リアホナ2013年9月号  2013年度の 地域における福祉活動の強化

2013年度の 地域における福祉活動の強化

(地域福祉部)

貧しい人や助けを必要とする人への支援①/2

自立に関する話し合いは,わたしたちを愛し,助けてくださる天の御父のようになるために,自立を目指して懸命に努力するという霊的なメッセージで終わりました。これから2か月間にわたり,わたしたちは貧しい人や助けを必要とする人への支援に焦点を当てます。そうすることは不可欠です。なぜなら,すべての人がどれほど一生懸命に自立しようと努力したとしても,主が宣言しておられるように,「貧しい人たちはいつも〔わたしたち〕と一緒にいる」(マルコ14:7)からです。

貧しい人や助けを必要とする人とはどのような人を指すか

まず,「貧しく助けを必要とする人」とはどのような人か検討してみましょう。最初に,健康,教育,雇用の面で,また財政的,情緒的,あるいは霊的に助けを必要とするすべての人が挙げられます。主はこのような人々に加えて,空腹な人,かわいている人,裸の人,病気の人,獄にいる人も当てはまると言われました(マタイ25:34-36参照)。わたしたちは「孤児や,やもめ」を見舞うように勧められてきました(ヤコブの手紙1:27;教義と聖約136:8参照)。アルマの民は「神を知らない者たちの幸いのためにともに断食し,熱烈に祈〔り〕」ました(アルマ6:6)。贖いは罪人の現在と永遠の必要に焦点を当てていました(1ニーファイ11:33)。恐らく,ベニヤミン王が語った次の言葉はそのことを最も的確にまとめています。「見よ,わたしたちは皆,物乞いではないだろうか。」(モーサヤ4:19)

実際,多かれ少なかれ,人生のある時期に,神の子供たちはだれでも,助けを必要とする状況に置かれるものです。愛,関心,慰め,励まし,優しい笑顔,神権の祝福,物質的な支え,あるいはそのほかの様々な援助が必要となる時は一人一人に訪れるものなのです。

ビショップおよびワードの役割

わたしたち一人一人には,自立し,できる限りのことをして自分と自分の家族の必要を満たすように努力する責任があることを念頭に置きながら,わたしたちは次のように質問をします。「これほど様々な必要を抱えた数多くの人々を,はたしてだれが助けられるでしょうか。」教会員から返ってくる共通の答えは「ビショップ」です。それはとてもいい答えです。こう教えられているからです。「ビショップはワードの福祉の業を指示する。ビショップには貧しい人を捜し出し,支援するという神聖な責任がある。」(『手引き第2部』6.2.1)そのような責任を果たすに当たって,ビショップは二人の顧問,ワード評議会の会員,教会および地域社会の援助手段を活用します。したがって,ビショップに相談を持ちかけたときに,長老定員会会長や扶助協会会長,ワード評議会の会員,あるいはホームティーチャーに助けてもらうよう指示されても驚くことはありません。

すべての会員の役割

わたしたちには恵まれて,神権の鍵,永遠の原則,そしてシオンを築く業に熱心に取り組む指導者が与えられています。しかし,貧しい人や助けを必要とする人への支援はだれの役割かという質問に対して「ビショップ」というのは最善の答えではありません。ビショップやその援助網だけで,すべての会員に手を差し伸べ,すべての必要を満たすことはできないからです。神権者を対象とする説教で,ディーター・F・ウークトドルフ管長は,次のように教えています。「今この瞬間にも,苦しんでいる教会員が大勢います。空腹で,経済的に困窮し,あらゆる種類の身体的,情緒的,霊的な苦しみや悩みと闘っています。助けを求め,救済を求めて,全精力を傾けて祈っています。

兄弟の皆さん,これはほかの人の責務だと思わないでください。これはわたしの責務であり,皆さんの責務です。わたしたちは皆,協力を求められています。『皆』とは全員を,すなわち物持ちでも貧しくても,あらゆる国のすべてのアロン神権者とメルキゼデク神権者を意味しています。主の計画においては,すべての人に何か貢献できることがあるのです。わたしたちが代々学んでいる教訓は,物持ちも貧しい人も皆が同じように隣人を助ける神聖な義務を負っているということです。福祉と自立の原則をうまく実践するには,皆がともに働く必要があるのです。

わたしたちは周りの人の必要に気づきながらも,だれか遠くの人が魔法のように現れてそれを満たしてくれるのを願うことが実に頻繁にあります。特殊な知識を持つ専門家が特定の問題を解決してくれるのを待っているのかもしれません。そのようにするとき,わたしたちは自分が提供できるものを隣人に渡さず,また自分自身から奉仕の機会を奪っていることになります。専門家に何も悪いところはないのですが,現実を見詰めましょう。つまり,すべての問題を解決してもらえるほど十分な人数の専門家がそろうことは決してないのです。その代わりに,主は世界中で,神権者とその組織を用意してくださっています。そしてその傍らに,扶助協会を用意してくださっています。神権者が知っているとおり,姉妹の驚くべき賜物と才能を生かせなければ,いかなる福祉活動も成功しません。」(「主の道にかないて助けをなす」『リアホナ』2011年11月号)

アルマの民はこの原則を理解し,実践しました。次のように記されています。「このように,彼らは皆,平等であった。そして,彼らは皆,各々自分の力に応じて働いた。」(アルマ1:26)わたしたちには自立するために最善を尽くすという責務が与えられています。わたしたちがそうするのは,イエス・キリストの模範に従い,助けを必要としている人々を慰め,支援することができるようになるためです。神の子供たちはだれでも,貧しい人や助けを必要とする人となる可能性があります。同時に,すべての人は,まさしくそのような人を捜し出し,支援するという偉大な業に携わる能力と義務が与えられています。そうするための力,機会,そして知恵を求めて祈り,そして立ちあがって,働こうではありませんか。◆