リアホナ2015年12月号 サム・K・島袋長老が逝去される

サム・K・島袋長老が逝去される

日本とアジア北地域の聖徒に献身した生涯

教会の名誉中央幹部であるサム・K・島袋長老が,去る10月8日にハワイ州ホノルルで逝去された。享年90。

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沖縄からハワイのオアフ島へ1908 年に移民した両親のもと,1925 年に日系二世として生まれた島袋長老は,高校生のときに福音を知って改宗する。苦労して伝道資金をため,1954 年(29 歳)から3 年間,北部極東伝道部の専任宣教師として初めて日本の土を踏んだ。

島袋長老は1956 年4 月,沖縄に赴任した最初の宣教師である。「わたしの両親の故郷に伝道を開き,自分がその責任に向けられたこと……大きな感謝と喜びを覚えました。……わたしの祝福文の中に,自分の祖国に伝道に行くと書かれていますが,当時は伝道資金もなく,現実的にそれを実感していませんでした。祖国といっても日本というくらいの考えでしたが,日本で伝道中に沖縄での伝道が開始されたことはまさしく主の御心であったのだと感じています。わたしは沖縄での最初の宣教師として召されたことを誇りに思っています。」

島袋長老は,日本での伝道中に出会った群馬県出身の広瀬道子姉妹と,1957 年にハワイ神殿で結婚する。ハワイ州労働部で官吏として働き,一人娘を授かるも,15 歳のときに病気で先立たれてしまう。

「そのようなつらい経験をしたとき,もし福音がなかったら全てがばらばらになってしまったことでしょう。」(島袋長老)─道子姉妹は島袋長老について,強い信仰を持った親切で誠実な人,と述べ,夫の励ましのおかげで娘を失った悲しみを乗り越えることができたと語っている。

後に日本仙台伝道部会長(1981 年−1984 年),東京神殿会長(1985 年−1988 年)を務めた島袋長老は,振り返ってこう語った。「全て,妻のおかげです。妻が助けてくれたので,自分の意思をうまく伝えることができるようになり,日本の聖徒たちと親しくなれたの
です。」
神殿会長の召しを終え,故郷のオアフ島に戻って静かな生活ができると期待していた島袋長老。ところがほどなく,ハワイ州ホノルル西ステーク会長に召される。「まるで揺り起こされるような経験でした。」しかしそれも,1991 年,ゴードン・B・ヒンクレー長老に呼ばれ,秋の総大会で中央幹部(七十人第二定員会)に召された衝撃に比べれば,取るに足らないことだった。1991年10 月1日,世界で22 番目の地域としてアジア北地域が創設され,島袋長老は初代地域会長会の第二顧問となる。


1992 年春の総大会の話者としてソルトレーク・シティーのタバナクルに登壇した島袋長老は,ユーモアを込めてこう語った。
「もし,話者の奥さんの不安や心配によって,総大会での話が必ず成功するというのであれば,わたしの話はもう成功したも同然だと言えるでしょう。なぜなら,妻の心配は相当なもので,わたしの話だけでなく,この説教壇でこれまで話された方々やこれから話される方々の分まで,成功を保証してくれるほどだからです。これほどまで心配してくれる妻がいるというのは,なんとすばらしい祝福でしょうか。」
その後もアジア北地域を管理した島袋長老は,1995 年には地域会長会第一顧問となり,翌1996 年秋の総大会で七十人を名誉の解任となった。


解任後はハワイで暮らしていた。その晩年は「控え目で謙遜な方で,目立って表に出るようなことはありませんでした」と,長く
ハワイで暮らしてきたアジア北地域会長のスコット・D・ホワイティング長老は語る。
90 年の生涯を終え,その行程を走り抜いた島袋長老は,霊界で娘さんと再会し,新たな人生の始まりを迎えていることだろう。◆