リアホナ2014年4月号 教会は病院です

教会は病院です

─丈夫な人には医者はいらない……わたしが好むのは,あわれみであって,いけにえではない(マタイ9:12) 

会員が 25 人ほどのある小さな支部には昔も今も精神疾患やその他の福祉の必要性を抱えた兄弟姉妹が多くいます。「働き人が少ない」 ために,これらの兄弟姉妹を助けるために支部評議会の人員をそろえることは不可能でした。数年前,トーマス・S・モンソン大管長によって与えられた「救助に向かう」 との呼びかけに従って,霊感された支部会長は,特にこれらの兄弟姉妹を助けるために教会員のボランティアによる評議会を組織しました。正式な召しとは関係なく多くの人が参加しました。この評議会はこの支部の福祉の業において重要な役割を果たしています。支部会長は次のように説明しています。「わたしたちは個々の必要性やそれらの解決策に焦点を当てた評議会を開きました。誰もその評議会を開くことを負担だと感じる人はいませんでした。むしろ,わたしたちは御業に携われることを楽しみました。」 会員の中にはかなりの支援を必要とする人もいました。もし新しい会員が教会まで車に乗せてきてもらう必要がある場合,評議会のメンバーが自発的に毎週車での送り迎えの手配を行います。会員たちが自由に交流し,お互いの親交を楽しむことで関係を築くことができるよう,支部では集会後に昼食会を定期的に開いています。この評議会では,ソーシャルワーカーや心のケアの専門家である評議会メンバーの専門知識を効果的に活用しています。彼らはチームとしてこれらの兄弟姉妹を支援するに当たり,個々の会員の精神疾患について,また,彼らに対してどのように接するかについて学んでいます。幾人かの会員が教会の活動に戻り,改宗者も参加するにつれ,徐々により多くの人々がこの働きの輪に加わりました。

専門家としての経歴を持つ姉妹は次のような考えを分かち合ってくれました。「精神疾患を持つ兄弟姉妹は,わたしたちに救い主が教えてくださったように『わたしの兄弟であるこれらの最も小さい者のひとりにしたのは,すなわち,わたしにしたのである。』(マタイ 25:40)ということを行う機会を与えてくれます。彼らがいるおかげで,わたしたちは成長できるのです。彼らはわたしたちに忍耐を学ぶための機会を与えてくれるのです。教会は病院のようなものだと思います。なぜなら,わたしたちは救助者となるように召されているからです。それはわたしたちが精神疾患だけでなくあらゆる経歴を持った兄弟姉妹を受け入れる準備をする必要があることを意味しています。」 彼女は教会員が彼らを支援する方法を知るために,精神疾患について学び,それぞれの人物について知るための時間を取ることの重要性を強調しています。

彼女は次のことも強調しています。「わたしたちは本当に人を裁くことはできません。それは天の御父が行うことです。」 この支部における互いの愛,尊敬,仲間意識の精神はまっており,それは訪問者であっても見て取れるほどです。この支部を初めて訪問した会員は,訪問中に経験した愛が満ちた雰囲気に心が動かされたことを話しています。この会員はさらに次のことを分かち合ってくれました。「わたしが理想とする教会の姿がそこにりました。その支部では疎外感や差別を感じることはありませんでした。そこは大きな家族のようでした。誰かが精神疾患を患っていようがを仲間として受け入れていたのです。」※3 ◆