に描いていた目当てがあった。まずは家族歴史の資料を手に入れること。実は数年前,千香子姉妹は系図を熱心に探求し,約200年分の家族の記録の,結び固め以外の儀式を終えていた。それらの記録がなぜか原本ごと全て失われてしまっていたのである。もう一つは,母・澄子(すみこ)さんが生前大切にしていた着物,千香子姉妹の結婚式で母が締めていた帯を形見としてアメリカに持ち帰ることだった。異国に嫁ぎ,帰郷も思うに任せない千香子姉妹にとって,母の形見は心の拠り所であり,何よりの宝だった。

またベン兄弟に触発され,家の整理もしようと思った。しかし,父が立ちはだかる。「もう良かけん,あんまり掃除せんで。」亡き妻との思い出を大事にするあまり,どの部屋も手つかずじまい。そんな父の気持ちも痛いほど分かる。家族の思い出に満ちた品々を整理するのは自分もつらい。けれども,万が一何か起こったら,一番困るのは父自身だ。千香子姉妹は悩みながらも家の大清掃を決意する。リビングの不要品を次々に処分し,部屋は見違えるようになった。それでも千香子姉妹は止まらない,何かに突き動かされるように一心に部屋の整理を進める。夫婦の思い出の詰まった部屋が次々に整理されるのを寂しそうに見つめる父,その姿をそばで見ていたベン兄弟が「お父さんの気持ちをあまり損ねないよう,優しくゆっくり掃除してあげて」とアドバイスするほどだった。

ほどなくして千香子姉妹は,普段はまず触ることのない収納棚に取りかかった。そのとき,引き出しにかけた手が止まり,目が釘付けになる。現れたのは,母の幼少期の写真と,西郡家の傍系5世代に及ぶ家系図だった。年代は1830年頃にまでさかのぼる。はやる気持ちを抑えて父に聞くと,叔父が自分で調べ,手書きでまとめた記録だと言う。生まれて初めて見るものだった。ベン兄弟はすぐに写真や系図のスキャンを手伝ってくれた。こうして千香子姉妹は,想定していた倍の人数の記録を手にすることとなった。

掃除に抵抗を感じていた父も,久々の帰省にもかかわらず毎日熱心に働く二人の姿に,次第に心を動かされていくようだった。特に,異国の地に来て,何千枚もの家族写真をデータへ収めるベン兄弟と,これまでになく打ち解けた。帰路につく日,空港の出発ゲートにて,いつもは笑顔で見送るはずの父の目に涙がある。おもむろにベン兄弟を抱きしめる生粋の九州男児の父。そんな父の姿を初めて見た。

震災の猛威と主の守り

2週間後の4月14日早朝,アメリカ時間の6時半頃,東京の知人からLINEが入る。マグニチュード6.5,最大震度7の熊本地震発生─「とにかくすぐに実家に連絡して!」千香子姉妹は全身が凍り付く。つい2週間前に別れたばかりの家族は無事なのか。祈る思いですぐ父と姪(めい)に電話をすると,むせび泣く姪の声がする。実家のある嘉島町(かしままち)は,最も被害の大きかった益城町(ましきまち)の隣に位置する。親族は全員無事との報に安堵(あんど)したのも束の間,家屋が激しく崩れたと聞かされる。現地は夜もふけ,停電した街は真っ暗で,辺りの被害の様子すら分からないという。ベン兄弟と二人,家族の無事を一心に祈った。

一日を終え,家族の安全を再度確認して眠りについたものの,アメリカ時間の翌朝4時頃に電話が鳴る。慌てて出ると,父親を説得してくれという姪の声だった。

頻発する余震で多くの家屋が倒壊し,家の中は瓦礫(がれき)で埋もれている。余震による二次被害を案じて近隣の人々は自宅を離れ,避難所や自家用車,ガレージ等で寝泊まりする生活を始めていた。しかし父は,妻との思い出の詰まった家を離れようとしない。親族が,無料で開放している近隣の浴場に行こうと誘ったが,復旧作業で疲れたからこのまま家の寝室で寝たいと言い張るばかり。「説得してくれんね。」見かねた家族は海の向こうの千香子姉妹を頼った。

それから約40分,電話口で必死に父親を説得する。2週間前に寝室の整理をしようとしたときのように最初は譲ろうとしない。しかし,次第に心が和らぐ。「分かった,外で寝るけん。」父の安全を心から願う娘の気持ちが通じた。

その6時間後,日本時間4月16日午前1時25分,マグニチュード7.3,最大震度7の本震が実家を直撃,父の寝室の天井は崩落した。娘の思いを受け止め,外で眠った父は,事なきを得た。

その後,熊本地方を大雨が襲う。瓦の落ちた家の中は雨漏りで水浸しになった。倒れたタンスから散乱したものは泥と雨で汚れて使い物にならない。しかし幸い,その被害から無傷で守られたものが見つかる。ベン兄弟がスキャンした後,プラスチックケースに収納した写真や家系図だった。だが,今回の滞在期間にスキャンし切れなかった写真はケースに入れず,縁側近くに収納した。屋根が崩落した縁側に雨漏りがないとは普通,考えられない。度重なる余震と大雨でだめになったと思われた。

ところが,記録が収納されていたリビングの引き出しと縁側部分はなぜか雨漏りの被害がなく,無傷で守られたことが分かった。「主が守ってくださったとしか思えません」と千香子姉妹は語る。

西郡家の親族が住む沼山津(ぬやまづ)地区も,益城町に隣接する。親族に全壊した家もあり,思い出の写真や記録は,地震と大雨の被害でほぼ失われた。親族にとって唯一残されたのは,ベン兄弟と千香子姉妹が整理した資料と,雨漏りのなかったリビングと縁側の記録のみであった。そこには祖父や親族の貴重な写真も収められていた。

最善を尽くせば道は備えられる

遠くアメリカから,ベン兄弟と千香子姉妹が家族や親族の無事を願わない日はない。そばにいてあげられない葛藤と闘いながらも,ほぼ毎日,実家を電話で励まし,親族を含めた4家族分の寝袋等の生活物資を送っている。「肥後もっこす」※1の父は,家族以外を容易に頼ることのできない性格。思い出の詰まった実家を離れての避難所生活など考えられない。そんな父にとって,この支援は何よりの助けとなった。

大切にしていた仏壇やお墓がこの震災で損傷し,父はがっくりと気落ちした。千香子姉妹はそんな父に,「物を拝むことはないよ。神様に祈る気持ちが人に伝わるものだから」と伝える。信仰の原則について分かち合う貴重な機会となった。

この希有(けう)な経験を振り返り,ブリムホール夫妻はこう語る。「わたしたちが最善を尽くせば,あとは神様が全て助けを与えてくださいます。格安航空券の案内は一つのサインでしたが,実際にチケットを購入し,休暇を取り,実家で家族歴史記録を手に入れようと励んだからこそ,主は道を備えてくださいました。人はとかく,自分の限界線を設けがちですが,主はそれ以上の事をなし得る力を与えてくださるのです。」◆