末日聖徒イエスキリスト教会(モルモン教)リアホナ2014年4月号 精神疾患に関する俗説

精神疾患に関する俗説

     七十人 アレクサンダー・B・モリソン

精神疾患について理解が増してくると,それに苦しんでいる人たちに対して,愛と思いやりをもって手を差し伸べることができるようになります。

モルモン書の中には神の律法に従っていたニーファイ人が「幸福に暮らした」と記されています(2ニーファイ5:27)。もし神の戒めを従順に守るなら幸福に暮らせるというのは,なんとすばらしい洞察に満ちた考えなのでしょう。

しかし幸福とは逆境がない状態を意味するのではないことを理解することが大切です。誰もが信仰と忍耐を試される誘惑や反対,試練を経験します。「それは,すべての事物には反対のものがなければならないからで〔す〕。」(2ニーファイ2:11)

個人や家族が直面し得る最もつらい試練の一つは精神疾患です。ここで述べている精神疾患は,通常の生活の消耗から来る一過性の社会的,情緒的な悩み事を指しているのではありません。思考や行動に障害を引き起こす疾患のことを指します。もしそのような障害がひどくなり慢性化すれば,日常生活で求められる様々な事柄に十分対処し切れなくなることもあります。このような疾患は,極度のうつ病のように生命そのものを脅かすこともあれば,衰弱が進み適切に行動することができなくなることもあります。

この100年あまりの間に,医学は驚くほどの進歩を遂げ,脳の神秘を幾らか解明してきましたが,この複雑な分野に関する知識は,実際のところまだ初歩的な段階です。脳が機能する仕組みや,脳の一部分が誤作動を引き起こすメカニズムはまだ正確には分かっていません。しかし確かなことは,いかなる個人,家族,および集団も精神疾患を患う可能性があるということです。さらに膵臓内の化学物質障害から糖尿病が生じるように,脳内の化学物質障害から多くの精神疾患が生じていることが分かっています。ではなぜいまだに精神疾患に関して様々な誤解や恐れが生じているのでしょうか。

俗説と誤解

精神疾患に関する俗説や誤解は,一般の人たちと同じように末日聖徒の間にも存在します。これらの有害な考え方には以下のようなものが含まれます。

1. すべての精神疾患は罪によって引き起こされる。そのことについて誤解があってはいけません。罪とは,神の戒めを故意に破ることであり,実際に自分自身や他の人を傷つける行為につながるものを指します。そしていかなる罪に対しても,結果と罰が伴います。正義の要求は,罪を犯した人が罪を悔い改め,キリストを救い主として認めることによってキリストの贖いを通しして与えられる憐れみの力に頼らなければ,容赦のないものとなります。

魂を苦しめる罪の力は悔い改めたアルマの言葉に明瞭に表れています。「わたしは,永遠の苦痛に責めさいなまれた。わたしはきわめてひどい苦しみを受け,自分のすべての罪に責めさいなまれた。……わたしは自分のあらゆる罪と不義を思い出し,そのために地獄の苦しみを味わった。……神の御前に行くことを考えるだけで,わたしは言いようのない恐怖に責めさいなまれた。おお,そのときにわたしが思ったのは,自分が追放されて霊と肉体がともになくなってしまえば〔よい〕……ということであった。」(アルマ36:12−15)

アルマのように,悔い改めの過程で悲しみを経験した人が精神疾患に陥るのではありません。その罪が深刻なものであれば,ビショップに告白し,勧告を受ける必要があります。それぞれのビショップは召しを受ける際に特別な識別の賜物と知恵を授かっています。どれほど優秀な精神衛生の専門家であっても,忠実なビショップに取って代わることはできません。それはビショップが聖霊の導きを受けて,罪に伴う苦痛や悔恨,落胆から立ち直れるように教会員を助けることができるからです。しかしそのうえで多くの場合,常軌を逸した思い,行動,感情は精神疾患によるものであり,罪によるものではないことを強調する必要があります。その症状は病気によるものであり,罪によるものではありません。精神疾患は,神が罪人を罰するために使われる方法ではありません。精神疾患が罪であると決めつけることは極端に短絡的で,教会の教えにも反します。

戒めに従って生活し,聖約を尊びながらも精神疾患に苦しむ末日聖徒や,道徳的に正しい生活をしているのに精神疾患を抱えてつらい痛みや苦しみを味わっている家族を支えなくてはならない忠実な聖徒が大勢いるのは事実です。そのような重荷を抱えている人は多く,愛と理解と受容の心によってのみ,その重荷を軽くしてあげることができるのです。

2.精神疾患になるのは誰かのせいである。人生で悪いことが起こると,他の人や自分自身を責めるのはよくある人間の傾向です。精神病患者の多くは,自分の苦しみが,自分自身や両親,他の人の行いによって引き起こされたのではないかと無益に思い巡らして疲れ切っています。悪魔に支配されてしまったせいで疾患を抱えているのだと主張する人もいます。確かにそのようなことが起こったこともありますが,世の中でうまくいかないこと全てを悪魔のせいにして,その功績を認めることのないようにしましょう。一般的に,精神疾患を経験している人に悪魔ばらいなどは必要ありません。彼らに必要なのは熟練した医療専門家の治療であり,周囲からの愛と思いやり,そして支えなのです。

精神病患者はよく自分を責めるものです。多くの患者はとらえようのないひどい感情を取り除くことができず,自分に原因がない場合でさえ,何らかの形で苦痛の原因が自分自身にあると考えてしまいます。両親や配偶者,他の家族も,自分はどこで間違いを犯してしまったのだろうかと,無益にも考ようとして苦しむのです。 赦しを受けなければならないことが何一つ見当たらなくても,赦しを求めて何度も祈ります。もちろん大半の場合,このようなことをしてもうまくいきません。理由は明確です。患者の思いや行動は,病気の過程から生じるもので,神や他の人の行動によって生じたものではないからです。

精神疾患について責めることは,それに関わる全ての人々に不必要な苦しみを与え,時間と労力を消耗させます。本来ならば,それらの時間と労力を,事実をより正確に理解するために使うべきです。発症している病気について十分なアセスメント(査定)や適切な診断,原因の究明に努めるべきです。適切な投薬を受け,癒しの一部である行動技法やと認知技法を学ぶべきです。患者や愛する人々, わたしたち全ての理解が深まると,否定や怒り,拒絶などの気持ちが,忍耐, 赦し,共感へと変わります。

3.精神疾患を持つ人が必要なのは,神権の祝福だけである。わたしは神権の祝福を心から支持しています。多くの個人的な経験から,神権の祝福は計り知れないほど善いものをもたらしてくれます。精神疾患やその他の病気の完全な癒しは,最終的にはイエス・キリストに対する信仰によりもたらされます。どのような状況にあっても,すなわち,病めるときも健康なときも,順風のときも逆境にあるときも,主に心を向けることによって,わたしたちの人生は豊かでより平安に満ちたものになります。「すべて重荷を負うて苦労している者は,わたしのもとにきなさい。……わたしは柔和で心のへりくだった者であるから,わたしのくびきを負うて,わたしに学びなさい。そうすれば,あなたがたの魂に休みが与えられるであろう。わたしのくびきは負いやすく,わたしの荷は軽いからである」(マタイ11:28−30)と主は宣べられました。神の全ての子供たちに必要な,癒しをもたらすギレアデの乳香を持っておられる御方は,主の他にはいないのです。

どのようなことであれ,神権の祝福が持つ特別な役割を過小評価してはいけませんが,教会の指導者は霊の指導者であり,精神衛生の専門家ではないことを理解する必要があります。指導者の多くは,深在性の精神疾患について,効果的に対応する専門的技能はなく,そのような訓練も受けていませんが, 自分が見守るべき人々が適切な専門家の支援を必要としているならば,そのような助けを得るように勧められています。神は精神疾患のようなつらい問題を克服できるように驚くべき知識と技術をわたしたちに与えてくださったことを忘れてはいけません。わたしたちが,がんや心臓病,糖尿病のような健康上の問題について躊躇することなく医師に相談するように,精神疾患についても,医療関係者やその他の適切な専門家の支援を受けることに躊躇するべきではありません。そのような支援を求めるときには,できる限り,携わる医療関係者が,福音の原則に添った診療と処置を行ってくれるよう注意を払ってください。

4.精神疾患を持つ人は意志が弱いだけである。精神疾患者は,「吹っ切って,ただ根性を出して,くよくよせずに前向きに生きていけばよい」などと誤って理解している人もいます。そのように信じている人たちは,ひどく理解と思いやりに欠けています。深刻な精神病患者は,単に自分の意志だけでは置かれている苦境から抜け出すことができません。彼らには助けと励まし,理解,愛情が必要なのです。重度のパニック発作による耐えられないほどの苦痛を目にしたことのある人は,ほんの少しの意志を働かせて治るくらいならば,だれもそのような苦しみを経験しなくて済むと十分に知っています。しかし,ベッドから起き上がることもできず,一日中泣き暮らし絶望的になって気力を失ったり,あるいは,自殺をしようとしたりする重度のうつ病患者の筆紙に尽くし難い悲しみを目にしたことのある人ならば,一瞬たりとも精神病が意志の力で何とかなる病だとは思わないでしょう。わたしたちは,心臓病やがん患者に対して「もうそろそろ乗り越えなさい」などとは言いません。わたしたちは,精神病患者に対しても,そのような思いやりのない不親切な態度で接するべきではありません。

5.精神病患者は皆危険で隔離されるべきである。世間を騒がせ不完全なメディアの報道が,精神病患者は,正気を失っていて暴力的な狂人であり,本人だけでなく周囲の人にとっても危険であるという固定観念的なイメージを作り上げてきました。実際は,精神疾患を抱えた人たちの多くは乱暴ではなく,暴力事件の大多数は,精神疾患を抱えた人々によるものではありません。さらに,過去40年以上の間に,精神疾患に有効な薬物療法が施されるようになり, 効果的な支援プログラムも開発され,多くの精神病患者は身体的な疾患を抱えた患者と同じように,コミュニティーで生産的な生活を送ることが可能であると分かってきました。彼らを隔離する必要などありません。他の人と同様に,適切な治療を受けている精神病患者のほとんどは,あらゆる職業において役職を問わず,自分の能力や才能,経験,動機に応じて, 働くことができる可能性を持っています。

6.子供や若者が,精神疾患にかかることはない。米国国立精神衛生研究所によると,アメリカ合衆国のおよそ10%の子供が精神障害に苦しんでおり,家庭や学校,コミュニティーでの生活に支障を来しているというのは事実です。自殺する子供の多くは深刻なうつ病になっており,ほとんどの親が,手遅れになるまで子供のうつ状態に気づきません。繰り返し申し上げますが,誰でも精神疾患にかかる可能性があります。

7.原因が何であろうと,精神疾患は治らない。上記で述べたように,過去40年の間,世界各国の製薬業界で多くの薬が開発されてきました。これらの薬は,何百万という人たちに,計り知れないほどの価値をもたらしたことが実証されています。薬は完全とは言えませんし,すべての症例に効果を上げているというわけでもありません。残念ながらまだその領域には及んでいません。しかし,現在のような薬効をしばしば制限してしまう副作用を引き起こすことなく,関係する生化学的病変に的を絞って効果を発揮する薬が医療従事者に提供される日が近づいています。そのような開発は今すでに進められており,今後10年間において,精神疾患の治療に画期的な躍進がもたらされることを,わたしは信じています。

苦しんでいる人たちに手を差し伸べましょう

精神疾患を取り囲む俗説について述べたこれらの事柄が,この重要な問題についてわたしたちの理解を深め,愚かな偏見を捨てることに役立つことを望んでいます。精神疾患に対する知識と理解を深めるにつれて,愛や受容,共感を持ち,心から寄り添うことができるようになります。わたしたちが,神のすべての子供たちを愛し,だれをも見捨てることをせず,苦しんでいる人々を高め,強めることができるよう,神が祝福してくださいますように。◆