リアホナ2015年1月号 孫娘の視点でとらえ直す, 家族の肖像

孫娘の視点でとらえ直す, 家族の肖像

─小冊子『 わたしの家族』で再新された家族のきずな 大阪ステーク阿倍野ワード 坂本ご家族

毎晩9 時になると,大阪ステーク阿倍野ワードの坂本家ではテレビを消し,各々の仕事や勉強の手を止めて,両親と三女の早彩姉妹の家族3 人がリビングに集まる。一日の生活の中で感じた霊的な経験を全員が順番に話していくのだ。家族の祈りを含めて5 分から10 分の小さな時間。長女の亜彩姉妹が片言で話し始めてからずっと続けてきた家族の聖典勉強が,姉たちの結婚などをきっかけにこの形に変わってから1 年以上がたっていた。

その毎晩の家族の集まりの中で出てきた会話,「系図もしないといけない。じゃあ,この時間にやろうか」─自然な流れの中で“ファミリーツリーの夕べ”は始まった。早彩姉妹は小冊子,両親はオンライン版での『わたしの家族』の完成を目指した。

ビショップの勧告で始まった

「ずっとビショップの勧告が気になっていました。」父親の坂本正孝兄弟は,当時のせき立てられた胸の内を明かす。2013 年末の什分の一の面接の際,坂本家の一人一人にも『わたしの家族』が手渡された。2014 年初めの聖餐会ではビショップから,「今年はファミリーツリー,これで行きます」との力強いビジョンを聴いた。坂本家では系図は既に提出し,儀式も行っている。しかし,『わたしの家族』には,半年を過ぎてもまだ,家族誰もがほとんど手つかずの状態だった。正孝兄弟は家長として,これではいけないと思った。同じ頃,母親の眞澄姉妹も,総大会や中央扶助協会集会で語られた家族歴史に関する勧告に心を動かされていたという。

阿倍野ワードではほどなくして,「ファミリーツリーの集い」が計画された。安息日の3 時間プログラムの全てを,ファミリーツリーに関する話やレッスンで埋め尽くすというものだ。坂本家にも発表の割り当てが与えられた。あと1 か月というせっぱ詰まった状況の中で,坂本家族は資料を持ち寄り,作業に取りかかった。

不具合が気にならなくなりました

しかし,登録しているのにログインできない。早彩姉妹のID では,生者である祖母の情報が入力できず亡くなった先祖までさかのぼれない。他にもシステム上のさまざまな不具合が続出した。「毎回,問題が山のようにありました。でも,壁にぶつかることがあってもとりあえず入力していきました。内容を埋めていくにも結構時間がかかるんです。やることはいっぱいあるんですよね」と眞澄姉妹。家族歴史相談員や家族歴史宣教師の助けも大きかった。

そのうち,不思議な心の変化が訪れる。「7 回目くらいから不具合が全然気にならなくなりました。問題があって当たり前。いつか必ず解決するだろうと。問題があることが分かってよかったとも思うようになりました。」楽観的に取り組めるようになった。やがて,「7 時頃からでも,誰かが『やろうか』と声をかけたら始めていました。気がついたら1 時間くらいはすぐにたっていましたね。」ファミリーツリーの夕べは20 回を超えた。この業を妨げる力は影をひそめ,全員が目標をやり遂げることができた。毎日が家庭の夕べのようだったという。「我が家の場合,1 週間に1 回の家庭の夕べでやろうとか思っていたらとてもできなかった。家族一緒に根を詰めてやったのがよかったのかもしれませんね」と正孝兄弟は振り返る。

8 月31日に行われた『ファミリーツリーの集い』では,完成した『わたしの家族』を基に家族の発表を行った。集会後には早彩姉妹と正孝兄弟がパワーポイントを使って,なぜファミリーツリーが進まないのか,どうしたらよいのかを考察した短いプレゼンテーションを行った。「うまくいかないことがあって当たり前,家族歴史相談員に尋ねよう,青少年時代だけでなく生涯にわたってサタンの影響力から守られる,という神様の祝福を知ることが大事」と結んだ。早彩姉妹は「教会のプログラムで,誰かの助けを必要としないプログラムは何もないと思います。できないと思ったとき,自分の力では続けられないと思ったときに,家族歴史相談員がいます。障害があって当たり前だけど,神様の戒めにはちゃんと道が備えられています」と証する。

話せたことがうれしかった

早彩姉妹の父方と母方の祖父はすでに他界しているが,両家の祖母は健在だ。「おばあちゃんについては父と母から話を聴いていたけれど,今のうちに話を聴いておこうと思いました。」坂本家は親族とのきずなを大切にしている。母方の祖母は隣の市に住んでおり,早彩姉妹は2か月に1回は祖母に会っていた。それでも,きちんと対面して話を聴く機会はこれまでにはなかった。今回,祖母から人生のストーリーを聴いてみて,「母から聴いた話と重なっている部分もありましたが,やはり直接経験した人から,その人の言葉で聞くことができてよかった。祖母は昔を思い出して話しながら,『つらかった経験も,ちょっとは良い経験だったかな。』そう思ったのではないかなと感じました」と早彩姉妹は語る。

早彩姉妹の母(眞澄姉妹)も,これまで何度か祖母に昔のことを尋ねてみたことはあるが,祖母は戦争一色だった当時を思い出すのを嫌がり,ほとんど話してくれなかったという。話し始めても,不快さが募り途中で怒り出すこともあった。爆風にあおられ手をつないで逃げた経験が,語ることで生々しくよみがえる。次第に母も,祖母から昔の話をあえて聴こうとはしなくなっていた。

しかし,孫との話を終えた数日後,祖母は眞澄姉妹に電話で心中をこう打ち明けた。「早彩がわたしの青春時代や昔のこと,とうに亡くなった母親(曾祖母)のことまで聞いてくれてすごくうれしかった。振り返って昔を思い出せたことも,その話を言葉にして早彩に話せたことも,本当にうれしかった。」あまりにも意外な祖母の言葉だった。

自分でつかんだおばあちゃん像

「祖母はどちらかというとネガティブに捉える人かな。その代わりに,いろいろなことによく気がつく人。気を回して,先々のことを読むことができる人だと感じています。」早彩姉妹は,両親から聞いたままではない,自分で捉えた祖母の肖像を『わたしの家族』にこう記した。「おばあちゃんには,よく怒られた気がする。目上の人との接し方や色々なマナーを教えてくれた。そして年齢があがると,よくほめてくれるようになった。『あんたはがんばりやさんや』そんな言葉を一番言ってくれたのは,おばあちゃんだと思う。よく気がつき,よく教えてくれる。誕生日カードを絶対欠かさず毎年くれるのもおばあちゃんだけ。こんなに丁寧に人と接することができるのは,丁寧に生きているからかもしれない。」

その言葉を聴いて,眞澄姉妹の眼から涙があふれた。「丁寧に生きている……ああそうだな,と思います。」自分の母親が娘にどう映っているのか,内心不安だった。「母は本当に厳しいんですよね。ひ孫にまで怒る。だから,娘が書いてくれたのを見て,母をそんな風に思っていてくれた,わたしが気づかなかった良さにも気づいてくれた,そのことを知ってものすごくうれしいです。」娘がもたらした慰めが胸を満たした。

病気のために入院して手術を受けたときも,臨床心理士をめざして厳しい勉強に取り組んでいたときも,早彩姉妹の気持ちや努力に気づいて,よくほめてくれた祖母。あの優しさや厳しいまでのしつけも,自分の将来を考えて丁寧に関わってくれていたということなのだ。はっとする気づき。早彩姉妹もまた丁寧に祖母の人生を聞き取り,記録することで,自分でおばあちゃん像をつかんだ。「これまでも祖母はこんな人だな,というのはなんとなくあったけれど,『わたしの家族』に書くためには言葉で表現しないといけない。人に伝わる形にしないといけないから,自分の中でまとめ直す作業があって,どういう言葉が当てはまるかを考えました。そうやってイメージが固まってきて,わたしのおばあちゃん像ができました。」祖母を誇らしく思う気持ちが膨らんでいく。「おばあちゃん像をはっきりさせることによって,わたしもこのように思われたいな,と思いました。自分もその時代になったときに,これまで何をやったかを言えるかな。祖母のように子孫にきちんと伝えられるようになりたいと思います。」

娘の言葉を一言も聞き漏らすまいと耳を凝らす眞澄姉妹。その思いは自身の子供時代にさかのぼっていく。少しの沈黙の後,眞澄姉妹は語った。「娘が『わたしの家族』を仕上げたときには感動しました。ここなんだ! と思いました。娘や孫の世代が,先祖について思いをはせたり,言葉でまとめることで,自分自身が分かってくる。わたしも家族歴史を通して,子供時代はあまり恵まれない家庭環境だったけれど,その中でも精いっぱいのもの,親として与えられる最高のものを子供にささげてくれていたこと,その愛に気づくことができました。」眞澄姉妹はオンライン版の『わたしの家族』に,変化していく母親への思いを更新していこうと思っている。

娘から聞く先祖の心

父方の祖母は89 歳。自宅から歩いて10 分の所に住んでいる。早彩姉妹も眞澄姉妹もこれまで一度も祖母が怒ったところを見たことがない。だから最初,早彩姉妹は,ほのぼのとしたぼんやりした人かなと思った。が,父や伯母から,昔はすごく厳しい人だったと聞いた。「さぞ穏やかな人なのだろうと思っていたが,実はすごく厳しい人だったとか。ということは,気がつかない性格ではなく,気がつかないように見せているということなのだろうか。」祖母の意図を読み取って,早彩姉妹はこう記した。眞澄姉妹も同意する。「意思があるよね。全部含めて受け止めている。」

正孝兄弟は記憶をたぐりつつしみじみと語った。「いつからだったかなあ。結婚したらまったく怒らなくなった。わたしのあるがままを受け入れようとしてくれている。きっと自分の思いはいろいろあると思うけれどね。」感謝の念が込み上げてくる。秘められていた祖母の思いが,孫娘の記録を手がかりにひもとかれていく。89 歳にして,子供や孫や友達が絶えず訪れるという忙しい祖母。その人望は,「持って生まれたものかと思っていたけれども,努力の結果なのかもしれない」と考察する早彩姉妹。祖母の奥底にある気高い特質を見いだしていく娘の言葉に,襟を正して聞き入る父の姿があった。

素直に従うことが大事

「わたしの中の(家族歴史の)始まりは,ビショップから,青少年が自分のID とパスワードを持っているかどうか確かめるように,と言われたことでした。」早彩姉妹はワード若い女性会長会顧問の召しを受けている。まずは指導者の自分がID を持っているか確認することから始まった。「わたしの場合,父母がこれまで調べてきた積み重ねがあったので,システムの問題以外は全然苦労しませんでした。『わたしの家族』を書き進めている中盤くらいから,この後自分がなすべきことは何だろう,これをどうやって青少年に伝えていこうかと考えるようになりました。」さまざまな事情で思うように進められない青少年をサポートすること,これが自分のするべきことだと感じた。「自分は何も特別なことはしていない。青少年にはそんなにたいした作業じゃないよ,と言いたいんですよね。家族歴史相談員も助けてくれる。まずは言われたことをやってみようよ,ということかな。」

「そのとおりなんです。ビショップの言うことを素直にやるのが本当に大事なんですよ。」父親の正孝兄弟が間髪を入れずに言葉を挟む。「40年前に教会に入ったとき,ビショップから先祖の探求のために戸籍謄本を取るようにと言われました。素直に謄本をいっぱい取ったのでよかった。今回も,ビショップに言われたことをやったので,何か意味があると思っています。」作業の途中で,これまでどうしても見いだせなかった先祖の名前が分かるという奇跡も経験した。「さて,主はある賢明な目的のために,わたしにこの版を造るように命じられたが,その目的はわたしには分からない。しかし,主は初めからすべてのことを御存じである。」(1 ニーファイ9:5 - 6)

眞澄姉妹は実は当初,「誰かが触るとややこしくなるので,自分が入力した家族歴史にあまり触ってほしくないとの思いがありました」という。彼女もまた心の変化を経験した。「『わたしの家族』をやって,視点が変わってきました。子供たちが先祖を知ることが大事。子孫のために(記録を)残すのではなく,子孫に引き継いでいくことに意味がある。こつこつと自分でやっていた作業だけど,それを開放していくことが子供たちのためになるんだと。ずいぶん考えが変わりました。」

早彩姉妹も証する。「『わたしの家族』に集中して取り組んでいるとき,自分は守られている,誘惑から遠ざけられていると感じました。」今,早彩姉妹の関心は青少年とその先祖の救いに向けられている。

坂本家族は,『わたしの家族』に取り組んだことで,家族間での尊敬や理解が深まり,自分が大きな家族の一員であるとの自覚と誇りも強まったと実感している。坂本家に生まれてきたことへの感謝,自分がなすべきことへの洞察,子孫が発する言葉の重み─穏やかで楽しい語らいの中に,家族歴史がもたらす計り知れない影響力の一端を見た思いがした。◆