リアホナ2015年3月号 「わたしの小羊を養いなさい」

「わたしの小羊を養いなさい」

─七十人 青柳弘一長老インタビュー

「イエスはシモン・ペテロに言われた,『ヨハネの子シモンよ,あなたは……わたしを愛するか』。ペテロは言った,『主よ,そうです。わたしがあなたを愛することは,あなたがご存じです』。イエスは彼に『わたしの小羊を養いなさい』と言われた。」※1

中央幹部の説教でよく使われる言葉に,Administer(アドミニスター)とMinister(ミニスター)がある。アドミニスターは「管理する」,ミニスターは「仕え,教え,導く」と翻訳される。このミニスターという言葉をめぐる深い意味について,七十人の青柳弘一長老はこう語り始めた。─「ミニスターには日本語に(一言で)当てはまるいい言葉がありません。ただ,イエス・キリストがそうであったように,『牧者となる』『羊飼いとなる』が聖文からの意味として非常にふさわしいのではないでしょうか。」

イエス・キリストは,100匹の羊のうち,99匹を野原に残して,いなくなった1匹を探し歩く羊飼いのたとえを話された。「これがミニスターを表す一番良い物語です,と(マイケル・T・)リングウッド長老が言われました。重要なのは愛の気持ちがあることです。愛しているので他のものを差し置いて、一人一人のために,自分が犠牲を払って,人任せにせず自ら出向いて,力を尽くして探しまわる。見つけたならその人を助け,養い,キリストのもとに連れ戻す。そういう事柄がミニスターの中には含まれています。」

愛の気持ち一人一人のために犠牲を払って自ら出向いて助け,養い,キリストのもとに連れ戻す。

実際に出て行って

主はペテロに,ひいては全ての指導者と会員に,「わたしの小羊を養いなさい」すなわちミニスターをするように求められた。青柳長老は続ける。「十二使徒の(デビッド・A・)ベドナー長老がステーク会長時代,ステーク評議会を行っていたとき,突然心に霊感を受けたそうです。『わたしたちはこうして集まって話しているだけで真のミニスターになっているでしょうか?今から皆で手分けをして出て行って,必要な会員を訪問して回りましょう。』こういうことが本当のミニスターですよ,とベドナー長老は言われました。

ビショップやステーク会長,その他指導者としてミニスターの責任を負っているなら,単に形式的に集会を持って討議するだけではなく,実際に評議会のメンバーが出て行って,一人一人にアプローチして声をかけ,愛を示し,彼らをキリストのもとに連れて帰る,導き,助けることが必要と感じます。じゃあわたしはかつてビショップとして,ステーク会長としてやってきただろうか─残念ながら十分にできていないんです。これを早い時期に理解していればもっと善いことができたのに,と反省しているんですけれど。」

御霊を感じられるように助ける

「(ヘンリー・B・)アイリング管長が新任の伝道部会長にこう言われました。『皆さんにとって大切なことは,プログラムを行うことだけではなく,一人一人をリフトアップ(持ち上げる)することです。』─『あ,これはミニスターのことだな』と感じました。一人一人を本当に励まし導くリフトアップの力(の源泉)は主の御霊です。ですから,失われた羊も含めてその人々が,御霊を感じられるように助ける,ここに常に焦点を合わせるとミニスターになるのではないのでしょうか。

御霊を感じられるように助ける

人が御霊を感じるのは心を開いているときです。愛を感じるときに人の心は開かれます。心を閉ざしていると,どんなにいい話,いい言葉を聞かせても馬の耳に念仏です。」

人が御霊を感じるのは心を開いているときです。愛を感じるときに人の心は開かれます。

人の心を開く鍵である愛を伝えるため,たとえばわたしたちに何ができるのか。青柳長老はさまざまな例を挙げる。「その人の今までの働きに感謝したり,その人の良いところを誠実に褒めたり。あなたは神様の前に大切な人です,と伝え,話をよく聴いて理解し,言うことに反対せず,『あなたの話しているのはこういうことですね』と確認して,『あなたの言うことは分かります』と認めて,感情移入して。もちろん,あなたを愛していますよ,と(直接)言葉にしてもいい。

心が開いていれば御霊を感じる準備ができています。わたしも伝道中によく経験しましたけれど,愛を示されると人はとても謙遜になるんです。人のしていることを褒めて『あなたはすばらしい』と言うと,『いやぁそんなことはないです』『わたしはまだだめです』と,皆さん謙遜になられます。」

謙遜になることもまた,天の力を受けるのに欠かせない条件である。ただし,青柳長老がここで語られているのは,「愛を伝えて人を謙遜にする方法」といったマニュアルやハウツーでは決してない。話はさらに霊的な核心へと入っていく。

御霊を妨げ,去らせるもの

「教義と聖約121章34節から36節を簡単に言うと,わたしたちに与えられた神権というのは天の力(36節)=主の御霊(37節),天から与えられる聖霊の力なくしては使えない,ということです。そして(37節では)この主の御霊が自分の中から遠ざかる,なくなる原因を幾つか挙げています。

(まず)自分の罪を覆い隠すということです。この罪,(すなわち)神様とわたしたちの間にある溝を理解しないといけない。神様は完全な全知全能の御方であって,それに対するわたしたちの立場は,ベニヤミン王の言葉を借りると,神が造られた大地のちりに等しい※3ものです。これはわたし個人の思いですけれど,神様の完全さ(100パーセント)に比べるとわたしたちは1パーセントにも満たない,と感じます。この差というものは,わたしたちをへりくだらせます。不完全な人間は誰でも罪を犯し,失敗をくりかえす性質を持っています。『罪を覆い隠』すとは,悔い改めていないことを指しています。

罪を覆い隠す

教義と聖約1 章31 節では,どんな小さな罪も見過ごさないと主はおっしゃっています。わたしたちは割と,そんなに大きな罪は犯していないと思いがちです。みんないい人ですからね。ところが自分で自覚していようといまいと罪を犯しているわけです。(スペンサー・W・)キンボール大管長の『赦しの奇跡』には,わたしたちには数え切れないほどの罪があると書かれています。この罪の一つ一つを覆い隠している,悔い改めをしないままでいるのは,御霊を退ける理由になると言っているんですね。それでも32節には,悔い改めて主の戒めを守る者は赦される,とあります。

イエス・キリストがニーファイ人に現れられたとき,これからは獣の血を犠牲としてささげる必要はない,その代わりに『打ち砕かれた心と悔いる霊』をささげなさい※4とおっしゃったんです。この『打ち砕かれた心(broken heart)』とは何でしょうか。

完全な神様に対してわたしたちは本当に取るに足りないものであって,この状態で『あなたがたに何か自慢できるものがあるだろうか……自分自身のことを何か少しでも言えるだろうか。言えない,とわたしはあなたがたに答える』※5,このような思い,また理解に至ってへりくだる心が『打ち砕かれた心』だと感じます。

もちろん認識している罪は悔い改めなければなりませんけれど,不完全なわたしたちには認識しないで犯す罪もあり得ます。これら全ての罪に対し,自分と神様の差を理解して,自分がいつも罪を犯していることを謙遜になって告白し,『わたしは取るに足りないものですので,罪深いわたしを赦し,助けを与えてください』※6と毎日の祈りの中で切に祈ることが必要です。

このような方法で罪を覆い隠すことがなくなると,そのときわたしたちは,キリストの贖いと贖罪を通して本当にふさわしくなれるのではないでしょうか。

もう一つは高慢ということです。自分は人と比べてよくできる,よく知っている,またほかの人と比べて金がある,このような思いが人を高慢にさせます。けれども,主の完全さの前に出たらそんなことはまったく誇るに足りません。高慢になるとき,主の御霊はわたしたちの心から離れてしまうと聖文は言っています。

高慢自分は人と比べて

そして,不義を行うとき。不義というのは悪いことです。その中には,感情的になって怒ったり怒鳴ったり,強制的に人を自分の言葉に聞き従わせようとしたりすることも含まれます。それらも全て,御霊を退けると言っています。

不義強制的

このように考えるとき,本当に主の方法によってしか神権を使うことができないことが分かります。」

神権に力を招く唯一の方法

「十二使徒のダリン・H・オークス長老が教えてくださいましたが,教義と聖約121章41節,42節の中に,神権を使うことのできる主の方法が記されています。これは要するに,人が御霊を感じられるように,愛をもって,優しく教え,諭し,導く,すなわちミニスターを行うことです。これ以外に,人に御霊を感じていただく方法はありません。わたしたちが,人が御霊を感じられるように助ける=忍耐と寛容,偽りのない愛と優しさ,純粋な主の教義をもって人を教え,導こうとするとき,天が動き,そこに天の力(=主の御霊)が与えられると聖文で言われています。

神権は,愛と御霊がなければ使うことができない。これを理解するときに本当のミニスターができるようになります。それを一番必要としているのは夫婦と親子の関係です。これはわたしにとっても大きなチャレンジですが,家族のために時間を取って,家族一人一人が愛と御霊を感じられるように常に助ける(=ミニスター,小羊を養う),それがなされるとき,昇栄する家族になっていくのだと思います。」

時間をかけて,御霊を招く

「わたしたちの大きな課題の一つは,とても忙しいことです。これが本当のミニスターがなされない原因の一つです。神権指導者が面接(や訪問)をしていても,忙しいとついつい時間を気にして,ごく表面的な会話にしかなりません。人が神権指導者(やホームティーチャーや家庭訪問教師)の愛を感じ,主の愛を感じ,心が開かれて御霊を感じるには,それなりの時間が必要です。時間をかけて愛を示されないと,人の心はなかなか簡単には開いていきません。この,時間をかけるということは日本の指導者にとってなかなかのチャレンジです。しかし,ここに焦点を合わせていけばわたしたちはもっと変われるのではないでしょうか。

例えば,神権指導者が会員に召しを伝えるとき,往々にしてビジネスライク(事務的)に用件を済ませてしまいがちです。『○○兄弟,あなたを今度新たな責任に召したいのですが,お受けいただけますか?』そうすると,準備ができている人はお受けになりますが,できていない人は断るんです。断る理由は,まず愛を感じていない,そして御霊を感じていない,または喜びを感じていないからではないでしょうか。」

聖文にあるように,偽りのない愛は人の心を大きく広げる。その人に感謝し,心からの称賛や関心を伝え,時間をかけて耳を傾けるやり取りの中で,心が開かれる。「心が開かれたとき,問題や心配事を含めて,その人の本当の関心の在りか,一番関心のあることは何か,が見いだされます。その瞬間こそ,この問題や心配事の助けとなる,関連する聖句を一緒に読むときです。そしてその聖句(のテーマ)に関係する霊的な経験談(自分の経験,あるいは他の人が主の助けによって問題を解決した経験)を分かち合います。次に,その原則が神様の真実の教えであるとをします。必要であれば一緒に祈ります。─こういう事柄が,人に御霊を感じていただくための大きな助けになります。このように時間をかけて,丁寧に,相手に愛を示し,御霊を感じられるように助けます。」

聖句霊的な経験談祈り

愛と御霊と喜びが広がる

「また教会の中でも,神権指導者や補助組織の指導者が皆,単に組織のプログラムを行うだけでなく,一人一人に対して,いつも愛と御霊を通して助け養うことに焦点を合わせるなら,すばらしいユニットになるでしょう。ホームティーチャーや家庭訪問教師がそれぞれの家を訪問したり個人的に会ったりするときに,一人一人に愛を示し,御霊を感じられるように助ける。そのことが逐一できたら,本当に多くの会員の心が持ち上げられます。もちろん,全てのホームティーチャー・家庭訪問教師に『ミニスター』を理解していただくためには,指導者が,その管理の下にある指導者にミニスターの模範をいつも示さなくてはならない,と思います。

彼らに感謝し,愛を示し,彼らの心に御霊を感じてもらいます。そして御霊を感じているときこそ,召しや責任に対しての決意を促すときです。御霊を感じるとき,人々は自分から進んで行いたいと思うようになります。全ての神権指導者,ホームティーチャーや家庭訪問教師,一人一人がキリストのような牧者になるという理解が持てたら,この愛と御霊は会員の中にどんどん広がっていくのではないでしょうか。指導者は,単に活動の計画を行うだけではなく,むしろさらに愛を,御霊を,教会から足が遠のいている人も含めてそれぞれの会員の皆さんに示すことに焦点を合わせる。そうして,彼らが愛を,御霊を感じて心に大きな喜びが広がる。これが主の求められているミニスターではないでしょうか。」(続く)◆

※1─ヨハネによる福音書 21:15

※2─ルカによる福音書15:4−5

※3─モーサヤ2:25参照

※4─3ニーファイ9:19−20参照

※5─モーサヤ2:24−25。20節も参照

※6─ルカによる福音書18:13参照(取税人の祈り)