リアホナ2014年9月号 作用される者ではなく,作用する者に

作用される者ではなく,作用する者に

─「 反転授業」を実践する山梨大学教授の森澤正之兄弟(町田ステーク甲府ワード)

今年6 月11 日,「NHK ニュースおはよう日本」で,「反転授業」を実践している山梨大学工学部の取り組みとその成果が放送された。※ 1 従来,学生は大学で講義を聞いて知識を習得し,家に帰ってレポートや演習問題を解いて理解を深めてきた。これに対し,大学と家の位置づけを反転したのが「反転授業」だ。あらかじめ家で,インターネットで配信された講義の動画を視聴し,そこで得た知識を基に,大学では議論や発表を行うことで理解を深めていく。

アメリカでは初等中等教育機関で普及が進み,幾つかの大学でも実践され始めている 「反転授業」を,山梨大学では2 年前から導入した。そのプロジェクトに最初に取り組んだ一人が工学部教授の森澤正之兄弟だ。

森澤兄弟は小学生の頃から,将来は電子工学の研究をする,そのために大学の工学部に進むと決めていた。高校の3 年生で改宗し,大学3 年のとき専任宣教師として伝道に出る。「わたしは改宗者ですから,伝道に出るには伝道資金を蓄え,大学の休学許可と親の許可を取り付けなければなりませんでした。できそうもないな,とも思いましたが取りあえずやってみました。」大学の先生と両親に納得してもらうために良い成績を維持し,アルバイトをして資金をためる。そうして2 年間準備し,ある程度の資金もできたとき,伝道に出たいと告げた。「そこそこいい成績も取れていましたので,休学も許可され,親も30 分で説得できました。」

その後の進路を決める際には,自分が選んだ信仰にかなう道を求めた。「大学での仕事はある意味で自由度がかなり高い。安息日を守りたいので,日曜日に休める大学での就職を選びました。」卒業後,山梨大学に助手として就職。その後,研究を重ね,2013 年1月に大学院教授に就任する。そうした来し方を振り返り,「本当にラッキーというか,自分の力以上に祝福されました」と森澤兄弟は謙遜に語る。

「大変なことに思えても,主を信じてやってみれば何とかなるものです。」信仰をもって,選択の自由を使って行動(action)する。「基本的に,それをやってみるとうまくいくのが神様の道」だと,これまでの人生を通して森澤兄弟は実感している。「だから,ベドナー長老が語られたように,作用される者ではなく,作用する者になる( acting and not being acted upon)ことが非常に大切です。」

アクティブ・ラーニングと反転授業

2012 年,山梨大学出身の社長が経営する某大手メーカーから大学側に提案があった。それは,同社の提供する機材を使って,反転授業を含むアクティブ・ラーニングの実験授業と共同研究を行うというものだった。その研究グループの一員に森澤兄弟は手を挙げる。─かねてより,学習習慣や学習意欲のない学生が増えたこと,世界で通用する学生を育てなければならないことなどの社会的状況から,教育方法を改革する必要性が叫ばれている。森澤兄弟も,学生にグループワークをさせるなどさまざまな工夫をしてきた。そうした中,この企業の提案は渡りに船であった。

ちなみにアクティブ・ラーニングとは,講義型ではなく,学生自ら課題を解決したりプレゼンテーションを行ったりといった,学生に行動を促すことで主体的に学ばせる教育方法の総称だ。「反転授業」はその手法の一つである。工学部では,教えなければならない知識の絶対量も多い。だから事前に,従来は授業で伝えていた講義内容の動画を作成し,学生にネット配信する。学生は知識を頭に入れてから授業に臨む。

森澤兄弟によると,企業から提供された機材のおかげで,動画を作ること自体はさほどの手間ではないという。ただし,1 週間後の授業方法も併せて設計しなければならない。今週と来週の授業をセットで計画するわけだ。「学生が集まったとき,どのように効果的に教えるか。集まるだけでも効果はあるが,より効果的に行うためにどう授業を設計していくか,色々考えないといけない。」動画を配信した後も,森澤兄弟はあれこれ授業方法を検討し続ける。学生にはヒントを与えて,自ら考え,気づくことができるよう働きかける。研究者である森澤兄弟だが,より深く学ぶことで学生の将来が備えられるよう,教育にも力を注ぐ。そのため森澤兄弟自身の負担は以前より増しているという。

4 種類の質問

一昨年,反転授業の導入を前に,その実験に参加する大学教員が集まって,講義の仕方を教えるコンサルティング企業の高価なセミナーを受けることになった。ところが─「その内容が,セミナリーやインスティテュートの教師会の劣化版というか,ほぼ同じことをしていて。教会ではそれを無料で教えますから,教会の教授法というのはすごいものだなあと改めて実感しました。」

実は,セミナリーとインスティテュートの双方で何年にもわたる教師歴を持つ森澤兄弟。「セミナリー・インスティテュートの教師会で教授法を学びますが,それが非常に役立ちました。直接,大学の教育に使えるんですよ。」

森澤兄弟は,教会で教わる教授法がいかにすばらしいかを強調する。例えば2013 年度に改訂されたセミナリー・インスティテュートの教師用手引き※ 2 に4 種類の質問というものがある。

1. 情報を探すように生徒に勧める質問

2. 分析して理解するように生徒を導く質問

3. 気持ち(の分かち合い)と証を促す質問

4.(原則を)応用するように促す質問

大学での討論の方法,質問の作り方などには,そのまま1 ,2 ,4 の方法が使える,と森澤兄弟は言う。

いかに生徒にしゃべってもらうかアメリカで,授業から得た内容を生徒がどれほど覚えているかを調査したところ,「教える」「体験する」「発表する」は高く,最も低いのは「聞くだけ」だったという。

森澤兄弟はこう語る。「生徒は授業の内容を覚えていないものです。そして,教師が話したことよりも,自分が話したときの印象を覚えています。」

2013 年に始まった,青少年の主体的な参画と学びを促すための新カリキュラム『わたしに従ってきなさい』が意図するところもまさに,生徒自身が「教える」「体験する」「発表する」「心情を分かち合う」「証する」クラスを作ること─すなわちアクティブ・ラーニングを実現することにある。

「だから,いかに生徒にしゃべってもらうかが大事です。ベテランの教師にありがちなのは,若い人に教えなければいけないという思いでつい話してしまうこと。教師がまったく話さないことは難しいけれど,せめて半々くらいにしないといけない。ほとんどしゃべらないようにしようと意識すると,ちょうど半々くらいになるんですよね」と森澤兄弟は提案する。

大学のみならず,教会で長く教師の召しを果たしてきた森澤兄弟は,教会での教え方についても経験に裏打ちされた一家言を持っている。

教師が準備したレッスンプランは,時に学びの妨げとなるという。準備した答えが返ってこないと生徒の意見を「違う」と否定してしまう。生徒からの答えを待てず,教師の考えをそのまま言ってしまう。─「だから,教師は自分が言いたいことがあってもしゃべらない。我慢,我慢,我慢,それが大切。それが生徒主体!」そう森澤兄弟は力説する。生徒に自由に語る時間と機会を与える。「生徒にいっぱいしゃべってもらって,『それはこうだったんだよ』と後で,(福音の)原則と関連づけて返していきます。」

生徒の意見が四方八方に広がっても心配はない。森澤兄弟はレッスンに関連した預言者の言葉をよく考えて準備しておく。そして,ここぞというタイミングでそれを白板に貼る。「今のレッスンに関連しているところはどこだと思いますか。線を引いてみましょう。」「ピンときたところはどこでしたか。」読んで終わりではない。前述の4 種類の質問を組み合わせていけば,一つの原則を学ぶだけでも時間が足りなくなるくらい,生徒は活発に発言して主体的にレッスンへ参加できるという。※ 3

生徒の答えは全て正しいという姿勢で受け止める

「生徒の答えは全て正しいという感じで受け止めなければならないと思うんですよね。」もちろん,間違っている答えもある。しかし,「たとえどんな答えが返ってきても,生徒の意見には必ず正解が含まれているので,『その答えはこういう点ですごく正しい。よく思いついたね』と,正解に結びつけて返していきます。」こうした機転が教師には必要だ,と森澤兄弟は語る。

生徒主体のレッスンを行うためには,教師は生徒が語ったことは全て福音のいずれかの原則に結びつける必要がある。「福音にはこういう原則があるね。だから,この答えは正しいね。」「誰々長老も同じことを言っていた。あなたと同じ考えだね。」森澤兄弟は,ただ褒めるだけでなく,きちんと根拠を添えて生徒の意見を肯定する。どんなにつたなくても大丈夫,というメッセージを発信していく。正しいことを言わなければいけないという不安を取り払い,やる気を起こさせる。その愛のゆえに,生徒は安心して自分の考えや気持ちを分かち合うことができる。

身につけている福音が教師の守備範囲

「レッスンそのものの準備より,持っている福音の知識の準備の方が大事です。」森澤兄弟は,教師の霊的な備え,特に信仰によって聖文を研究することの重要性を実感している。「救い主は,わざわざレッスンの準備をされたわけではないですよね。持っておられるもので教えられたのです。わたしたちもレッスンを教えるのではなく,自分が身につけている福音を教えるんですよ。」

森澤兄弟はこれまでの経験から,青少年の新カリキュラムでもマスター聖句が大いに役立つと強調する。「例えばモルモン書なら,モルモン書の流れをつかんでおく。マスター聖句を頭に入れておいて,全てのマスター聖句をぱっと開けるようにしておきます。」この準備で,大抵のことには対応できる,と話す。マスター聖句は生徒の質問の答えを網羅し,あらゆる原則に関連づけていくことができる。『わたしに従ってきなさい』の学習資料の「霊的に備える」の項には幾つかの聖句が紹介されているが,「救い主がされたように教えるにはこれだけでは足りない」と森澤兄弟は言う。教師が準備してきたことだけでレッスンをしようとすると,多様な生徒の意見は受け止められない。だから聖典や総大会の説教を読んで福音を研究する。学び,実践し,証を得るという繰り返しで福音を身につけ,自らを備えていく。

それに加え,「救い主の方法で教えようとするなら,レッスンの中で愛もにじみ出てこなければならないですよね。」森澤兄弟は,主の方法で生徒を教えたいと心から望んでいる。

心から真実だと思うことを教える

森澤兄弟は,聖典を勉強することも教えることも好きだという。モルモン書はこれまで100 回以上繰り返して読んできた。繰り返すことが基本だと考えている。教会が出版している学習資料を参照しながら読み進める。

新しい教授法で活用される4 種類の質問の中で,「気持ち(の分かち合い)と証を促す質問」に着目し,生徒に投げかける質問を自分にも問いかける。「聖典から原則をもう一度探すのです。そして,過去にその原則をどのように適用したかという証を探して,それを今後どのように使えるかを考えます。」すると,「よく知っている聖句でも,ひらめきが違う所で見つかるんですよね。原則を再発見していくのは楽しいし,役に立ちます。」

森澤兄弟は,教える原則が本当に真実だと感じているかどうかを自分に問いかけ,確認している。「祈りによって力を得る」という原則について教えたとき,「そうだな,昨日祈ったら心がポッと温かくなったな」と証する。決して人目を引くことのないささやかな証─「それがどうしたの」と生徒からは言われた。「でも自分にとっては,とても大切な証なんですよね。」

 子供に教えるよりまず親がする

早朝セミナリー教師として6 年─自転車で教会と自宅を往復する日々がここしばらく続いている。教会から帰ると,森澤兄弟はまず家族を集めて家族の祈りをする。朝食もテレビも一時中断。長男の大輔兄弟(11 歳)に聖典と祈りの習慣が根づくように,将来自立した信仰ある人に成長してほしいと,父親として真剣に向かい合っている。「家庭の中ではうそは通じない。親が何をやっているのか子供は見ています。だから家庭の中できちっとやっていないといけない。親が毎日聖典を読んでいないのに子供が聖典を読むとは思えない。子供に教えるよりまずそこからやらなければならない。聖典の勉強,お祈り,家庭の夕べ,日曜日に教会に行く,これを親が実践することが大事と思います。そして子供も一緒に参加するよう導きます。」

作用する─主体的に行う─者となる

森澤兄弟の大学の講座では,反転授業を含むアクティブ・ラーニングを導入してすぐに学生に変化が見られたという。「まず試験の成績がずいぶん上がりました。」試験で不可(不合格)を取る学生も減った。学生間で相談し合えるので,勉強にも取り組みやすい。「しかし,一番変わったのは授業中に寝る学生がいなくなったことです。今まで寝ていた学生が,しっかりと勉強していますからね(笑)。」

「主体的に学ぶ,選択の自由を使って学問するというのは,どの分野においても必要です。」森澤兄弟はこう繰り返す。行動を選択する自由( Agency)を使って主体的に学習するとき,生徒はしばしば御霊を感じる。同じように大学生も,互いに議論したり発表したりといった自身の行動を通じて主体的に学習に取り組むとき,「あっ,そうだ。ひらめいた」ということがよくある。そのようにして学生自ら学びを深めていくという。

教会では,青少年が主体的に学ぶよう助けることで,彼らが改心し,生涯にわたって救い主に従うのを助ける。大学教育も,知識を伝達するだけではなく,生涯にわたって知識を実践に結びつけられる知性を育むのを助ける。

「知識は使えなければ意味がない。教会では,ただ聞くだけの人ではなく,行う人になりなさい※ 4 と言われています。大学でもまた学生が,卒業後に社会で,知識を生かして自ら行動できる人材となることを目指しているのです。」◆