リアホナ2014年6月号 「さあ,早く,最上の着物を……この子に着せ 」

「さあ,早く,最上の着物を……この子に着せ 」

主のもとに帰還した息子─長野地方部諏訪支部 田口雅規 兄弟

八ヶ岳山麓の美しく豊かな自然に囲まれた長野県茅野市。田口雅規兄弟が活発に集う長野地方部諏訪支部は諏訪湖から車で10分ほどの所にある。昨年7月の第1安息日,20年ぶりに戻って来た彼を迎えた会員たちは,主が愛する息子を連れ戻すための業を目の当たりにして驚いた。

このままじゃあ,まずいな15歳のとき,田口兄弟は札幌市の手稲ワードでバプテスマを受けた。高校を卒業して語学留学をしたが,家庭の事情により2年間で断念。帰国後は八王子市や札幌市内で働くようになった。すでに教会から足が遠のきがちになっていた彼は,あるショックな出来事を忘れようとお酒に手をのばしたことをきっかけに,完全に教会から離れてしまう。23歳のときだった。

30歳になると,長野県茅野市の名産,寒天を製造する会社で働いた。冬は長野で,春になると地元の札幌市に帰って働くという生活がしばらく続いた。やがて真面目な働きぶりを買われ,38歳のときに長野県に引っ越して来た。生活は安定したものの,当時は教会の戒めとはかけ離れた「ひどい生活」を送っていたという。教会を離れてもう20年が経過していた。教会に戻ることは「無理」,ましてや,救われることは「絶対無理」。心に封じ込め,教会のことは久しく意識にも上らなくなっていた。先のことは,もう「完全にあきらめていた」という。しかし,ここに来て時折,「このままじゃあ,まずいな。こんな生活をしていて大丈夫なのだろうか」と不安な気持ちが入り込むようになった。

スイッチが入りました

2012年12月,田口兄弟は年末の部屋の片付けと掃除に取りかかった。そして,いつものように押し入れを整理していると, 古びた段ボール箱が目に留まった。「ああ,ここに手紙があるなあ。」いつもはそれで終わる。が,この日は違った。箱の中にはこれまで自分宛てに届いた手紙が全部入っている。教会に集わなくなってからの数年間,手稲ワードの会員から定期的に送られてきた手紙も大事に取ってあった。「そのとき,なぜだか分からないけれど,読んでみたいな,という気持ちになりました。」押し入れから取り出し読み始めると,田口兄弟はもっともっと読みたいという思いに駆られた。掃除をするのも忘れてしゃがみ込み,すっかり手紙に見入ってしまったという。こんな自分を忘れずに何年間も送り続けてくれた手紙,「元気にしていますか?」それ以上は踏み込まない気遣い。送り主の気持ちが伝わってくるような気がして,心は和み,懐かしさに包まれた。

その日,手紙は押し入れには返さなかった。翌日も,翌々日も,時間を見つけては,順番に取り出して夢中で読んだ。それを読み終えると,今度は活発に集っていた青少年,独身成人の頃の手紙や写真にも手を伸ばした。とうに忘れていた楽しかった時代,かつては輝いていたときもあった自分。夢中で文字を追い,昔の記憶をたどった。「あの頃が一番良かったなあ。」「少なくとも,こんな生活じゃあなかった。自分はもっとまともな,ちゃんとした人間だった。」すっかり光を失った今の生活との差は歴然だった。

「今の自分は,何なんだろう。」行き着く先が見えた気がした。「このままでは人間として駄目になってしまう。」「きっと,まともな死に方もできないだろう。」そして,手紙を読み進めていくうちに芽生えてきた「今からでも戻れるかなあ」「可能かなあ」というかすかな希望。宛先不明で途絶えるまで送り続けてくれた手紙が,10数年もの歳月を経て田口兄弟に語りかけ,そっと背中を押した。「手紙を読んでいて,心に最初のスイッチが入りました。」彼の切り替わった心は,自然にイエス・キリストへと向かっていった。

キリストに心を向けたい

間もなく,田口兄弟は少しずつ聖書を読み始めた。これまで何度も引っ越しをしてきたが,教会関連の本を入れた段ボール箱は手放さなかった。久しく離れていたイエス・キリストへの思いが心に広がっていく。贖いの力に振り向きもしなかったかたくなな心は,ささいなことでもいいからイエス・キリストについてもっと知りたい,という純粋な望みへと変わっていった。

2013年春,思いはさらに募り,田口兄弟は「たとえ教会に戻れないとしてもキリスト様の話を聴きたい」という一心で,茅野市内にあるプロテスタントの教会を訪ねた。本当はすぐにも教会に戻りたかったが,それを言い出すことは当時の田口兄弟にはとても怖くてできなかった。

そこに行ってみると,人々は皆優しく, 親切だった。牧師の説教も良かった。しかし,「何かが違う!」田口兄弟はすぐにそう感じた。「(心に)伝わってこないんですよね。」「とにかく違う,と思いました。」そして, 3 度だけ集った後,もう二度と行かないと決めた。自分が求めているものはそこでは絶対得られない。その違いを区別し「完全に理解してわきまえること」(モロナイ7:17)は,彼にとって容易なことだった。「やっぱり末日聖徒イエス・キリスト教会は真実だ,と思い知らされました。」田口兄弟は力を込めて繰り返した。教会に戻らずして平安を得られる道などないこと,どんなに教会の敷居が高いと感じ,戻るのが困難であろうと,それが唯一の救いの道であることを彼は身をもって知ったのだった。満たされない霊は,この経験を通してますます飢えを感じるようになった。次の段階へと進む「第2のスイッチが入ったのはこのときです」と田口兄弟は振り返る。

面白いほど簡単でした

あと一歩を踏み出せずにいた田口兄弟だったが,これ以上中途半端な生活を送ることはもう限界に思えた。「絶対に教会に戻ろう!」「全ての戒めを守ろう!」2013年5月末にそう決意し,6月1日からできる限りの準備をして7月の第1安息日に教会に戻る,という計画を立てた。

当時「モルモン経」しか持っていなかった彼のもとには,モルモン書や賛美歌が改訂のたびに手稲ワードの会員から届けられていた。いつかモルモン書を手にして読み始める日,教会に戻る日が来ることを信じて,その時のために備えてくれていたのだと気づき,田口兄弟は感謝の思いで胸が熱くなった。

6月1日,手紙が入ったあの段ボール箱から真新しいモルモン書を取り出し,最初のページを開いた。朝5時に起き,モルモン書を1時間読んでから出勤する生活が始まった。聖典を読むのは苦手だったが,ゆっくりと意味をかみしめながら読み進めた。田口兄弟は「とても面白いことに」と強調し,「何の苦もなく聖典が読めたんですよね。すっと心に言葉が入ってきました。」と笑顔を見せた。寝る前には聖書を読んだ。求めていた安らぎが胸を満たし始めた。

常習化していた飲酒も,その日を境に何の苦もなく,きっぱりと断つことができた。「それは,面白いほど簡単でした。」自分だけの力ではないと感じた。もはや飲酒は彼を誘惑する何の力も持たなかった。「スイッチが入った」と語る心の大きな変化がもたらした奇跡だった。

日曜日には車で何度か教会の前を行き来し,遠くから様子を眺めた。「いいなあ。早く教会に行きたいなあ。」はやる気持ちを抑えて,田口兄弟は「絶対に戻るぞ!」と自分を励ましていた。

主の家の門番でもいい

一方で,その日が近づくにつれ,時に不安に襲われた。「教会の中に入ったら,『おまえのような者が来るところではない』と主に打たれて,倒れてしまうのではないか,体調が悪くなるのではないか」と心配した。また,「万一,教会に入れてもらえなかったらどうしよう。」最悪の状況を考えてしまい,どんなに拭っても不安が頭をもたげた。田口兄弟は良い方法はないかと思案した。

そのようなとき,かつて教義と聖約のセミナリーで学んだことがふっと思い出された。「できることなら,……主の宮居の門番でもいいから,……させてほしい。」かつて近代の教会指導者が,あるささいな出来事をきっかけに破門された。そして,19年間の苦悩と暗黒の道を歩んだ後,赦しを求めて語った言葉がこれだった。20数年も前,しかも聖典をまともに読んでいなかった高校時代の1コマが鮮やかに思い出された。これだと思い,うれしくなった。「自分もそう言おう! 門番を1年間もやれば,もしかしたら中に入れてもらえるかもしれない。」平安が戻った。「どうぞ,雇人のひとり同様にしてください」(ルカ15:19)と願った放蕩息子のように,人からどう思われようとかまわない,ただ「父のところ」に戻ることを切に求めた。揺さぶられはしたが,「絶対戻る」という田口兄弟の決意は動じることはなかった。

畳み掛けられた祝福

そして7月の第1安息日。田口兄弟は朝早く目覚めると,用意しておいたスーツを着て,9時ぴったりに教会に着くように家を出た。外は灰色の雲が垂れ込め,雨がしとしとと降り始めたところだった。

駐車場に着くと,彼は教会の玄関の鍵を開けようとしている人に気づいた。大内仁支部会長だった。田口兄弟は車から降り,しばらく教会を離れていたことを告げた後,おそるおそる尋ねた。「教会の中に入ってもいいでしょうか。」胸の鼓動は高鳴り,手足が震えた。いよいよ主に打たれて倒れるかもしれない,と思った。

「もちろんですよ,さあ。」大内会長は満面の笑顔で歓迎し,田口兄弟を礼拝堂に迎え入れた。「教会に戻ってすぐに,何十分も話を聴いてもらえるとは思いませんでした。」他のことを差し置いてじっくり話を聴いてくれる大内会長の前で,彼のこわばった顔は徐々にほぐれていった。恐れていた体の異変も起こらず,「ここにいてもいいんだ」と思えた。どれほどこの日を待ち焦がれたことか。

大内会長はそのときのことを,「なぜだか分かりませんが,その日はいつもより早めに教会に来ました」と振り返る。心底へりくだって震えている神の息子を雨の中で待たせまいと,主は僕を早く遣わされた。大内会長はしばらく話を聴いた後,宣教師に連絡を入れたという。田口兄弟が独りにならないように,宣教師がいつも彼のそばに寄り添えるようにと計らってくれたのだ。1か月後,田口兄弟は支部宣教師の召しを受けると,「宣教師を助けてください」の会長の言葉に精いっぱい応えてきた。 車で宣教師の移動を助け,求道者のレッスンに同席し,定期的にお休み会員を訪問した。インスティテュートを受講できるようすぐに手はずが整えられ,神の言葉による養いも受けてきた。4か月後には死者のためのバプテスマ,今年4月には自身のエンダウメント……惜しみなく与えられる祝福の数々。「『さあ,早く,最上の着物を出してきてこの子に着せ,指輪を手にはめ,はきものを足にはかせなさい。……』」(ルカ15:22)まだまだふさわしくない,と戸惑う田口兄弟に,主はあの父親と同じように祝福を畳み掛けられた。

会員たちの祈りがあった

教会の玄関先で田口兄弟より会員であることを告げられたとき,大内会長は「えっ,もう?」と心の中で声を上げた。諏訪支部では本腰を入れて伝道と再活発化に取り組もうと決め,6月に伝道集会を行い,教会から足の遠のいている会員のために皆でお祈りをしたところだった。7月の第1 安息日に田口兄弟が戻って来ると,会員たちは畏敬の念に動かされた。「主よ,こんなに早く,ですか?」主が祈りに応えてくださる早さ,御業を進められる力強さに,驚嘆の声が飛び交った。

宣教師からその話を聞き,田口兄弟は6月から戒めを守ろうと決意できたことも,面白いほど簡単に戒めを守れたのも,「門番にでもなれたら」と希望を持てたことも,全て会員の祈りの力に支えられていたことを知った。何より不思議に思うのは,諏訪支部に会員記録がなかった自分にまで祈りの効力が及んだことだ。リストに上がっていなくても,主は自分を覚え,心に留めていてくださった。愛されているという驚きの知識。今も「自分を見ていてくださっている」と,主を身近に感じるときがある。そんなときには家でじっとしていられず,町の中を何周も歩く。空を見上げながら主に語りかける。顔がほころび,喜びで胸がいっぱいになり,うれしくてたまらなくなる。

田口兄弟が再び教会に戻ったことを聞きつけて,かつて自宅近くに住んでいた指導者が電話をくれた。「当時は忙しくて訪問もできなかった。悪かったね」という内容だった。思いがけない言葉に,田口兄弟の目から涙があふれた。誰のせいでもない。自分の愚かさのために自分から迷い出たのだ。そんな思いをさせて本当に申し訳ないと思った。「教会に戻るには,時があると思います。たとえ毎日迎えに来てくれていたとしても,当時のわたしはきっと教会に戻らなかったと思います。」感謝を込めてそう答えた。主はその時を知り,人々に様々な思いを与え,繊細で行き届いた万全の備えをしてくださる。「思い出したときでいい。1年に1枚だけでもいい。『元気?』だけのさり気ない文章でいい。ありがたみが薄れ,胸が痛むこともあるかもしれないけれど,きっと意味があると思います。」手紙に込められた祈りが,やがて動き出すことを田口兄弟は誰よりも知っている。

教会での恒例の食事会では,田口兄弟は手作りの寒天ゼリーをそっとテーブルに並べる。深紅色に揺れる上品で程よい甘さのゼリーだ。天草を煮溶かし,固め,切り,干すという手の込んだ工程を,標高800mの冬の日差しと寒い夜が助け,おいしい寒天に仕上げるという。田口兄弟はこの仕事に14年間打ち込んできた。心を込め,手塩にかけて製造される寒天に,彼のこれまでの歩みが重なって見えた。◆