リアホナ2015年3月号 この町に末日聖徒23

この町に末日聖徒23

わたしは2014年の2月に,千葉ステークの東金ワードからシンガポール伝道部に召されました。わたしの両親はともに帰還宣教師であり,小さい頃から伝道のすばらしさについて聞いて育ってきたため,大きくなったら伝道に出たいと思っていました。専任宣教師として多くの人々に福音を分かち合うことは,福音のあるところに生まれて育ってきたわたしに神様が託した使命であると感じていました。

また,福音を通して得られる喜びと祝福を分かち合うことに1年半をささげることができたらどんなにすばらしいかと思っていました。そのため祈りをするときは「専任宣教師として伝道に出た方がいいですか」ではなく「いつ伝道に出るべきですか」と聞いていました。

伝道の召しを申請し,大管長から手紙を頂いたとき,なぜか「日本には召されない」という不思議な気持ちがしました。そして召しの手紙を開封して「シンガポール伝道部」という文字を見たときにはとても驚きました。「この地にわたしを必要としている人がいる」という強い御霊を感じ,喜びでいっぱいになりました。

多彩な民族と言語・文化背景

シンガポール伝道部のエリアはシンガポールとマレーシアとが含まれ,世界中から召された約180人の宣教師が働いており,そのうちの30人くらいが姉妹宣教師です。この伝道部にはマレー語,中国語,英語の3つの伝道言語があり,それぞれの言語を話す宣教師がいます。わたしは英語を話す宣教師として召されたため,MTCでも英語での訓練を受けました。また,この伝道部エリアはイスラム教徒であるマレー人と仏教徒である中国人,ヒンドゥー教徒であるインド人から構成され,その他にもフィリピン人やナイジェリア人がいます。ほとんどの人々がマレー語と英語を話すことができ,さらに中国語(中国語にもたくさんの方言があります)やタミル語など中には4か国語以上の言語を話せる人々も珍しくありません。このようにこの伝道部は2つの国と3つの島から成る多地域と多言語で構成されているため,3か月に1度のゾーン大会があるときは,宣教師が飛行機を利用して各地からシンガポールに集まります。

わたしはマレーシアのクアラルンプールで伝道しています。このエリアは交通手段として電車,バス,徒歩があります。わたしのエリアはバスと徒歩しか交通手段がないためバスを使う毎日です。バスは時刻表がないため早く来たらラッキーと思い,来ないときには1時間以上待たなければなりません。そのためバスを使って求道者のところに行くにも一苦労です。また横断歩道がないため,車でいっぱいの道路をタイミングを見計らって渡らなければならず,とてもスリルを感じます。だいたいは手をかざして「止まってください」と合図をすれば止まってくれますが,車の陰からたくさんのバイクがものすごいスピードで来るため気をつけなければなりません。

イスラム教徒が多数派の国

この国は6割がイスラム教徒のマレー人であり,イスラム教徒には伝道してはならないという法律でイスラム教を守っているため,宣教師は彼らにアプローチすることができません。たまにイスラム教徒の人でも,バジュ マライウ(顔以外の身体全てを覆うイスラム教徒の服)を着ていない人もいるため,人々にアプローチするときは最初に何の宗教を信じているかを聞き,見分けなくてはいけません。

マレーシアの教会は非常に小さくてステークもなく,神殿に行くにはフィリピンまで行かなくてはなりません。また場所によっては教会堂もなく(クアラルンピア),たくさんの店が連なっている所の一つを借りて集会をしているため,その地域の人々は教会がどこにあるか分かりません。イスラム教の,大きくて立派なモスクと比べるとかわいそうなくらいです。会員は少なく,ほとんどが改宗者の第一世代ですが,今年中にステークを立てるという目標を持って,宣教師は会員と一緒になって頑張っています。

会員伝道のチャレンジを越えて

わたしはクアラルンプールのスバン支部で伝道しています。この支部にはわたしたちが姉妹宣教師として初めてやって来ました。ここに来る前に伝道していたチュラス支部は治安が非常に悪くなったため,伝道部会長の判断の下に長老宣教師だけを残し,そこから引き揚げてこの支部に来ました。わたしたちがこの支部に来た当初に比べると,会員の方々はとても伝道に協力してくださるようになり,大きく成長していると感じています。

約3か月前,ゾーンリーダーの提案により,わたしたち宣教師は求道者,改宗者,活発でない会員とレッスンするときには会員を連れて来なければならないと決めました。どのレッスンにも会員の同席がなければ,すなわち会員の協力がなければ,そのレッスンはキャンセルするというルールを作りました。最初にこれを聞いたときはとても驚き,わたしと同僚とでできるだろうか,どうやっていこうかと思いました。そのときセミナリーで暗唱したマスター聖句の第1ニーファイ3章7節「わたしは行って,主が命じられたことを行います。主が命じられることには,それを成し遂げられるように主によって道が備えられており……」が頭に浮かんできました。そして神様がわたしたちに道を備えてくださるという信仰が強まり,大丈夫だという気持ちになりました。

神様は本当にわたしたちに道を備えてくださいました。3か月たった今でも大変なときはあるけれど,何とか会員の力を借りて,神様がわたしたちにしてほしいことを成し遂げることができています。

この地に召された意味

恵まれたことにわたしは今,日本人の母親そしてインド人と日本人のハーフの子供2人,合わせて3人のすばらしい家族を教える機会が与えられています。10代の女の子2人はマレーシアで育っており,英語また日本語を話すことができます。レッスンを教えるときは英語ですが,その他は日本語で話しています。この広いマレーシアとシンガポールの地域で,福音を聞く準備のできている日本人家族にこの時期に会うことができたのも本当に奇跡です。

神様がこの,福音を必要としている日本人のすばらしい家族に会うためにわたしを導いてくれたのだと強く感じました。彼女たちが,福音によって今とても幸せだと笑顔で言ってくれたときは,本当にうれしくて涙が出そうでした。この今の世の中,福音を必要としている人がたくさんいることを証します。

弱い者や純朴な者によって

わたしは宣教師として,マレーシアの人々に福音を宣べ伝えることにより,主の御業に携わる特権が与えられていることに心から喜びを感じて感謝しています。福音を学べば学ぶほど,聖典を読めば読むほど,天父とイエス様が,わたしたちが理解できないほどわたしたちを愛しておられることが分かります。毎日,大小たくさんの奇跡を見るとともに,神様の助けを受けています。

わたしたち宣教師は神様の御手であり道具であって,宣教師として主の方に立って働けることに感謝しています。教義と聖約1章23節にあるように,「わたしの完全な福音が弱い者や純朴な者(若い宣教師たち)によって世界の果て(イスラム教の国のマレーシア,いつかはイスラム教徒の人にも)まで,……宣べられている」ことを証します。神様はわたしたちにあふれる恵みと祝福を下さることにより,わたしたちにただ幸せになってほしいと望んでおられるのです。わたしは宣教師でいられて本当に幸せです。◆