末日聖徒イエスキリスト教会(モルモン教)リアホナ2014年8月号 神殿と儀式の驚くべき祝福

神殿と儀式の驚くべき祝福

─クエンティン・L・クック長老,D・トッド・クリストファーソン長老の東京,札幌でのディボーショナルより

5月25日,東京・吉祥寺にて─

武蔵野ステークセンターでのクック長老の話は,長老がまだ20代だった1960 年代,夫婦でカリフォルニア州湾岸地区に住んでいた頃のことから始まる。「とても美しい地区です。すばらしい人々がいます。でも当時,そこでは救い主の教えに添っていない事柄が起きていました。その地区は,世界で初めてドラッグ(薬物)の文化が始まったところでもあります。……世界が非常に混乱しているように思いました。」当時のステーク会長は,その地区で末日聖徒が子供を育てるべきかどうかを懸念していた。1963年,そのとき十二使徒であったハロルド・B・リー大管長がカリフォルニアを訪問する。リー長老は,人々がとどまらなければその地区に神殿を建てることはできない,と話し,混乱したこの世から守られるための3 つの勧告をした。

1. わたしたちの心と家庭にシオンを築く

家庭で,わたしたちの信じていることを実践する。家庭の夕べを行い,家族で祈り,聖典を読む。それを行うなら,伴侶や子供たちに不必要な批判をすることがなくなり,愛と優しさを家庭の中に植え付けることができる。

2. 地域社会で模範となり光となる

わたしたちが救い主を信じていること,主の模範に従っていること,そして周りの人々を愛していることを隠さず,知られるようにして,地域社会の人々にキリストのような模範を示す。

3. 神殿に目を向ける

神殿と,そこで交わす聖約に焦点を合わせたビジョン,目標をもって生活する。「今晩わたしも,この3つの勧告をしたいと思います」とクック長老は話す。「特に,皆さんの中には神殿が建てられているという祝福と特権があります。美しい神殿です。わたしたちが,ふさわしい生活をして神殿推薦状を受けられるように願っています。」

またクック長老は,航海できない船を造っても意味がない,海を欺くことはできない,という詩を引用し,それと同様に,わたしたちがどのように生きてきたかを救い主の前で報告するとき,「その御方を欺くことはできない 」(2ニーファイ9:41)と語る。「わたしたち全ての人は完全ではないでしょう。主の憐れみに頼り,打ち砕かれた心と悔いる霊をもってそこに進み出ていく必要があります。でも,わたしたちはそのために備えておきたいのです。まず神殿に行くふさわしさを身につけて,神殿で聖約を交わし,そして神殿に参入する必要があります。神殿ではすばらしいことが起きます。非常に真剣な場所です。神殿の幕はとても薄く,幕の向こう側からも支援を受けられる場所なのです。」

幕の彼方からの支援

かつてクック長老ご夫妻がトンガ神殿を訪れたとき,神殿会長からこんな話を聞いた。トンガ神殿※1のロビーにて,神殿会長がふと気づくと,ゆりかごに乗せられた赤ちゃんがいる。周りに大人の姿はない。そのまま長い時間が過ぎて,とうとう母親が戻って来た。彼女は神殿に参入していたのである。神殿会長が母親を,「赤ちゃんを置いて神殿に入ってはいけませんよ」とたしなめると,彼女はこう説明した。

自分は家族の中で唯一の教会員であること,亡くなった姉のために神殿に入れるよう家族歴史を探究してきたこと。しかし─「赤ちゃんの世話が忙しくて神殿に来ることができませんでした。でも昨夜,姉が夢の中に現れてこう言ったんです。『あなたが明日神殿に入ってくれるなら,その間わたしが赤ちゃんを見ておくわよ。』赤ちゃんは泣きませんでしたよね,姉が面倒を見てくれましたよね。」

「確かに赤ちゃんは泣いていなかったのです」とクック長老は言う。「もちろん皆さんには神殿に赤ちゃんを置き去りにしないでほしいと思います。でも神殿はとても神聖な場所で,わたしは彼女が幕の向こうから霊感を受けたと信じています。」

またクック長老はグアテマラ・シティー神殿でこの1月に,儀式執行者の姉妹から聞いたエピソードを語る。

まだこの神殿が新しかった頃,ある家族が結び固めの儀式を受けにやって来た。儀式が終わって一同が立ち上がったとき,彼女は,向かい合わせに据えられた結び固めの部屋の鏡の中に,そこにいない人の顔が映っていることに気がついた。その家族の母親に, 「あなたの家族には他に誰かいますか?」と尋ねると,「生きている人は皆この場にいます」と答えて言う。「でも,何年か前に亡くなった娘がいるの。」姉妹は重ねて訊きく。「亡くなった娘さんも,身代わりを通じてあなたに結び固められることを知っていますか?」

「神殿ができたばかりで,母親はそのことを知りませんでした。幕の向こう側に,結び固められたいと思っている娘さんがいたのです。」クック長老はそう話すと,聴衆に向けて呼びかけた。「皆さんにお願いしたいのは,神殿に行って得られる祝福をどうか過小評価しないでほしいということです。」

先祖なくして子孫はない

「わたしたちは若い人々が死者のためのバプテスマを受けていることをうれしく思っています。アジア北地域,特に日本においては若い人々が,自身で調べた名前を持って神殿に参入することに長けています。」クック長老は壇上から『わたしの家族』の冊子を示す。この冊子を使うと,自分の両親,祖父母,高祖父母の記録を書き込み,写真を貼って,家族の一覧を作ることができる。自分で調べた先祖の名前や,ワードの会員の先祖の名前を持って神殿に行くよう,クック長老は推奨する。

教義ははっきりしています,とクック長老は言う。それは,子供たちの心が先祖に向かい,先祖と子孫の間に明確なつながりができること─すなわち先祖への家族歴史と神殿の業を進めること,それなくしてわたしたちは完全になり得ない,と。「それを実践するために必要なのが,死者のための身代わりのバプテスマです。これがジョセフ・スミスによって明らかにされたときにはっきりと言われたのは,わたしたちが先祖のためにこれを行うことです。

もちろんどんな理由ででも皆さんに神殿へ行ってほしいと思います。平安を得るためであっても結構です。でもそれと同時に,自分自身の家族歴史を調べること,そして自分自身の先祖のために神殿に行くことを願っています。

エリヤの霊とは,家族の神性をわたしたちに証してくれるものなのです。家族歴史の業に携わるとき,その霊がわたしたちに祝福を与えてくれます。そして,調べた名前を持って神殿に行くなら,わたしたちは特別な祝福を受けます。」

「この混沌とした時代の中での皆さんへの勧告は,わたしたちが家庭の中で信仰を実践すること,わたしたちの周りの人々へ模範を示すこと,この世の光となること,そしてわたしたちが神殿に焦点を合わせることです。神殿に入ることのできない方々は,どうぞ神殿に入るための日付を決めて努力をしてください。家族を集めてください。それは非常に大切なことです。なぜなら,日の栄えの王国は家族が基盤となっているからです。それは皆さんを大いに祝福してくれるのです。」◆

5月28日,札幌・厚別にて─

神殿に備える─青柳長老

6月28日の晩,札幌ステークセンターで開かれた特別ファイヤサイドにて,地域会長会の青柳弘一長老は,「1か月前には見えていなかった(建物)が,どんどん建ち上がってきているのを見ますと,本当にうれしい気持ちがいたします」と感慨深く語る。一方,日本札幌神殿が稼働すると,毎週,何百人もの儀式執行者が地元から必要になるという。青柳長老は神殿を受けるにふさわしい民として備えるよう地元の会員を励ました。

「一つは霊的な備えです。神殿は聖なる宮と呼ばれています。入るときにわたしたちの聖さをささげると宣言するわけです。わたしたちの聖さとは,悔い改め,主の教えに従う,そしていつでも御霊を受けられる備えをして神殿に入るということです。

時々,問題を抱えておられる方が,『わたしは神殿に入る資格がない』とおっしゃいます。でもそれは大きな誤解です。もし神殿に入る資格がなかったなら,悔い改めればいつでも入れるんですね。神様はわたしたちの弱さを御存じです。悔い改める人をいつも赦してくださいます。わたしたちは,いつでも神殿に入れるように自分自身を備える必要があります。……

もちろん不完全(な人間)ですから完全にはできないときがあるかもしれません。でもそのときこそ,わたしたちのために神様が遣わしてくださったイエス・キリストの大きな苦しみの犠牲,贖いの力に頼る必要があります。そのとき,イエス・キリストの贖いはわたしたちの悔い改めた罪を赦してくださり,わたしたちの弱さを強くしてくださいます。またわたしたちを助け,わたしたちにできないこともできるような大きな力を与えてくださいます。」

神殿へのふさわしいささげもの─クリストファーソン長老

「古代において,人が神殿に参入するときにはささげものをしました。」青柳長老の後に登壇したクリストファーソン長老は,古代の神殿で子羊や山羊や鳩が犠牲としてささげられていたことを語る。主が復活されてから,動物の血を流す犠牲は終わりを告げ,新しい犠牲の形が示された。

「『あなたがたは打ち砕かれた心と悔いる霊を,犠牲としてわたしにささげなさい。』

(3ニーファイ9:20)わたしたちの時代に主の望まれるささげものとは,物や動物ではなく,あなた自身だと述べられています。わたしたちが神殿に持参するのは自分自身です。すなわちわたしたちの従順,わたしたちの正義,わたしたちの人格,これが主へのささげものです。神殿の外観には『聖きを主に捧ぐ』と書かれます。ですからわたしたちがその宮に入るとき,ますます聖なる者となっていれば,主は大変喜ばれることになります。」

クリストファーソン長老は,わたしたちが自身の心と霊を内観して,救い主の徳質に近づけるよう,取り除くべきもの,取り入れるべきものを評価するように勧める。

「『あなたがたは互いに愛し合うようにしなさい。むさぼるのをやめなさい。福音が求めているように,互いに分かち合うようになりなさい。怠惰であるのをやめなさい。不純であるのをやめなさい。互いに非難し合うのをやめなさい。必要以上に長く眠るのをやめなさい。……』(教義と聖約88:123−126参照)……これから数週間の間,生活の中でも人格の中でも改善できるところを自ら評価してください。そして謙遜に,打ち砕かれた心と悔いる霊をもって,もっと善くなろうと努力していただきたいのです。そうすれば,札幌神殿に初めて参入するとき,皆さんはふさわしいささげものになります。」

霊界からの訪れ

クリストファーソン長老は,ソルトレーク神殿の内装工事に携わったフレデリック・ウィリアム・ハースト兄弟の経験※2 を紹介する。フレデリックは病に苦しみながらも,ウィルフォード・ウッドラフ大管長がチャレンジした期限までに神殿を完成できるよう,全力を尽くして休みなく働いていた。

神殿が完成する約1か月前の1893年3月1日の夜,フレデリックは下宿のダイニングルームのテーブル近くに腰掛けていた。彼以外は皆,寝静まっていた。

そのとき,オーストラリアにいるはずの兄弟のアルフレッドが,とても自然な様子で部屋に入って来て彼の向かいに座り,ほほえんだ。フレデリックは大変驚いて尋ねる。「いつユタに着いたんです?」

彼の答えはさらに驚くべきものだった。「わたしは霊界から来たんだ。わたしの体は墓に横たわっていて,お前が見ているのはわたしの肉体ではない。」その後の会話の中で,フレデリックは3 回も言う。「アルフレッド,あなたの見た目も話し方も完全に自然で,死んでいるとは信じられない。」そのたびに彼は,毎回こう答えた。「お前が見ている姿は霊体だ。わたしの肉体は墓に横たわっている。」

そしてこう続ける。「お前は伝道中に何度も福音について聞かせてくれたね。霊界が実際に存在することも。わたしはお前の言葉を信じることができなかったけれど,死んでから霊界へ行き,自身の目で見て,お前が言っていたのは真実だと気がついたんだ。わたしはモルモンの集会に参加したよ。」

アルフレッドは身振りを交えて穏やかに語りかける。「わたしは心から主イエス・キリストを信じている。悔い改めと罪の赦しを受けるためのバプテスマに信仰を持っている。しかし,わたしにできるのはそこまでだ。わたしのために神殿の業を行ってほしいんだ。」─やがてアルフレッドは立ち上がり,入って来たときと同様に,ドアから自然な様子で立ち去って行った。

フレデリックが今,見聞きしたことに思いを巡らしながら座っていると,ドアが再び開き,もう一人の兄弟アレキサンダーが入って来て,さっきまでアルフレッドが座っていたところに笑顔で腰掛けた。彼は1852年にニュージーランドで亡くなっていた。1885年,フレデリックはアレキサンダーと父親のために,すでに儀式を行っていた。

アレキサンダーは別の世界から訪れていた。彼はあたかも天使のようで,表情はとても美しく喜びに満ちていた。「フレデリック,わたしはお前に感謝を伝えに来たんだ。お前がわたしのためにしてくれた業のために。でも,まだ十分ではない。」

アレキサンダーはしばし沈黙した。

そのとき突然,フレデリックの心にはっきりと言葉が刻み込まれた。

─「主にあっては,男なしには女はないし,女なしには男はない。」※3

彼はアレキサンダーに言う。「分かった。あなたに結び固められるべき人のことを言っているんだね。」

「そのとおり。お前に聖文を説く必要はないな。けれども,その業が終わるまで,わたしは次の段階へ進むことができないのだよ。」

フレデリックは,ソルトレーク神殿が間もなく完成すること,4週間後には奉献されること,できる限り早く神殿に参入することを伝える。

「お前がそうしてくれると知ってるよ。」

アレキサンダーはそう言って立ち上がると部屋を去った。フレデリックは書き表せないほどの喜び,平安,幸福な気持ちに満たされた。

儀式の持つ力

「この経験談はとても興味深いものです」とクリストファーソン長老は語る。「わたしたちが死後霊界に行っても,霊にははっきり意識があって生きていることが分かります。また,わたしたちの先祖や親戚が霊界で,神殿の儀式の祝福を受けたいと渇望しているのが分かります。さらに,これらの儀式がわたしたちに非常に大きな影響を及ぼすことが伝わってきます。バプテスマをまだ受けていない兄弟(アルフレッド)は普通の人に見えました。しかし,すでにバプテスマを受けているもう一人(アレキサンダー)は天使のような光と栄光のある状態でした。聖文でもこのことについて述べています。『また,この大神権は福音をつかさどり,王国の奥義の鍵,すなわち神の知識の鍵を持つ。それゆえ,この神権の儀式によって神性の力が現れる。』(教義と聖約84:19−20)わたしたちがこれらの儀式を受けて神に従順になると約束するときに,神がわたしたちに神性の力をお与えになります。つまり神の影響力がわたしたちに入ってくるようになります。それはほとんどの場合,聖霊によって与えられます。そして時間をかけてわたしたちを変えていくんです。わたしたちを清めて,より聖なる者としてくれます。さらに神様のような存在になります。……しかしそれは,神に従順になることを決意した人にのみ与えられるのです。」

クリストファーソン長老は聴衆に,できるだけ多くの必要な儀式を受けるようにと呼びかける。求道者はバプテスマを,まだ神殿に参入していない会員は神殿の儀式を受ける準備をするよう励ます。

「興味深いことに,わたしたちが神様に約束すること,神様がわたしたちに約束することはそれぞれ個人のものです。……一人一人がバプテスマを受け,神様との約束を交わさなければなりません。わたしは主の戒めを守ると約束します。(すると)『わたしの王国にあなたは入ることができる』という約束を,わたしたちは個人の名前によって一人一人,神様から受けます。神様は偽ることができないので,この約束は必ず守られるとわたしたちは知っています。ですから,わたしたちが全ての儀式を受けて約束を受けるなら,その全部が祝福また救いとして報われると強く確信することができます。これがこれらの儀式の力の一つなのです。」

5月25日,東京・吉祥寺にて─

聖霊の贈り物─メインズ長老

七十人会長会のリチャード・J・メインズ長老は,神様が賜った二つの偉大な贈り物について話し始める。「『神はそのひとり子を賜わったほどに,この世を愛して下さった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで,永遠の命を得るためである。』※4 愛する天のお父様がわたしたちに最初に下さった贈り物は,神のひとり子です。そして2番目の贈り物は聖霊です。『およそ神を熱心に求めるすべての人に神が与えられる賜物である。』※5 ……非常に興味深いことに,天のお父様が下さった二つの贈り物,それは御自身の神会の中の御二方なのです。」

イエス・キリストがアメリカ大陸を訪れたとき,ニーファイ人は何を望んだか。「『彼らは,自分たちが最も望んでいるものを求めて祈った。聖霊が授けられるようにと望んでいたのである。』※6 聖霊を受ける前に彼らはもう一つの儀式が必要でした。それはバプテスマの儀式です。『彼らが皆バプテスマを受けて,水から上がると,聖霊が彼らに降られた。そして,彼らは聖霊と火に満たされた。』※7 それを御覧になって,主は心にとても感銘を受けられたので,祈りをささげられました。」聖文に主御自身の祈りが記録されているのは極めて稀なことだ,とメインズ長老は言う。「この出来事は,聖霊が,わたしたちの生活においてどれほど大切であるかを表しています。『父よ,わたしが選んだこれらの者に聖霊を与えてくださり,感謝いたします。彼らがわたしを信じたので,わたしは彼らを世から選び出しました。』※8ほんとうに美しい節ですね。」

次いでメインズ長老は,「では聖餐会はなぜそれほど大切なのでしょうか?」と聴衆に問いかけて,─それは,聖餐の祝福の言葉を逆から読むと分かる,と説く。

「わたしたちは主の戒めを守ります。なぜ守るのですか。主をいつも覚えるためです。なぜわたしたちはいつも主を覚えるのでしょう。それは,わたしたちが主の御名を受け(ると聖約し)たからです。

では,わたしたちが主との聖約を真心から新たにするとき,次に何が起きるでしょうか。偉大な約束がそこに与えられています。毎週,毎週,毎週,主の御霊がわたしたちとともにあるのです。」 ◆