リアホナ2014年10月号 天国って,こんな感じのところでしょうか

天国って,こんな感じのところでしょうか

─アジア北地域広報部奉仕宣教師,大庭 慎也 長老

慎也少年が中学生のとき,仙台に十二使徒のL・トム・ペリー長老が訪問した。ディボーショナルが終わった後,会員たちが列になってペリーご夫妻と握手する機会が設けられた。慎也少年が前に来たとき,ペリー姉妹は英語で何かを問いかけた。「すごい笑顔で(尋ねられたので),つい『イエス』と言っちゃったんです。(そうしたら)うわぁって喜んでハグしてくれたんですよ。後で車の中でそれを思い返したら,何かミッショナリーって言っていたような……あなた宣教師になりますか,って言ってたように思うんです。そのとき(以来),宣教師にならなきゃいけなくなった,切実に宣教師になりたいとずっと思っていて。」

大庭慎也兄弟は,兄2人,姉1人,妹1人の5 人きょうだいの4 番目である。彼が生まれる前年の1985 年5月に母親が,数か月後に長兄,姉,父親が改宗したため,「気持ち的には完全に2 世です」。父親は航空大学校の教官だが,家庭では特別なところもなく,「割と普通に育ててくれた」という。

高校を卒業し,地元仙台で予備校に通う生活をした。

「わたし3 年間浪人してるんですよ。父親も仕事中とかもこの辺(首のあたり)が心配でずーんと重いって言ってたんです。でも(両親は),何年でも浪人させてくれる,っていうスタンスで。」ご両親は,特に教育熱心というわけでもなく,いい大学に行くようにとも言われたことはない。その大らかさに慎也兄弟は感謝している。

慎也兄弟は,受験生活を通して2 度受けたという特別な感覚を語ってくれた。「数か月ぐらいずっと頑張ってたら,あ,いける,と思うときがあるんですよ。一浪目のときに北海道大学の工学部を受験したんです。勉強してたときに外の景色を見ながら,いける,っていうふうに思ったんです。」そのとき感じた感覚は鮮明に覚えているという。

その年,北大工学部には合格したけれど入学辞退した。「医学部に行きたくて。一浪目の6 月くらい,それまでは工学部を目指してたんですけど,改めて,けっこうかなり気合いを入れて祈ったんですよ,多分4 時間くらい。そのときに,最終的には医学部がいいな,っていう気持ちになりました。二浪目で受からなかったんですけど,三浪目で結構(成績が)伸びて。じゃあ(地元の)東北大がいいな,ということで。一浪目には医学部に受かる実力は到底なかったんですけど,何か結果を残したかったので,北大工学部を後期受験しました。」─そして3 浪の末,東北大学医学部に合格した。「東北大のときも,最後に実は,いける,って思ったんですよ。なので,頑張っていたら神様が,いけるよ,っていうことを教えてくださったんだなあ,と思っていたんです。」

苦しかった浪人時代,慎也兄弟は3 つの目標を立てて,それが心の支えになってきた。それは,伝道に出る,神殿結婚をする,医師になる,である。大学受験を乗り切った慎也兄弟は,その夢に向かうべく期待を込めて専任宣教師の申請書を提出した。

伝道に出られない?

ところが,その申請に返って来たのは,「専任宣教師の奉仕の義務は健康上の理由で免除され」る,との言葉であった。慎也兄弟には持病があり,常に服薬を続けなければならない。主治医からの投薬を受け続けるには地元を離れるわけにはいかなかった。─「でもやっぱり諦められなかったんですよ。わたしは伝道に出ることにこだわっていて,10 代の頃から『わたしの福音を宣べ伝えなさい』(伝道活動のガイド)を宣教師さんに教えていただいたりとか,宣教師さんと一緒に街頭伝道したりジョイントに参加したり,模擬レッスンを独りで練習したりとか,わたしなりに(準備)していました。」

宣教師の年齢制限ぎりぎりのタイミングで2 度目に出した申請書は,やはり戻って来た。「でもそのとき,(仙台ステークの菅原誠一郎)ステーク会長が『もう1 回だけ出してみよう』と言ってくださって。」

3 度目の申請として,慎也兄弟は3 ページほどの嘆願文を書いた。これまで自分なりに頑張ってきた経緯,どうしても専任宣教師になりたいこと……「嘆願文を考えるのに1 か月くらいかかりました。」両親の書いた添え状も一緒に送った。「そうまでしたいくらい(伝道に)行きたかったんです。こだわるタイプなのでしつこいんです」と彼は笑う。

「お忙しいのに時間を取って話し合って,わたしのためにどんな(伝道の)方法がいいか考えてくださったみたいで。」─地域会長会から返事が来たとき,菅原会長は,「これは,神様の御心だと思ってください」とのコメントを付けて慎也兄弟へ転送してくれた。それが─「奉仕宣教師」という選択肢だった。

広報宣教師の働き

今,大庭慎也長老の胸には宣教師の黒いネームタグ(名札)があり,「Asia North Area Public Affairs(アジア北地域広報部)」と記されている。大学3 年を終えた時点で休学して2013 年2 月24 日に着任,すでに1 年半が過ぎた。

大庭長老は広報宣教師としてどのような働きをしているのだろうか。

教会の公式ウェブサイト Mormon.orgには,教会員が会員でない人々に向けて自分がどのような暮らしをしているのか自己紹介したり,証を記したりする機能がある。まずは,「I'm a Mormon のプロフィール」と呼ばれるそれをオンライン上に登録するための手助けをするのが大庭長老の役割だ。

そのために仙台伝道部内のたくさんのユニットに出張する。支部会長やビショップに電話をして許可をもらい,安息日の集会で会員たちにI'm a Mormon を紹介し,「プロフィール」を登録することの意義を伝える。パソコンとプロジェクターを持って行き,実際に画面を見せながら使い方の説明をする。後日,電話で,会員とともにパソコンの同じ画面を見ながら,書き込む自己紹介の内容を引き出すインタビューまで行う。「遠くにある教会にはバイクやバスで行きます。伝道本部のバンでラスムッセン会長夫妻と一緒に行くこともあります。いろいろな教会を見て,仙台伝道部内のユニットはほとんど全部回りました。」

また,報道機関・オピニオンリーダーなど教会外の人々に向けた広報部のウェブサイト「ニュースルーム」( Mormonnews.jp)に掲載する原稿や写真を組み合わせ,体裁を整えてアップロードする仕事もある。

今,大庭長老はこう語る。「菅原会長に転送していただいた地域会長会のメールには,『I'm a Mormon のプロフィールを作るのをお手伝いする』と書かれていて。そのとき,正直なところを言ってしまうと,『それよりフィールド(での伝道)の方が……』っていうふうに心の中で思ったんです。でも,実際にやってみたら,アイムアモルモンという一つの切り口からいろんな指導者の人と交渉したりとか,東北中の人と電話で話したりとか。インタビューにしても,人の話を聞くっていうのはそれなりにコツがあって,それを学ぶことができるのはとってもすごいことだし。アイムアモルモン一つ取ってもそうだし,それ以外のできることもすごく幅広くて奥行きがあるんです。

もっと多くの人にアイムアモルモンのことをまず知ってほしいと思います。

プロフィールを作ることも立派な伝道の機会なので,わたしも主のみもとに人を招くお手伝いができたとか,自分の証を振り返ることができたとか,そういう気持ちを会員の皆さんが感じてくださるのが一番すばらしいことじゃないかと。実際に,わたしたちが寝ていてもそのプロフィールはずっと働き続けるわけですから。」

これまで,大庭長老がお手伝いをして作られた会員のプロフィールは250 以上,専任宣教師の分を合わせると350 近くに及ぶ。Mormon.org に登録されている日本人のプロフィールはその多くが仙台伝道部の会員のものである。「広報にしても伝道にしても,死者の救いにとってもインターネットの持つ力のすごさに気付くこともできました」と彼は言う。

天国のような宣教師の生活

また特筆すべきは,大庭長老が仙台伝道本部の宣教師アパートに住み,普段は伝道本部オフィスの一角で広報の仕事をしていることだろう。「もともと健康上の理由があって専任宣教師にはなれなくて。基本的に奉仕宣教師って在宅じゃないですか。けれども,ここ(伝道本部)に住んでもいいよという許可をラスムッセン会長が出してくださったんです。オフィスも与えてあげる,2階の宣教師アパートにも住んでいいよって。菅原会長とラスムッセン会長のおかげですよ。宣教師と一緒に生活できて,実家にも近いのでたまに帰ってもいいよ,と。至れり尽くせりな環境です。わたしが伝道に出られるように,教会内外で本当に色々な方々が助けてくださいました」と大庭長老は感謝する。

「本当にこの生活って恵まれていて,天国ってこんな感じのところじゃないかと思います。(大庭長老には同僚はいないが,)夜寝る前に向こうのベッドで同僚組が一緒にお祈りをしていたりとか,それを聞きながらベッドで寝ていたりするんですけど。そんな,ちょっとした何でもないことが奇跡だなって思っていて。

1 年前の春は奉仕を始めたばかりで緊張していたんですけど,眠れなかったときにとても優しくしてくださった長老がいて。宣教師はそれぞれ大変なので,自分のことは自分でするという雰囲気が基本的にはあるんですけれど,その長老はわたしに優しくあっちから声をかけてくださって,話を聴いてくれたりとか。

別の長老も,わたしの寝ているベッドのところにリンゴを置いてくれたんですよ。そのリンゴっていうのは,誰か他の宣教師が本部に泊まりに来たときに,お疲れさま,って彼にくれたリンゴなんですよ。

いろいろな宣教師と生活している中で,性格は変わらないけれど価値観は変わりました。」

大庭長老は,専任宣教師と一緒にトレーニングを受けたりレッスンに参加したり,求道者を見つけるため街頭に出たりもする。伝道部会長のために,パソコンを使って様々な手伝いもするし,車の運転もこなす。「実地のインスティテュートみたいな感じだなと思っているんです。いろいろなすごい指導者の話を間近で聴く機会があって。伝道部指導者評議会にも出る機会があって,そこに中央幹部の方が来て説教してくださったりとか。個人的にも前よりもっと導きを受けやすくなったり。どんどんどんどん光を足されるような感じです。伝道が終わったら,ここで得た習慣とか得たものを生活に生かしたいし,そのために,(将来)これをやるとか決めて,メモも取ってパソコンに保存したりするんです。

奉仕宣教師として奉仕するって,予想以上に祝福がたくさんあったな,って思います。今こうして,毎日とっても幸せに働けていて。わたしだけではなく,わたしの家族も天国のような家庭になりました。(半年後に)終わることを考えると寂しいなという気持ちもありますね。もう後はあっと言う間だと思うんですけど。」

奉仕宣教師の祝福

「伝道に出られる出られないっていうのは,10 代後半の人たちにとってはすごく切実な問題だと思うんですよ。

わたしも本来であれば宣教師になれなかったんですけど,伝道に出られなかった自分と,(奉仕)宣教師としてのこの生活を経験できた自分を比べると,後者の自分の方がずっと明るくて自信のある人生を送ることができると思うんです。切実な悩みを抱えている青少年もおられるので,奉仕宣教師という道もあるよ,ということを分かっていただければ。わたしと同じようにすばらしい経験ができる人が増えたらいいと思うんですね。

専任宣教師として伝道に出られるというのはすごい祝福ですけど,わたしは個人的には,本当に大事な祝福とは,聖霊の賜物とか,(そういう)一般的なものだと思うんです。大きな祝福は,健康であるとかないとかで条件がつくようなものじゃなくて。健康な人も健康でない人も神様に忠実であるように努力していって,終わりまで堪え忍んで最終的に得られる祝福っていうのは,今(ここで),わたしが感じているような祝福をはるかに上回るものだと信じています。本当にすごい祝福が用意されていると思うんですね。」◆