日本の教会の開拓者たちが後世に受け継ぐ夢

日本の教会の開拓者たちが後世に受け継ぐ夢

─新潟県の湯沢町に,みくに国際学園を開校

4月28 日,新潟県南魚沼郡湯沢町に「みくに国際学園」湯沢校が設立され,開校祝賀会と学長就任式が行われた。

みくに国際学園とは,ブリガム・ヤング大学( BYU)プロボ校のアジア・中近東系言語学部で教鞭を執る渡部正和教授が開発した英語教育メソッドにより,米国の大学留学を前提とした英語力を青少年に身につけてもらうことを目的とする学校である。全寮制で,学校から寮に至るまで全ての生活は英語で行われる。またBYU と同じオーナー・コード(学則)を守ることが求められる。入学するのに教会員である必要はないが,在学中は教会の標準に従った生活をすることになる。校長をはじめとする教員は,渡部教授に教授法の薫陶を受けたアメリカ人スタッフとBYU のインターン学生が務める。

この学園は,進む少子化のため近隣の小学校が統合されて2014 年春に閉校となった旧湯沢町立三国小学校の校舎を借り受けて開校された。湯沢町議会でも承認され,無償貸与契約を地元の湯沢町と交わした。昨年の11 月4 日には既に校舎の引渡し式が行われている。

ここ湯沢町は群馬県と新潟県の県境に近く,川端康成の小説『雪国』の舞台のモデルとなったことで知られる。苗場スキーリゾートまで5 分,冬は深い雪に閉ざされる土地柄で,「勉学に集中できる環境です」と副理事長の遠藤大兄弟は笑う。実際,日本人と接することのない隔絶された環境で英語だけで生活するため,雑音が入らず,効果的に英語が身に付くという。

みくに国際学園は教会が経営する学校ではない。運営するのは国際教育研究会(IERS)─日本の次世代には,福音の回復の言語である英語を身につけ,福音の価値観に基づく学びの場が必要,との思いから2011 年に立ち上げられたNPO 法人である。その理念に共感し,私財を投じて支援しつつ手弁当で学校設立に尽力したのは日本の教会の開拓者たちであった。理事長の上野道男兄弟は仙台の開拓者で,東京神殿の神殿会長会顧問も務めた。理事や会員には,元北海道教育大学教授で元地域七十人の潟沼誠二兄弟,元地域七十人の柏倉仁兄弟,元東京神殿会長の福田眞兄弟,元福岡神殿会長の中村良昭兄弟,元仙台伝道部会長の宮下阿佐夫兄弟らをはじめ,各地で日本の教会の基を築いた教会員たちが名を連ねる。

福音の精神を体現して

初代学長に就任したのはノーマン・D・シャムウェイ兄弟である。アメリカ合衆国下院議員を1978 年から6 期12 年務めた知日派の弁護士・法学博士で,合衆国政府や政界に顔が広い。教会においては,1954 年に日本=北部極東伝道部の専任宣教師に召されて初来日。後年,夫人のルアナ姉妹とともに日本岡山=広島伝道部会長(1996 −1999),アジア北地域広報ディレクター(2000 − 2001)を歴任する。その後,教会本部での召しを経て,昨年まで日本東京神殿の神殿宣教師に召されていた。

シャムウェイご夫妻は,東京神殿宣教師の任期を終えた今年の3 月に雪深い湯沢町へやってきた。学長としての彼らの初仕事は旧三国小学校の清掃であった。1 年近く前に閉校となって以来,掃除する人もなかった校舎では,給湯システムも停止しており,手が凍るような冷たい水しか出ない。ご夫妻は雑巾を絞り,床から始めて一部屋一部屋を磨き上げ,飾りつけた。

学長就任式では,渡部教授がシャムウェイ学長を紹介する際にそのことに触れた。地元湯沢町からの多くの来賓の方々は,レーガン大統領の名代として故 三木武夫総理の葬儀に参列したほどの人が,80 歳と79 歳の身を屈め,夫婦で手ずから奉仕したことに感銘を受けていた。

田村正幸町長は祝辞で,「(シャムウェイご夫妻が)この日本を,わたしたちの町,湯沢を大切に,愛していただいているということと,そしてお二方の優しさ,温かさというものが伝わってきました」と述べた。地元の苗場地区町内会会長,師田富士男氏は「ようこそ三国へ!」と大きな声で述べ,シャムウェイ学長と固い握手を交わした。

みくに国際学園は地元との関係を大切にしている。BYU から来た研修生が地元の人々と交流して日本文化を学び,湯沢町の活性化を支援することもこの学校の目的の一つである。そこにはブリガム・ヤング大学の学是ぜ「Enter to Learn , Go Forth to Serve」(学ぶために入り,仕えるために出でゆけ)の精神が生きている。

その文化交流活動の皮切りとして,5月にはBYU ウィンドシンフォニーが湯沢町の湯沢学園を訪問し,小中学生と交流した。

個人の夢を超えて

この学校の設立は,同校のカリキュラムディレクターである渡部正和教授の37 年余にわたるライフワークであり,さらには渡部教授の父親である故 渡部正雄兄弟( 1914 − 2005)の夢であった。その夢に共感する人々の熱意が,みくに国際学園を支えている。

渡部正雄兄弟は,戦後の仙台で最初の改宗者であり,アジアで最初の祝福師に召された日本の開拓者の草分けであった。戦前から外交官として活躍し,中国語,ロシア語,英語ほか5 か国語に堪能であったという。教会翻訳者として「昇栄」という訳語を考案したことでも知られる。渡部兄弟の生涯の足跡は主に仙台と横浜に刻まれている。IRES の理事たちには生前の渡部兄弟をよく知る人々が多い。

渡部正和教授はしかし,これは父と子の単なる個人的な夢ではない,という。「シオンがあるところにはシオンの塾を建てる,と神様はおっしゃっています。開拓者は大変苦労して教育に携わりました。」ジョセフ・スミスはノーブー神殿の向かいにシオンの大学を作ろうとしたと伝えられる。

「ですから,教育というのは福音の非常に大切な一部分なんですね。シオンがあればやっぱり教育は考えないといけない。今は,日本の聖徒にとっては日本がシオンです。だからシオンの塾というものはあってもいい。ただしそれは教会が援助するのではなくて,開拓者のように教会員が皆で一所懸命,力を合わせて作っていくべきものだというのがぼくの今の考えです。ぼくだけでできることではなくて,皆さんのすばらしい才能と働きの結晶です。」

「教義と聖約には,何事も言われたことだけをしていてはいけない,※ 1 とあります。うちの父がよく言いました。『何でも言われた事を守っているのは中である。言われた事をしないのは下である。だけど,言われなくてもできる人が上である』と。同様にわたしたちは,神様のみ国建設で,自分のため,お金のため,地位のため,有名になるため……そういうことじゃなくて,神様のためになるには何をしなくてはいけないか,というのを静かに少しずつ堅実にやっていくのが,この教会の非常に大切な教えの一つだと思います。それが自由意志(Agency)であって,ですから神様にすべて言われたことだけをしていてはいけない。そうではなくて,もっと前向きに,何をしたら社会のため,そして周りの人のため貢献できるかをよく考えて実践していくのが非常に大切だと思いますね。自分本位にではなく,神様の栄光のために進むならば,きっといい奉仕,良い活動ができるのではないかと思います。」◆