リアホナ2014年1月号 隣人に仕える

隣人に仕える

 (地域福祉部)

主の倉─わたしたちは皆,協力を求められています!

苦難の中でのかじ取りモルモン書に記された様々な出来事の中で,専制的な首謀者アマリキヤと,後に彼の弟アモロンに扇動されたレーマン人とニーファイ人との間に起きた11年におよぶ戦いの記録ほど多くのページが割かれている一連の出来事はほかにありません。その内容は,アルマ書の中の16の章にわたって記述されています。ニーファイ人にとって,それは苦難の時でした。自分たちの自由,権利,宗教,そして家族や生命までもが攻撃にさらされ,苦しみました。ニーファイ人が敵に打ち勝つことができた重要な要因は,このような危機に立ち向かって悔い改めて主に頼り,信仰をもって忠実に備え,弱い町を強くし,主の力を受けて戦えるように一致したことでした。皆さんは恐らく,勇敢な司令官モロナイが自由の旗を高く掲げて,民に向かい「主の力をもって出て来なさい」1 と叫ぶ姿を思い浮かべることができるのではないでしょうか。また人々が「腰によろいをまとって走ってやって来て」,主に忠実であることを誓う様子を思い描くことができるでしょうか。敵に勝利を得るためには,恵みと憐れみに頼り,一致して共に戦うことが求められました。主はその代わりに,実に具体的で詳細な点にわたって彼らを導き,強められました。

福祉という旗を掲げる─神と隣人を愛することの実践

前述のニーファイ人の経験は,わたしたちの時代にそのまま当てはまります。今日,わたしたちは末日における「苦難の時」に生きています。2 わたしたちは攻撃にさらされ,苦しんでいます。この攻撃は,レーマン人の軍隊によるものではありません。疫病のように広がる個人主義,家族及び地域社会の崩壊,自立心の腐敗,様々な依存症及び薬物の乱用,その他わたしたちの時代特有の害悪による攻撃です。経済的,物質的,情緒的そして霊的な苦難を抱えている兄弟姉妹は,少なくありません。教会の指導者は,互いに助け合う必要性が増していることを認識し,心に留めています。助けの必要な人には高齢者,病人,家族内や他人との対人関係において問題を抱えた人たち,教育や雇用問題を持つ人たち,家計に負担を抱えた人たちが含まれています。

自由の旗を掲げたいにしえの司令官モロナイのように,現代の指導者も旗を掲げています。我々の戦う場所に掲げられたその旗は,福祉という旗です。「福祉の原則に従った生活」とは,日々欠かさずに福音の原則を生活に応用して,主の道にかなった生活をすることです。これは,だれか一時的に困っている人に財政的な支援方法を見つけることでも,教会の数多くのプログラムの中の一つでもありません。わたしたち全員がともに働き,さらに自立し,助けの必要な人たちをよりよく助け,思いやりに満ちた奉仕を行うことが求められているのです。3 福祉の原則に従った生活と奉仕とは,「わたしたちの教義の中心を成すものであり,宗教の本質」であり自分自身のように神と隣人を愛することの実践なので

す。4 福祉の原則に従って生活することにより,わたしたちは互いに助け合えるように強められます。依頼されるまで待つ必要はなく,ただ奉仕すればよいのです。わたしたち全員が皆,「主の力をもって出て来」てそして仕えようではありませんか!

主の導きを求める─だれを,何について,いつ,どこで助けるか

福祉の原則に従った生活や奉仕を行い,主の方法で働くには,個人が自立する決意をすることが求められます。しかし状況によっては,能力や生活手段が不足するために,自分自身の必要を満たすことができない場合もあるでしょう。このようなときに,次に支援や援助の輪となるのが,家族,地元の教会指導者,ワード評議会,そして地域の社会資源です。さらには,地域福祉部,地域自立支援部,LDSファミリーサービスといった教会全体のリソースによるさらなる援助や支援が,神権の指示の下に活用されることもあります。このような援助手段は,自立のための個人の努力に取って代わるものではなく,あくまで個人や家族を支援し,彼らが自立するための力を増し加えるために利用されるものです。

置かれた状況や受けているチャレンジは異なりますが,ウークトドルフ管長が明確に教えているように霊感によって与えられた福祉の働きの規範は同じです。すなわち,わたしたちは「ともに話し合い,利用できるあらゆる手段を使い,聖霊の導きを求め,主に確認を求め,その後,袖をまくって仕事に取りかかるのです。」この規範に従う人たちにウークトドルフ管長は次のようなすばらしい約束を与えています。「もしこの規範に従うなら,主の方法でだれを,何について,いつ,どこで助ければよいか具体的な導きを受けられると約束します。」5

すべての会員が,それぞれの場所で,できる方法で

今年1年を通して,地域福祉部,地域自立支援部及びLDSファミリーサービスは共同のチームとして,主の福祉の働きに参加するための様々な方法や実践例を紹介します。わたしたち全員が参加できること,そしてまた参加する必要があることを心に留めておきましょう。隣人に仕える,すなわちキリストのような愛を実践することは,個人および組織として福千年や自分たちの救いに備えるうえで最も重要なことなのです。「したがって,わたしの愛する同胞よ,もしあなたがたに慈愛がなければ,あなたがたは何の価値もない。慈愛はいつまでも絶えることがないからである。したがって,最も大いなるものである慈愛を固く守りなさい。すべてのものは必ず絶えてしまうからである。しかし,この慈愛はキリストの純粋な愛であって,とこしえに続く。そして,終わりの日にこの慈愛を持っていると認められる人は幸いである。」6

神権系統の指導者であるヒラマンと,実務に関する指導者のモロナイは,福祉に関する事柄についてともに働きました。わたしたちは,アジア北地域の福祉を心に留め,すべての会員に対して,それぞれの場所で立ち上がり,できる方法で福祉に貢献するようにお勧めします。例えば,困っている人に祝福を与えることのできる専門的な才能や技術を持っていて,LDSファミリーサービスや,まもなく設立される自立支援センターにおいて教会のボランティアや奉仕宣教師として奉仕できる人々を探しています。しかし,そのような人々だけではなく,わたしたちはすべての会員の皆さんにお勧めします。よく祈りながら深く考え,神権指導者に自分の能力を伝え,福祉の精神をもって奉仕したいという願いがあることを申し出てください。わたしたちは皆,ただリストに名前を連ねるだけで何も活動しない人であってはなりません。もっとはるかに多くのことができます。活気に満ちた, 豊かに栄える主の倉の重要な一員として,自らの時間と才能を用いて積極的に貢献するように,わたしたちは皆,協力を求められているのです。◆