リアホナ2015年1月号 日本福岡神殿の金城正之会長が急逝される

日本福岡神殿の金城正之会長が急逝される

─「愛すること,助け合うこと,一致すること」を体現した生涯

2014 年9月4日午前2 時10分,福岡神殿会長の金城正之兄弟が福岡市内の病院で家族に見守られながら逝去された。享年69 ,神殿会長としての召し半ばでのことだった。

金城会長は1944 年(昭和19 年)に沖縄県那覇市首里に生まれた。1970年に広島地方検察庁検事に任官し,その2 年後に文子姉妹と結婚。1975 年に那覇地方検察庁へ転勤した。1981 年,宣教師の戸別訪問によって福音を知り,同年7月,首里ワードにおいて3人の娘を連れて夫婦でバプテスマを受けた。

さまざまな地方へ転勤する中で,ビショップリック顧問や支部会長,インスティテュート教師,伝道主任,大祭司グループリーダー,日本那覇ステーク会長などの職を果たし,2012 年11月に日本福岡神殿会長に召される。当時,金城会長は沖縄でたった1人の那覇公証人として勤務しており,後任に引き継ぎを終えるまでの数か月間は,月曜から水曜までの3日間を沖縄で公証人として働き,木曜から土曜までの3日間を福岡神殿会長として神殿で奉仕した。全ての時間を神殿奉仕に使えるようになってからは精力的にワードや支部を訪問し「あなたの居場所は神殿ですよ」と多くの会員に呼びかけた。

「主の召しを全うして燃え尽きたい」

2013 年8月に入った頃,文子姉妹は金城会長の体力の低下を感じるようになった。召しを受ける段階で間質性肺炎を疑われていたことが文子姉妹の心をよぎる。「少し休んでほしい。」文子姉妹の心配をよそに金城会長は,疲れを知らない若者のように働く。

11 月に入って金城会長は風邪を引き,こじらせてしまった。これが引き金になって自宅と神殿に酸素ボンベを置くようになる。奉仕中に酸素が必要となる局面が出てきたものの,障害を物ともせず,酸素ボンベを引っ張りながら笑顔で皆を迎え送りする。口癖の『愛すること,助け合うこと,一致すること』をモットーに愛にあふれた神殿を保つ。しかし,金城会長の思いとは裏腹に体力は落ち続け,酸素吸入が頻繁になり,あっという間に24 時間酸素を補わなければならなくなった。「それで神殿の年末の休館に合わせて暖かくなるまで療養してもらうことにしました」と文子姉妹は語る。神殿で奉仕する文子姉妹と離れて沖縄の自宅に帰り,2014 年3 月まで休養を取った。

「『療養生活で長く生きることも大切だけれど,自分は主の召しを全うして燃え尽きたい』と何度も言っていました。その覚悟が兄弟にはあって,酸素吸入をしながら(の状態で)6月に神殿へ戻りました。」会員たちは酸素ボンベを引っ張って歩く金城会長を目にするようになる。それから入院するまでの約3か月,金城会長はひるむことなく奉仕を続けた。「きちんきちんと最後までやり通す人ですから,少しくらい風邪気味でも,『大丈夫だ』と朝早くから面接をして,訓練集会をしてと全てこなすわけですね。たまには酸素が外れたまま2 時間も気づかずにいて,周囲の人が『これはもう奇跡ですね』と驚くくらいでした」と文子姉妹は振り返る。

「神殿会長会第一顧問の白石会長ご夫妻,第二顧問の赤木会長ご夫妻は,『わたしたちは金城会長の船に乗ったので,最後まで金城会長とともに頑張ります』と言われ,わたしたち夫婦を支えて助けてくださいました。また神殿ワーカーの皆さん,会員の皆さんが助けてくださいました。心から感謝しています。」

励まされた会員たち

金城会長は,7 月28日に入院する直前までいつもと変わらない奉仕を神殿で続けた。この,全てを主にささげて奉仕する姿が多くの会員や指導者の心を打つ。「これから伝道に出る若い会員たちが,面接と按手任命を受けるために福岡神殿に入ったときに,酸素吸入をしながら頑張っている金城会長の姿を見て涙を流し,このように言っていました。『わたしが伝道で試練に遭ったときには,金城会長のことを思い出して頑張っていきたいと思います。』大きな問題を抱えた方も『元気な金城会長もよかったけれど,こんなになって頑張る会長から力をもらえます。頑張れます』と言っていました。重い病気を抱えた人たちは『何もかも順調で幸せな人にはわたしたちの苦しみを伝えても分からない。でも金城会長はこんな状態で頑張っているのでわたしたちの気持ちを本当に分かってくれる』とおっしゃるんです。」金城会長の隣で文子姉妹は多くの会員の言葉を聞いた。

「九州のステーク会長さんたち指導者も(金城会長が)休んでいる神殿会長室にやってきてはひざまずいて手を握り,『金城会長に会うだけで力を頂いています。生き方が変わりました。頑張れます』と言われるんです。そういった方たちの姿を見るたびに,神様がおっしゃった『神を愛し,隣人を愛しなさい』という戒め,愛して思いやって助けることがいかに大切かを(学びました)。たくさんの教義を覚えることよりも,相手に尽くすことが神様の求められていることかなと学びました。」

心臓の鼓動の続く限り

入院後も少しずつ体調は悪化し,8 月28日に容態が危ないと感じた文子姉妹は,沖縄に住む3人の娘に電話をする。入院していることすら知らなかった長女のみゆき姉妹,次女の瑞枝姉妹,三女の正代姉妹はそれぞれの家族(2歳から小学生の孫8人と夫)とともに翌29日,父親のもとに集合した。「(3家族)14人みんなが(病室に)来て,そのとき父は意識が朦朧としていたんですけれど,孫たちが声をかけて歌を歌って,夫たちが頭に手を置いて祝福をした直後に目を開けて『あぁ!』と全員を確認したんです」と長女のみゆき姉妹は語る。

それから毎日,孫たちは病室を訪れ賛美歌を歌って聞かせた。金城会長は話すことはできなかったものの目で喜びを表現し,手を握り指でさすることで愛を示した。文子姉妹も,金城会長のそばを片時も離れることはなかった。「その様子を見ていたある看護師さんが,『家族,夫婦のあり方を学ばせてもらいました。孫たちが毎日おじいちゃんと言って毎日お見舞いに来たり,奥さんがずっと毎日付き添っているのは,なかなか見たことはありません』とおっしゃられて,先生や看護師さんの態度がどんどん変わってきて,最後の最後まで大事に細やかにやってくれました」と文子姉妹は感謝する。温かい看護と治療の中で,家族に看み取られながら金城会長は末期を迎えた。

棺に収められた金城会長は多くの会員に見守られながら福岡を後にし,沖縄の多くの会員に迎えられて自宅に戻った。自宅には,長らくお休みをしていた会員や,金城会長にお世話になったという会員が多く集まった。「告別式は沖縄那覇ステークセンターで行いました。全ての準備を多くの教会員たちが心からの奉仕で行ってくださいました。また,たくさんの心温まるお手紙も頂きました。多くの方々の助けにより,神様の愛と御霊をあふれるほどに感じ,悲しみよりも感謝の気持ちで満たされました。この愛と親切がどれほどわたしたち家族を力強く勇気づけ,支えとなったことか。愛と思いやりの助けが一番だと。皆様を通して神様の御心を感じることができました」と文子姉妹は述懐する。

告別式で,地域七十人の田代浩三長老はこう弔辞を述べた。「福岡神殿に参入すると,愛する金城会長とメイトロンが愛に満ちた優しい笑顔でわたしたちを温かく迎えてくださいました。そのお顔が今もはっきりと浮かびます。金城会長は病気が悪化されても酸素ボンベをおつけになられてご奉仕されました。そのお姿から,ニール・A・マックスウェル長老のお言葉(が浮かびます。)『心臓の鼓動の続く限り,その鼓動している時間の幾らかは人に手を差し伸べるために用いるべきです。また肺に息のある限り,その息の幾分かは,しかるべき賞賛と必要な励ましを人に送るために用いるべきです。』まことにそのようであられました。」

人々に手を差し伸べ,強い影響を及ぼす

送られてきた手紙やメールの中に一人の姉妹の手紙があった。金城会長が宮古島で支部会長をしていた頃から知っている姉妹だ。彼女が独身の頃,金城会長は伝道に出るための手助けをした。精神面だけでなく経済的にも困っている彼女に,文子姉妹にも本人にも言わず,金銭的な援助をした。彼女が後に,「伝道資金を援助してくれたのは金城兄弟ではないですか」と問いかけたとき,金城会長は,「姉妹,それは足長おじさんがやったと思った方がいいですよ」とかわした。結婚して子供が生まれ,彼女が幼い子供を抱えて独り身になってからは家族のように寄り添った。子供たちは大きくなっても金城会長の誘いに応えていつも集まった。子供たちにとって金城会長は父親代わり,おじいちゃん代わりだった。きょうだいのうち二人が伝道に行き,一人は教会の大学に進学した。姉妹の手紙には,「金城ご夫妻の助けがなければ子供たちは順調に育ってはいません。わたしも心を病んだかもしれません」とあった。感謝の詰まった手紙やメールが金城家には今も届く。

金城会長は35 年余にわたり日記をつけていた。入院直前あたりから書くことが難しくなり,日付だけのページが続く。その中で7月23日の日記を文子姉妹は「わたしたちへの遺言です」と言う。「7月23日(水)あなた方が立ち直った時は,兄弟たちを力づけてやりなさい。ルカ22:32 。まことに改心した人は,贖罪の力により,自らの魂に救いを得,その後その人を知るすべての人々に手を差し伸べて,強い影響を及ぼすのです。ヨシュア24:31」

文字の形も大小まばらで行も乱れている。苦しい息の下,金城会長の思いが聖句でつづられていた。その思いを受け継ぎ,これまで金城会長が手を差し伸べてきた独り身の兄弟姉妹に対して,「これからはわたしたちが兄弟の代わりに,その人たちに目を向けて,ただ思いやるのではなくて形(に表すこと)で,兄弟の気持ちを形作っていこうと計画を立てています」と文子姉妹は話す。

長年の公務での功労により,2014 年11月に天皇陛下より,叙位叙勲・従四位瑞宝小綬章を授与された金城兄弟。そうした全てが思い出につながっていく。「困ったときには神様に祈りながら,ここ(遺影の前)で主人に話したりすると必ず助けがあるんですよ。わたしだけじゃなくて家族みんなに。そして心を打つ経験がいっぱいあって,本当にいつも(わたしたちの)そばにいて,神様と主人が見守っていてくれているなって感じます。」「今,苦しかった病苦から解放されて元気で伝道している,神様のもとにいる,ということがいろいろな形で伝えられます。神様とともにわたしたちを守っているし頑張っているから,わたしたちも胸を張って会えるように,自分たちの生き方を見直して頑張りたいですね。」すがすがしい表情で語る文子姉妹の後ろで,遺影の金城会長の満面の笑顔が輝いていた。◆