リアホナ2015年10月号 本当の友達に仕える幸せ

本当の友達に仕える幸せ

中央若い男性会長 スティーブン・W・オーウェン兄弟ご夫妻のディボーショナル

2 015 年 8 月2日,4 日の両日,中央若い男性会長のスティーブン・W・オーウェン兄弟姉妹が,山口地方部宇部支部と広島ステーク高須ワードをそれぞれ訪問し,ディボーショナル(礼拝集会)を行った。会場には大勢の人々が詰めかけ,ご夫妻の霊的なメッセージと証から多くを学び,霊的に鼓舞される機会となった。

その模様を抜粋してお伝えする。(編集室)

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本当の友達

オーウェン姉妹は,今回の訪問で同行した青柳長老が 2010年5月の総大会で語った内容に触れた。この説教で青柳長老は,独身時代の自分が教会に戻る助けとなった,若き日の青柳姉妹の模範について述べた。オーウェン姉妹の父親もまた,まだ会員ではなかった10代の頃,当時デートしていた教会員の若い女性から什分の一の献金票を渡され,その原則の大切さを強調されたという。彼は,自分が苦労して稼いだお金から什分の一を納める意義が理解できず,当初はその教えを受け入れなかった。

やがて 18 歳で太平洋戦争に召集されたとき,福音はよく理解していなかったものの,母親に勧められてバプテスマを受けてから戦地に赴いた。そこで多くの友人が命を落とすのを目の当たりにする。マリアナ諸島に配属された際,彼は天の御父と次のような約束を交わしたという。「もしわたしの命を守ってくださるならば,本国に帰ったときに什分の一を納め始めます。」彼は命を守られて祖国に帰った。什分の一を納めるのは難しかったものの,約束を守って納め始めたおかげで,彼の人生はその後ずっと祝福され続けた。

「ちょうど青柳姉妹が(将来)ご主人となる彼に教会に戻ってと励ましたように,この若い女性がわたしの父に,什分の一を納めてと言ったんです。父(の場合)は彼女と結婚しませんでした。(けれども)その什分の一を納めるということが父,そしてわたしたち家族をずっと祝福してきました。皆さんも什分の一を納めることで祝福されるとわたしは知っています。」

オーウェン姉妹はまた,12 歳のときのある経験について話す。当時いた二人の友人と薬局に行ったとき,友人たちからお菓子を盗むようささやかれた。友人を止められず,誘いに乗ってしまった。これまでの人生で善い女性,善い女の子を目指していた彼女はとても悲しい気持ちになった。

それから数年たち,18 歳になったとき,バスに乗ってその薬局に行く機会があった。順番を待っていたとき,そのお菓子を盗んでしまった日のことを思い出したオーウェン姉妹は,とても悪い気持ちがして,店長のところに行き,5年前にしてしまった,お菓子を盗んだということを告白した。するとその後の気持ちはとても良いものになった。悔い改めることができたのである。オーウェン姉妹は,真の友について次のように語った。

「本当の友達は相手をいつも幸せな気持ちにしてくれます。その友達はあなたがより良くなれるように助けたいと思っています。そして成長を助けてくれる存在なんです。そしてあなたに幸せになってほしいと望んでいる。それが友達です。……わたしはイエス・キリストがわたしと皆さんを愛しておられることを知っています。そしてキリストはわたしたちの誰一人として完全ではないと御存じです。しかしその理由でイエス様は地上に来られたのです。わたしたちから罪を取り除かれるためです。それはわたしたちの人生の中の最もすばらしい喜びの一つです。ですから,わたしたちはいつも幸せであって,世の光とならなくてはなりません。……イエス・キリストの贖いを自分たちの生活に取り入れられますように。そして,救い主イエス・キリストをわたしたちの親友にすることができますように。」

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オーウェン会長が 14 歳のとき,ある友人が誤った選択をし始めた。ある日遅く,一緒に外を歩いていると,タバコを吸ったりお酒を飲んだりし始めたという。彼らは友達だったけれど,その行動にオーウェン兄弟は賛成できなかった。そこで,彼らと道を歩くとき,オーウェン兄弟は道の反対側を歩くことに決めたという。それを見て,友人たちは「お前は本当にめめしい男だね」と嘲笑した。オーウェン兄弟は,友人を失くしたとの喪失感で気落ちしてしまう。

その数日後,教会に活発な別の友人が,週末に彼の家に泊まって日曜日に一緒に教会に行こうと誘ってくれた。招待に応じたオーウェン兄弟は友人との時間を楽しみ,後に彼と親友になって孤独感から救われた。実はそのお泊まり会は,元気のないオーウェン兄弟を心配した母親が,その友人の母親と相談したことに端を発していたのを 4 年後に知る。

オーウェン会長は母親への感謝を語り,救いの計画へのあふれんばかりの感謝の気持ちを伝えた。そして,この救いの計画が,決して惨めな計画ではなく,「幸福の計画」であることを強調する。時には苦しい経験や惨めに感じる経験もあるものの,試練の中を通り抜けていくことの大切さ,そこからそれて諦めるのではなく,継続すること,自分が信じていることを擁護し,守ることの大切さを伝えた。

天から直接注がれる教え

オーウェン会長は,孤独の中で真理を擁護した少年時代のジョセフ・スミスについて語る。「少しの間,ジョセフ・スミスが皆さんと同じ 14 歳だったときのことを考えてください。最初の示現で天のお父様と御子にまみえた後のことです。数年間,彼には天からの訪れはありませんでした。でも彼が 17 歳になった年の 9 月 21日に,ある神権指導者の訪問を受けます。その人の名前はモロナイです。聖典によれば,彼らは面接を行ったとあります。モロナイは1度だけ訪問したのではありません。2度でもなく,3度でもなく,彼は4度訪れました。一晩のうちにです。4回目はその翌朝で,外に仕事に行っているときでした。一晩中面接を受けたのでジョセフは疲れていました。父親は息子が疲れていて何かいつもと違うと感じたので,『家に帰りなさい』と言いました。家に帰る途中で塀を乗り越えようとしたときにそこで4度目の訪問を受けるんですね。このすばらしい神権指導者はこのように言いました。『行ってお父さんに話しなさい。』彼はそのとおりにしました。聖典によれば『わたしは従った』と書いてあります。そして父親は『それは神から出たことです。ですからその使者の言ったとおりに行いなさい』と言いました。それから4年間毎年同じ日にジョセフは,光と知識を得るためにモロナイに会いに行きました。

この少年とその父親とまたその神権指導者のすばらしい関係があったからこそ,今わたしたちはモルモン書を手にすることができています。」

オーウェン会長は,リチャード・G・スコット長老が語った,御霊を通して情報を得るということについて触れた。ここには,二つの概念があるという。

最初は,水を列の一番端に持って行くことである。農業の灌漑をするときに遠くまで水を送る際は,最初にたっぷりとした水を送り込まないといけない。それは教会の本部から地域七十人へ,そしてステーク会長,ビショップ,そして会員の皆さんへ情報が伝わるためにとても大事なことである。それは,ワードの一人一人まで水が届き,さらには各々の家族にまで水が届くということを表す。

けれども,さらに大切な概念は,雨を降らせるということである。それは,御霊から教えが直接わたしたちに注がれて,わたしたちが知る必要のある福音の教えを学ぶことを表す。最も大事なことは,わたしたちが御霊とともにあって,わたしたちがいるところに雨が降るということである。

仕えることと愛すること

オーウェン姉妹は,教会堂に入ったときに強い御霊を感じたこと ,その理由は出席している人々によるものであると語った。そして,救い主がユダヤの地やアメリカ大陸で教えた人々を「世の光」と告げられたことに触れる。丘の上にある街はその光を隠すことはできず,あかりをつけているのに枡の下に置く人は誰もなく,そのろうそくの火を燭台の上に乗せて皆に見えるようにするものである。出席している各々の会員はまさしく「世の光」であり,自分の光を人々の前に輝かせることによって,人々が自分の善い行いを見て,天にいらっしゃる御父をあがめるようにしなければならない,と述べた。

一人一人が「世の光」となるための方法をオーウェン姉妹は挙げる。すなわち─自分の笑顔を絶やさないこと,さらに周囲の人々の笑顔を絶やさぬために,子供たちは親や家族に E メールや手紙,メモなどで愛する気持ちを伝えること,掃除などの手伝いや家庭の夕べの準備といった奉仕ができること。一方 , 親である会員は,子供たちが愛されていると感じるまで優しい言葉をかけ続けること,また一緒に聖典を読んだり教会に行ったりすることもできる。

オーウェン会長は,三男のジャクソンが愛し続けた飼い犬ジャッキーについて語った。子犬を飼い始めてから間もなく,他の子供たちが面倒な世話を嫌がるようになる中,ジャクソンだけが世話を申し出る。ジャクソンはそれから長年にわたり,ジャッキーの世話を欠かすことなくほぼ毎日続けた。

首輪のひもを外したジャッキーが車にひかれてけがをしたとき,ジャクソンは自転車であちこち走って捜しながらずっと泣いていた。やがて年老いた犬の最期を看取り,埋葬のために包まれた犬を抱きかかえ,穴を掘って埋めたのもジャクソンだった。

オーウェン会長夫妻は周囲の人から時々,「ジャクソンがいい人に成長したね」とたたえられることがあるという。しかしオーウェン会長は,その功績の多くは,ジャクソンが愛し続けたジャッキーによるものだと考えている。

「では何がこの経験から学べるでしょうか? 愛を持っているときにわたしたちは仕えるということです。そして仕えるときに愛し始めるということです。息子を見ていてそれを理解しました。(彼は)犬のジャッキーを15 年間世話して,ずっと愛していました。愛していたのでジャクソンはその犬に毎日仕えていたんです。これは福音と同じです。わたしたちが愛して仕えるならば,その人に対する愛が(さらに)芽生えてきます。仕えれば仕えるほど愛するようになります。そしてそれがわたしたちを幸せにするのです。わたしはこれが真実であることを証します。

ここにいる若い男性の皆さんにはジャッキーは必要ないでしょう。でも皆さんに,どのように仕えればいいのかを学んでほしいと思います。そして,いつの日か皆さんは外に出て宣教師になります。そのときまでに皆さんは,そのような気持ちを心に満たして成長させていなければなりません。そうすれば(伝道を,仕えることを,愛することを)途中で投げ出したりしないでしょう。そしていつまでも努力を続けて,続けて,続けていくでしょう。そしていつか,皆さんもわたしたちもこの地上を去ります。そのときにわたしたちは幸せになるのです。」◆