リアホナ2015年6月号 この世における最大の守り─ 杉浦継夫,千尋夫妻の什分の一の証

この世における最大の守り─ 杉浦継夫,千尋夫妻の什分の一の証

広島ステーク 柳井支部 塩月 忍 姉妹

第3ニーファイ24 章10 節にはこのように記されている。「『わたしの家に食物があるように,什分の一をすべてわたしの倉に携えて来なさい。これをもってわたしを試み,わたしが天の窓を開いて,受け入れる余地がないほどの祝福を,あなたがたに注ぐかどうかを見なさい』と,万軍の主は言う。」

長野県茅野市に住む杉浦継夫兄弟,千尋姉妹は,この聖句について確固たる証を持っている。人生の岐路に立った際,この什分の一の戒めにしたがうことにより,まさしく「天が開く」ように祝福を与えられた経験があるからである。

現在,ウェブ広告関連の会社を経営する継夫兄弟が起業を思い立ったのは,今から4年前のことだった。当時勤めていた会社で,自分の所属する部門の業績が思わしくないことに危機感を覚えたためだったが,当初起業について相談を受けた千尋姉妹は乗り気ではなかった。

「私の父はサラリーマンで,お金は月々誰かが支払ってくれるもの,という思い込みが強くありました。起業のリスクに怖じ気づいていたのかも」とは当時を振り返った千尋姉妹の言葉である。しかし,兄弟の熱意におされ,彼女は祈り始める。そうするうちに,少しずつ気持ちは変わっていった。兄弟はまだ若い。うまくいかなければ再就職をすることだってできる。彼を信じてみよう。こうして,杉浦兄弟は33 歳で会社を退職し,起業への道を歩み始めた。それは,夫妻が培ってきた信仰を最大限働かせて主に頼る試練の日々の幕を開けでもあった。

「仕事を辞めてから,最初の月の収入は,今でも忘れません。1万円でした」

いたずらっぽく笑いながら姉妹は当時の状況を回想する。会社を退職する前に,起業のためのできる限りの備えをしてきたつもりだった。それでも自立を目指す夫妻に立ちはだかった壁は予想以上に厳しいものだった。当時杉浦家には親の手を必要とする小さなふたりの子どもがおり,姉妹が働くこともままならない状態で,生活は困窮を極めた。「20 円のチョコレートを買おうかどうしようか迷って,コンビニエンスストアの売り場を何往復もしたのを忘れられないですね」とは姉妹の言葉である。

しかし,平たんではない道にこそ,多くの主の御手が現れた。それこそが什分の一の戒めにかかわる祝福だったのである。

「あれは什分の一の祝福だったとはっきりとわかります。正直におさめてきた私たちを,主は確かに見ていて下さいました」と杉浦兄弟は断言し,経済的に厳しい状況の中で起こった数々の奇跡について,瞳を輝かせながら回想する。

困難な時期に杉浦家に降り注いだ祝福。それはまるで主が隣におられて,必要なものをどうぞと差し出してくださっているかのようだった。 収入が1万円しかなかった退職してはじめての月に,突然デザインの大きな仕事が舞い込んできた。炊飯器を皮切りに,当時次々に杉浦家の電化製品は寿命を迎えた。しかし必ず,親切な隣人からかわりのものが即座に与えられた。またこんなこともあった。突然「失業者が多くてみなさん困っていらっしゃるから」と失業保険が特別に1か月延長された。それは継夫兄弟が給付を受けていた時期だけの特例措置だったという。

数々の大小の奇跡を目の当たりにした杉浦夫妻は,主が自分たちの歩む道を後押ししてくださっているという確信を深め,日々の歩みを続けた。そして会社を離れて1年後。杉浦兄弟の月収は,就職していたときに受け取っていた給与月額を超えた。

「什分の一の戒めは,我が家にとって最も確実な貯金です。」什分の一の戒めとは,ご夫妻にとってなんですかという問いに,千尋姉妹はきっぱりと答えた。

「だって,天で神様が蓄えていてくださって,非常時になれば何倍にもなって返ってくるんですよ。地上の口座にどれだけお金を預けても,どこかで不安はありますよね。この銀行がつぶれちゃったらどうしよう,って。でも天の口座は絶対につぶれない。主が管理されているんだから。だから私は,什分の一を納める額が増えれば増えるほど本当にうれしいんです。私たちに恵んでくださる神様にこんなにお返しすることができて幸せだし,これで何が起きても大丈夫,って。」

兄弟も笑って付け加える。

「僕は昔,姉妹と結婚するときにも職がなくて,結婚の申し込みに行くのが本当に不安だったんです。でも姉妹のお父さんが『什分の一(の戒め)を守っているのなら大丈夫』とこの戒めを通して僕を認めてくれて,励ましてくれたんです。それからずっと,これほど祝福が目に見えて分かる戒めはないなと思ってきて。我が家の最強の守りは,どんな保険でもなく什分の一の戒めです。」

什分の一の戒めは,困難な時の経済的な保障や生活の安定にとどまらず,いかなる状況にあっても霊に平安を与えるもの。それを学んだ杉浦夫妻はこれからも正直に什分の一を納め,主とともに歩む決意を固めている。◆