リアホナ2014年9月号 人の話に耳を傾けることの力─ファミリーサービス宣教師の働き

人の話に耳を傾けることの力─ファミリーサービス宣教師の働き

(LDSファミリーサービス)

「傾聴という言葉があります。耳を傾けるという意味なんですけれど,それだけでもとても気が楽になる方もいっぱいいらっしゃるんだと気がつきました。」─教会奉仕宣教師の岡村雅博長老と寿美子姉妹は,札幌西ステークで,LDS ファミリーサービス地区コーディネーターとして活躍している。その役割は,情緒的・社会的な問題を抱えた会員を養う教会指導者の支援をすること。すなわち,「ともに話し合い,利用できるあらゆる手段を使い,聖霊の導きを求め,主に確認を求め,その後,袖をまくって仕事に取りかかるのです。」※ 1 その多様な働き※ 2 の中で,悩みを抱えた教会員の話に直接,耳を傾ける機会も頻繁にあるという。

異色の警察官

岡村長老はかつて警察官だった。交通課部門の勤務が長く,その関係で,いわゆる暴走族の少年たちと関わることも多かった。「中学生,高校生ですね。中には無免許も当然います。不法改造車両とか,どっかに隠して乗り回すんですね。」

「一般の人から見ると暴走族は怖い集団だと思われるでしょうけど,個人的に付き合うと普通の同世代の少年と変わらず実にかわいいもので。例えば暴走族をやめて就職して子供が生まれたといっては子供を抱いて見せに来たり,自分の父親が亡くなったといってはわざわざ知らせに来てくれたり。」そんな信頼関係は一朝一夕には築けない。なぜ岡村兄弟はそこまで慕われたのか。

岡村兄弟はその頃,暴走行為をする少年たちの家庭訪問をしていた。そこまでする警察官はそれまでいなかった。威圧感を与えないように,少年たちと接するときは常に私服である。「家まで行って親の了解をもらって部屋に上がり込んで一緒に座って話をするんです。(暴走行為を)やめろって言ったってやめないので,『どうしたの? みんな悲しんでるよ』って聞きます。何度も家庭訪問して,家に行っては話をして─そうすると少しずつ,心を開いていきます。『この人,今までと違うな』って思ったんじゃないですか。そうすると親も安心するんです。」

いわゆる「族の集会」にも足を運んだ。そんな場所に警察官が来ると普通は煙たがられるものだ。「だけどそうでもなかったです。集会なんかに行っても全然。けっこう近くまで(寄ります)。(少年たちは)いろいろ旗を作ったりするんですが,『いいなこれ』って言うと『分かる?』,『時間かかっただろう?』,『うん』……本当は(警察官としては)だめなのかもしれないですけれど,こういうやり取りを通して相手が心を開いていくように思います。もちろん違法行為があると徹底的に検挙しましたけど。」

こんなこともあった。もう四半世紀近く前,まだ小さかった,女の子二人と男の子二人の子供たちを連れて岡村兄弟は地元のお祭りに出かけた。すると,綿あめを売っている暴力団関係者が「あ,岡村さーん」と言って子供たちに綿あめをくれる。岡村兄弟は警察官として借りを作るわけにはいかないから,綿あめの値段相当のおでんを他の屋台から買って来て「これ食べてください」と差し入れたという。

「なぜその人が優しかったかというと─」と岡村姉妹は説明する。「その人が書類を提出するときに,読めない字や書けない字があるとき,他の警察官から馬鹿にされたことがあったらしいのです。ところがうちのお父さんは馬鹿にしないできちっと教えた,それがすごくうれしかったみたいです。主人のいいところは偉そうにものを言わないところです。お父さんは警察官としては異色だったと思います。」

フラットな関係

岡村長老は語る。「やっぱり取り調べについても人と人との対話ですので。(傾聴と)質は違うんですけれど,どういうふうに相手がうそを言っているのを見抜くか,引き出すか,しゃべらせるかというのは結構得意ですよ。」しかし,それは警察官としての職業柄身につけたものではないという。「これはね,教会の教えや訓練の中で培われたものですよ。教会で習ってきたことを一貫した態度でしていたということです。(人が心を開くのには)時間がかかりますよね。上と下の立場じゃない,警察官と少年の立場じゃなくて,畳の上に普通にあぐらをかいて二人で顔を合わせて,同じ目線で話していると,ようやく心を開いて本当のことを話してくれるようになります。」

岡村姉妹はかつて,保育園で保育士として働いていた。退職時に,園長先生や他の先生方から,「一緒に働きやすいのでパートとしてでも(岡村姉妹を)再び職場に入れてください」という声が上がった。「教会では年功序列ではなく若い人が組織の会長になることがあります。だから,若い保育士さんが自分の上にいても何の問題もなく働けるんです。若いのにとか,言い方が生意気とか,わたしは全然思わないですね。そういうことを知らず知らずのうちに教会の中で学んでいるんだなあと思いました。」─つまり,岡村兄弟も姉妹も,フラット(対等)な関係で人と接することのできる人なのだ。

子育ても傾聴

やがて子供たちが成長してくると,疾風怒濤の反抗期を岡村ご夫妻は経験する。岡村姉妹はこう振り返る。「大変でしたよ。息子たち自身が言います,『おれの反抗期はすごかったもんな,よく見捨てなかったよな』って。」

父親を避け,しょっちゅうイライラし,問題行動を起こす子供たちにうろたえる岡村姉妹。「わたしは具体的に言いすぎてはじかれた(反発された)んです。『最近遅いけど,どこに行っているの!?』とか,悪いところを注意するんですけれど。」

ところがそんな時期に,「親父の小言は世界一だよな」と息子さんが洩らしたことがあったという。一体どんな小言だったのだろう。─「主人は,まず『最近調子どう?』って言うんです。『え,何のこと?』みたいなところから話していくんです。でも警察官ですから怖いところもあって,何回か同じことを聞いて,『さっき言ったことと違うだろ』みたいな(笑)。」

岡村長老はこう語る。「(相手の心を開くのは)技術とかそういうのじゃないんですね。相手に安心させて,嫌なことを言わないで,悪いことは悪いんだけれど,そういうことはあまり言わないで(相手の本当の気持ちを)聞き出していく。責めない。そういうことですね。」

反抗期の息子にも,暴走行為をする少年たちのときと同じように接した。

岡村長老は,どんなことにも動じない父親だったのだろうか。─「いや,(子供の問題行動に)オロオロしますよ。するんですけれど,そのことの事実で責めてもしかたのないことってあるでしょ。それが,例えば子供の人格の全てじゃないんで,それはそれでしょうがない。本人だって悪いことは悪いって知っています。そんな状態でも将来の希望があるから。今は立派な社会人になっています。」─その子供たちも既に30 代になっている。実際,反抗期が収まってから,「母さん,俺たちって仲いいよな」と息子さんが言うほど親子関係は良好になった。

「娘に,『お母さんと話すのがわたしの慰めだった』と言われたんです」と岡村姉妹はうれしそうに言う。「『よく頑張ってるね。お母さんだったらその年でそんなこと分からなかった』とか,『お母さんだったらそんなに我慢しないで泣いちゃうね』と正直な気持ちを言うんです。母親だからといって上から物を言うのは自分も嫌ですし。いろいろな経験を通して人の話を聴くことの大切さを感じてきたように思います。」

隣人を家族と思って

職業上での経験,子育てでの経験─そうした経験は現在,ファミリーサービス宣教師として岡村ご夫妻が教会員の話に耳を傾ける際に生かされている。

「今は召しとして,かつて子供にしたように,何かあったらわたしたちが話を聴きに行って一緒に考える。子育ての延長線上かもしれないですね」と岡村長老。

岡村姉妹も言う。「根がおしゃべりなので,余計なことを言いたくなるんですけれど,今は耳を傾けるときだと自分に言い聞かせて話を聴いていると,その人の本当の悩みが少しずつ分かってくる。それに,その人のいいところを見つけて『こんないいところがあるよね』って伝えるのがわたし好きなんです。ほとんどの方が『わたし何もないよ』って言うんですけれど,話していると,『わたしそんないいところがある?』と言って明るい顔になる人を見るとき,本当に喜びを感じます。」

岡村長老は時に,「(相手に)ずばっと(率直に)言うこともあります」と言う。「そういうときは,自分の子供と話しているように精いっぱい考えて話します。一人の教会員として接するのではなく,家族だと思えば,こっちも真剣になるんですよね。この召しを頂くまでそんなふうに思ったことはありませんでした」

それは,バプテスマの聖約そのものだ。「互いに重荷を負い合うことを望み,また,悲しむ者とともに悲しみ,慰めの要る者を慰めることを望み……」※ 3

最近,こんなことがあった。あるときなぜかふと,岡村姉妹の心に,かねてからの友人だがしばらく会っていない教会員のことが浮かんできた。「何か気になったんですよね。」─それは御霊のささやきかもしれない。

折しも5 月28 日,十二使徒のD・トッド・クリストファーソン長老が札幌を訪問され,特別ディボーショナルが開かれた。その会場に来るはずの,心に懸かるその人のために,岡村ご夫妻はケーキを焼いてレシピとともに持参し,手渡した。すると,「すごい喜びのメール」が返ってきたという。

その人に何かあったのか,これが何かの慰めになったのか,岡村ご夫妻には分からない。けれどもその人を家族のように思い,「ともに喜」※ 4 んだのは確かなことだった。相手の心を開くのは技術ではないんです

安心させて,嫌なことは言わないでほんとうの気持ちを聞き出していく責めない。そういうことですね

5月28日はクリストファーソン長老ご夫妻の結婚記念日だった。札幌ステークの岡村ご夫妻もこの日,その会場でケーキを贈った。「会って,握手するだけでもい

リソースクラス

もう一つ,岡村ご夫妻が力を注いでいるのが,各ユニットにおける「リソースクラス」の開催である。これは,家族関係をはじめ対人関係がうまくいくようになる具体的な方法(ソーシャルスキル)を学んで実践するクラスである。

岡村ご夫妻は例えば,こんなロールプレイ(寸劇)を作る。ご主人が仕事から疲れて帰って来ると,家中,子供のおもちゃがひっくり返っていて,ご飯もできていない。それは雪の降る寒い日で,子供が熱を出していて,奥さんは子供をずっと抱いて病院に連れて行った。そのうえご主人が帰って来るので駐車場の雪かきもして,くたくただった。……さあ,どうしますか? と岡村ご夫妻はクラスに問いかける。

「何だ,片付いていないじゃないか。女房は家の中を片付けるのが当たり前だろう。家のことをするから家内って言うんだろう!」─「わたしの話も聞いてくれないで,こんな人と結婚するんじゃなかった!」……ご夫妻の迫真の演技にクラスは大受けだ。

実はこうした事例は,かつて岡村家で起こったことを素材にしている。「(リソースクラスで)わたしたちの子育てや家族の失敗を結構暴露するんです。それを聞いて皆さん安心するようです。おそらく皆さんもいろいろ失敗しているんじゃないかと思うんですけど,うちなんか失敗の連続だから(笑)。皆さんから,『身体を張っていますね』とよく言われます。」

ちなみに先のケース,岡村家で実際にあった解決法は,「ユーモア」である。ごちゃごちゃの部屋を目にして兄弟は思わず「泥棒が入ったのか?!」姉妹はすかさず「妻子は無事です!」─お互いに笑って,喧嘩にならなかった。

I Message/You Message

この春,「結婚生活を強める」のリソースクラスを教えていたとき,岡村長老の作った大切な配付資料を姉妹が忘れて来たことがあった。姉妹はその瞬間をこう振り返る。「主人も焦ったんですよ。皆は,この夫婦どうなるんだろう?って固唾をのんで見ているんです。そのときわたしとっさに,『お父さん,アイメッセージで今の気持ちを言って!』って言ったんです。

すごく腹が立ったときに『何やってるんだ!』と相手( You )を責める言葉(ユーメッセ―ジ)を使うのじゃなくて,自分( I )が今どういうことを感じているかを伝える言葉(アイメッセージ)を使うことを勉強していたんです。─そうしたら主人は,『ぼくは悲しい』って。そういうふうに言われれば,自分が資料を忘れたことに対して申し訳なかったなと思うと同時に,そう言われたことを感謝するんですね。

おうちで何かあったときにそういう言い方をすれば喧嘩にならないでうまく乗り越えられる。聞いていた皆は『実践編だった,勉強になった』って笑って。─リソースクラスにはそういう知恵がいっぱい詰まっているんです。」

岡村長老は述懐する。「教会はこれだけ,個人個人を大事にしていろんな問題に対処しようとしているのだと,この責任を通じて初めて分かりました。

傾聴とリソースクラスでいろいろなことが解決できた。僕ぼくが解決するんじゃなくて,教会員一人一人が自分で解決の糸口を見つけることができる。そうすると少しビショップが楽になるでしょう。

リソースクラスに参加している教会員が,『こんなに高度なことを教会でやっていたんですね』と驚いていました。本当にすばらしいプログラムです。」─岡村姉妹も口を揃える。「皆さんにあまり知られていないのが残念。すごいプログラムなのにね。」◆