リアホナ2014年1月号 日本社会と家族の変化を映した15年

日本社会と家族の変化を映した15年

─ブリガム・ヤング大学ハワイ校 第15回全国高校生英語スピーチコンテスト全国大会

1月2日( 土 ),東京都武蔵野市の末日聖徒イエス・キリスト教会 吉祥寺教会堂にて, ブリガム・ヤング大学ハワイ校第15 回全国高校生英語スピーチコンテスト全国大会が開催された。会場には, 全国各地区を勝ち抜いた15人の高校生が登壇し,日ごろの英語力, スピーチ力を競い合った。その結果, 東海地区代表の南山高等学校( 名古屋市昭和区) 女子部1 年・大橋知佳さんが優勝し, 全国の頂点に輝いた。準優勝には関西第二地区の大阪府立千里高等学校2 年・成薇 萊さん, 第3 位には沖縄地区の沖縄尚学高等学校1 年・ブースクリ 海さんが選ばれた。

 優勝した大橋さんはこのように英語でスピーチした。「わたしは自分の靴に向かって声をかける。『パパ, 行ってきます。』父は, 朝見送れない代わりに, 毎朝わたしの靴をそろえてくれているのだ。『人生とは旅だよ。他の人がより幸せにその旅ができるように助けてあげれば, 我々の旅もよりすてきなものとなるものだよ。』父を見ていると, 家庭には, 大人へと成長するための模範を子供に示す役割があると理解できる。」その話の中に, この時代の日本社会における家族像が垣間見られた。

 来賓の, 国際教養大学教授 勝又美智雄氏は, 「今( 日本の) 社会で求められているのは国際的に活躍できる人材です。異なった文化, 歴史, 社会背景を持った人たちと対等に話ができ, 交渉ができ, お互いの合意点を見つけようとできる人( です)。英語で議論ができることです。高校生の時代から英語に親しみ努力することはとても大切なんです」と語り, 高校生の将来の活躍を願った。

 また, 同じく来賓の元フォード・ジャパンCEO佐藤勝彦氏は,「 ここ数年この会に参加させていただきましたが, スピーチの内容が年々すぐれてきていると思います。毎年旬な高校生の皆さんの考え方が聞けるのを楽しみにしています。難しい問題を正面からとらえてそれを言葉で表現するは難しいのですが, 見事にそれをやり切っています。もう一つは, 家族についてじっくり考える良い機会だと思います」と大会全体の感想を述べた。

 審査委員長の奥村幸治 兄弟は, 講評の中で大会参加者の努力をねぎらい, これからを激励した。「このコンテストでは, 内容, 発音( 英語スキル) などはもちろんですが, どんな経験をして何を学ばれたかというところまで審査をさせていただいています。……最近変わってきたのは, 一つは様々なバックグラウンドの家庭で育ってこられたこと,もう一つは国際化が進んできたということです。その中にあって, 皆さんがよく頑張ってこられたということです。人生はロング・ジャーニー( 長い旅) と言われた方がいましたが, 皆さんが家庭に戻って, これからこのロング・ジャーニーを楽しんでいただきたいと思います。」

 以下に入賞者のスピーチ(日本語訳)を掲載する。

● 優勝「気配りの人生」

南山高等学校(女子部)1年 大橋知佳

毎朝, わたしは自分の靴に向かって声をかける。『パパ, 行ってきます。』わたしの靴は, その靴を履いて学校へ急いで出かけられるように, 玄間の入口に丁寧に置かれている。父が毎晩, 眠る前に靴を並べてくれるのだ。

小学校の頃, 父はいつもわたしの登校に付き添った。父は, 『家の前の交差点に注意しろよ。非常に危険だからな』と言って一緒に家を出たものだった。父は, わたしの手を引き, 学校に着くまでずっと面白い話をしてくれた。父はわたしを笑わせようとしてくれた。『毎日, 自分の子供には笑って学校へ行ってほしい』父はそう言った。

わたしが中学校へ進むと朝の日課は変わってしまった。わたしは, 前よりも早く家を出なければならなくなった。

父は, 忙しくなり, 時々は深夜まで起きていた。わたしが家を出るとき, 父はまだ寝ているようになった。父は, 自分が娘を見送れない代わりに, 毎朝わたしの靴をそろえてくれているのだ。それは学校で良い一日を過ごしてほしいとわたしに伝える, 父なりのやり方である。

父は, 人の役に立つことを人生の目標にしているように思える。毎日, 父はできるだけ家族が快適に暮らせるようにたくさんのちょっとした気配りをしてくれる。父は, 子供のことに積極的に干渉したりはしないが, 父に何かお願いごとをすると, それに応えようと最善を尽くしてくれる。わたしは, 父のその思慮深い気配りが好きだ。

しかし, 父の気配りは家族だけにではない。父が, 公共の場で人を手助けする場面を小さい頃から何度も見てきた。ある時など, 父は列車の席から急に立ち上がった, 何事か? と見ていると, 足の悪い老人のために列車のドアを押さえるために走って行ったのだった。老人は,『 お若いの, ありがとう』と言った。父は, そんなに若くないよ, という表情で苦笑いしながら席に戻って来た。『いいかっこしい』とわたしは, 笑った。

父は, 自分自身のことを考える前に他の人が求めていることを考える。父は, 周りの人の気持ちや, してほしいことを感知するためにいつも気を配っている。車の運転においてさえ, 父は,気配りをする。時々は, 他の車に先に譲ったばかりに信号が青から赤に変わってしまい, わたし

は文句を言う。わたしは, 欲しいものを手に入れるために利己的でなければならない, と思うが,父は同意しない。『人生は, 競争だけではない。人生とは, 旅だよ。他の人がより幸せにその旅ができるように助けてあげれば, 我々の旅もよりすてきなものとなるものだよ』。『貧乏くじを引いているみたい』わたしは, 不満を言うが, 父は聞く耳をもたない。

事実, 父は正しい。多くの人々が, 父のような人生観を持っていたならば, 世界は, 優しく, より住みやすい場所になるだろう。父を見ていると, 家庭には, 大人へと成長するための模範を子供に示す役割があると理解できる。模範となる大人に育てられるかどうかは, 子供の後々の人間形成に大きく影響する。他人を気遣う父の優しさは, わたしに自分の周りにいる人の気持ちにより配慮するべきだ, ということを教えてくれる。他者への配慮ができることは, 周りの人達と関わって生きてゆく中で, 大切なわたしの技能となる。これは無用な争いや, 相手に嫌な感情を持たれないようにするためにも大いに役立ってくれる。

わたしは, 自分が親になったとき, 父がわたしに与えてくれたように配慮と愛情をもって自分の子供を育てたいと思っている。

● 準優勝「家族との夕食」

大阪府立千里高等学校2年 成 薇萊

家族。わたしは家族という言葉を聞くと夕食を連想する。家族全員が一緒に座って,しゃべったり, その日の出来事, 辛かったことや気になったことなど話したりできるひと時。わたしが幼かったとき, わたしの家族は毎晩, 家族全員で夕食を食べていた。そしてそのときだけは, わたしがわたしでいることができた。時には, 兄が友達から聞いたジョークを言ったり, 時には, 何も言わずに黙々と食事をするときもあった。わたしはすごく自由だった。

しかし, 時が過ぎるとともに, 物事は変わっていった。わたし自身もそうだったけれど, 家族みんなどんどん忙しくなった。兄は中学生になると, 家族よりも友達との関わりが深くなっていき, わたしも部活動を始めたり習い事で忙しくなったりし, 次第に家で夕食を食べる回数が減っていった。

忙しい日々の中, 家族が食卓に集まることはなくなり, みんな別々の食事をする形になっていった。自然と家族で過ごす時間はなくなった。わたしがわたしでいられて, 自由に感じていた時間も。しかし, それらの時間がわたしにとってどんなものだったのか, どんな意味を持つものだったのか, すぐに分かったわけではない。生活が詰まってきて複雑になってやっと, 何かが違うと分かったのだ。

そう感じたのはわたしだけではなかった。両親と兄もお互いに離れていってるのが見えた。お互いに不満をぶつけることは増え, 些細なことから進路のことでまで言い合いになるばかり。その場面を何度も見ているわたしはふと思った。時間がいる。お互いが冷静に話し合って理解し合える時間が必要だ, と。そう考えてはいたものの両親と兄には何も言えず, わたしが母とぶつかり言い合いになってついに, もうお互い離れすぎたなと分かった。

そうしてやっとわたしは, 両親と兄にわたしたちは少しずつ生活も変わり性格も変わってきてるのに, お互い何を思っていて, 何に苦しみ悩んでいるのか分かり合えていないと言った。それから互いに少しずつだけど理解しようと気を配っていると, たまたまみんなで夕食を食べる機会ができた。この日を境に, 家族みんなが気づいたことがある。ほんとうに基本的なこと。みんなでする夕食。小さなことだけど, その時間だけは家族が共にでき分かち合える唯一の時間だったから。

すごく些細なことに聞こえるが,実はとてつもなく大切なこと。単に食事をするだけではない。自分を判断せず,ありのままの自分を受けとめ,しょうもないことにも耳を傾けてくれる人々。出会う人の中でも数少ない人々と毎晩ゆっくり交われる唯一の時間。あなたの家族はどうですか。年齢,性別,環境を問わず試してみてください。家族みんなでの夕食。

● 第3位「文化を越えて結ばれるきずな」

沖縄尚学高等学校1年 ブースクリ 海

今年の8 月, わたしはミャンマーを訪れ, ヤンゴンの現地家族の家で一人ホームステイをする機会がありました。そこで経験したことは, わたしにとって全て新しいことでした。言語, 食べ物, 家族の生活様式は, わたしがこれまで慣れていることとはかなり異なっていました。ホストファミリーは大変親切でしたが, わたしは異なった環境の中で途方に暮れました。この経験で視野が広がり, そして, フランス人の父にとって, 日本で家族をもつことがどんなに大変であったかを考えさせてくれました。国際結婚は多くの妥協と理解を必要とします。しかし, 家族が家族間のきずなを強く持てば, 二つの文化のすばらしさを享受することができるのです。

小学校低学年の頃父は, 姉とわたしが父と話すことでフランス語を学ぶことを望み, わたしたちの前では決して日本語を使いませんでした。残念ながら, 父のもくろみは上手くいきませんでした。姉とわたしは地元の日本の学校に通っていたので, 家以外では, まったくフランス語を使う機会がありません。父がフランスの文化を教えようとしても, 返事は日本語でした。わたしの生意気な態度にもかかわらず, 父はわたしたちにフランスの絵本を読んでくれ, おいしいヨーロッパの料理を作り, 父の家族に会いにフランスに連れて行ってくれました。父はわたしたちに多くのフランスの文化を与えてくれました。

しかし, いつも容易だったわけではありません。両親は時々, 文化的見解の違いで口論をしました。母が仕事で遅く帰宅すると, 父は,「 仕事と家族とどっちが大切なんだ。フランス人は残業なんてしないよ。」 すると, 母は,「 日本人はフランス人よりよく働くのよ。郷に入れば, 郷に従えでしょ。」と返事をします。興奮すると,二人はフランス語, 日本語, ちょっと英語を全部ごちゃ混ぜにします。ある意味, 二人の口論は面白いものでした。運よく, 父と母はこのような葛藤や文化の違いを乗り越えてくれました。

厚生労働省によると, 2010 年には3 万人以上の日本人が外国人と結婚をしています。残念ながら, 国際結婚による離婚率は,( 日本人同士の)通常の婚姻よりもかなり高いという事実があります。文化背景が異なる結婚というのは, 努力とお互いの文化を理解する姿勢が必要になります。わたしは, もう高校生であるし, 異国で一人になる経験もしたので, 父が日本で家庭を持つことがどんなに大変だったか今なら理解できます。両親と彼らが奮闘して築いた文化を越えたきずなのおかげで, わたしはフランスと日本の文化を享受し, どちらも誇りに思っています。◆