リアホナ2013年10月 愛する場所 福岡

愛する場所 福岡

 野中美治 リアホナスタッフライター 福岡セッション担当

「この場所は奇跡です。」青少年の到着を玄関で待ちながら地域七十人の田代浩三長老は言った。smyc福岡セッションは,長崎県佐世保市の烏帽子岳という山の中腹にある『長崎県立佐世保青少年の天地』で行われる。青少年が350人,カウンセラーや後方支援スタッフなどを含めると500人を上回る人数を収容できる施設を探すのは困難だった,と田代長老は振り返る。「どこにもありませんでした。実はここは1度当たった場所なんです。無理と言われました。でも,高校教員の兄弟が『ここはどうですか?』と言われるんです。それで,もう1度連絡を取りました。ここに決まりました。奇跡です。」全国で,この多人数を同日程で受け入れる複数の施設を確保するのに後方支援スタッフは苦慮し,それぞれの会場において奇跡とも形容される経緯があった。インターネットの届きにくい,鳥のさえずりと森の木々に囲まれた小高い「奇跡の場所」で福岡セッションは始まった。

smycに集う顔ぶれは一部(関東方面)を除き,青少年やカウンセラーにとって自分のステークや地方部の近くから来ている。お互いに顔なじみが多く,玄関に到着して来る青少年の表情は一様に明るい。出迎えるカウンセラーの中に知り合いを見つけては笑顔でハイタッチにこたえる。カウンセラーに混じって歓迎する指導者たちもよく知っている顔ぶれで,彼らの差し出す手に少しはにかみながら皆うれしそうにこたえる。手ごたえは十分だ。

笑顔と笑顔で始まったsmycだったが,元気いっぱいで盛り上がっている青少年ばかりではない。3日たっても聞こえてくる声がある。「帰りたい……。」初日,あるカンパニーで一人の男の子が「おれは親に強制的に来させられた」とつぶやいた。すると隣の子も「おれも」その隣も「おれも」と口々に言い始め,「来たくなかった。帰りたい」最初の子がふてくされ気味に言い捨てた。3日目もその少年は同じ表情で「疲れた。つまらないです。」─さまざまな青少年たちが参加している。毎週元気に教会に集っている子もいれば,部活で休みがちな子,教会に背を向けている子もいる。

ぽんと送り込まれた見知らぬ場所で時間に追われるように行われる霊的な学習。「御霊」「聖霊」「証」……聞いたことはあるけれど『何か』と聞かれてもうまく答えられない言葉の数々。「贖い」……まるで分からない言葉もある。なかなか開けない聖典。「ここは嫌だ」そう思うのも当然だろう。ひざを抱えて話に加わろうとしない。冷めた表情を崩さず,声をかけてもぼそぼそと答え,まわりが笑っても口もとをぴくりとも動かさない。そんな少年に「帰って何をするの?」と問うてみた。少し間を置いて「部活です」とぶっきらぼうな返事が返って来る。自分の意思で来た青少年に混じって半強制的な形でやって来た子たちに「奇跡」は起こるのだろうか。

2日目のダンス,3日目の体を動かすゲームは人気があった。皆,弾けたように笑い踊り飛び跳ねた。カンパニーで声を合わせ息を合わせて大縄跳びをし,ボールを追いかけた。「楽しかった」「おもしろかった」という声とともに笑顔も増えた。しかし変わらずに「帰りたい」の声は残る。

カウンセラーたちは毎朝,起床時間の前に起き出してそれぞれに打ち合わせをする。彼らが事前に得られた担当ユースたちの情報は少なく,初日の出会いからそれぞれの性格や個性を知っていかなければならない。「最初はすごい不安でしたね。この子たちのテンションが低くて……特に男の子が。」プログラムは同時に進行しており,smycの時間は着々と終わりに向かって進んでいる。その中でなかなか心を開かない子がいる。焦りがないと言ったらうそになるだろう。話し合いをするカウンセラーのまなざしは真剣だ。3日目の朝,帰りたいと言った少年のいるカンパニーのカウンセラーは,ほかのカウンセラーよりも早い時間から打ち合わせを始めた。どうやったら聖典学習がうまくいくか,仲間意識が高まるか,心を通わせられるかを懸命に探る。

カウンセラーにとってsmycは,青少年に愛を伝える実践の場だ。この1週間,自分のことはわきに置いてひたすら青少年に心を注ぐ。それは限られた伝道期間を,ひたすら求道者や会員のためにささげる宣教師の経験のひながたでもある。

全体的な活動では自分の殻にこもっているその少年も,部屋では様子が少し違う。カウンセラーを巻き込んでふざけたり笑ったりいたずらをしたり。「部屋で騒ぐんです。元気になってきました」とカウンセラーは少し安堵した表情で言う。部屋には2段ベッドが4つ設置されており,青少年が利用する。カウンセラーはその奥の床に布団を敷いて寝ている。目が覚めてから眠るまで青少年の心や体の調子を見守る。セミナーや活動が目白押しのスケジュールに余計な時間はない。部屋で過ごす時間は限られている。しかし,そのわずかな時間が,カンパニーの仲間とのつながりを強め,カウンセラーとの距離を縮める。消灯時間を過ぎても聞こえてくる笑い声,消えない明かり。カウンセラーは辛抱強く就寝の声をかける。態度や行いで愛を伝える。叱責や強制はない。青少年が自分から動くまで何度でも。

週も後半に入るとどこのカンパニーからも緊張感が消え,カウンセラーを交えて何かしら独自の活動をするようになった。中庭の芝生に円になって転がり写真を撮ったり,玄関先で撮影スタッフに記念写真を頼んだり,そこここで雑談をし,笑い声が響く。互いに言葉を交わし何度もハグをする。涙する少女がカウンセラーに肩を抱かれていすに座っている。カウンセラーは何も言わずただ寄り添っている。その隣にはやはり無言で,うちわで二人に風を送るカウンセラーがいた。

音楽プログラム練習,バラエティショーのオーディション,活動の場が個人によって分かれることもあるが,それが終わると自然にカンパニーへ戻って行く。smycという疑似社会にあってカンパニーは家庭だ。仲間との距離が縮まり,男女の別なく言葉を交わし,一緒に歩くことが自然になってきた。カウンセラーが,「見知らぬ年長者」から「すぐ隣にいるお兄さんお姉さん」に変わっていく。そして少しずつ,少しずつ,「帰りたい」という声は小さくなっていった。

「これはもう奇跡ですね」ビルディングカウンセラーの一人が,会場を1周するほどの青少年の列を見ながら興奮気味に言った。木曜日夜の証会,準備された時間では足りない。─「伝道に出ます。」「この教会は真実です。」「来たくなかったけれど来てよかったです。」「カウンセラーに感謝します。」「カンパニーのみんな,愛しています。」─次々に証や感謝を述べる青少年たち。『おもしろくない』『帰りたい』と言っていた子たちまでが並んでいる。どこのカンパニーからも証をする者が出た。その様子を指導者たちは笑顔で眺め,親のように青少年を見守ってきたカウンセラーの中には涙する者もいた。

証会の翌日に,smycに来てどうだったかと尋ねてみた。「最高!これで最後だけど次はカウンセラーで来たい。」「みんなと聖典勉強をしたりするときに御霊を感じました。」「すごい楽しかった。特にダンスとか。みんなと触れ合えていっぱい出会いがあって,また来たいです。」一人の少女が言った。「こんなに多くの教会員の同じ年代の子がいて,みんないろいろ考えていて,話とか証とかもいっぱい聞かせてもらえたので感動してモチベーションが上がりました。来れてよかったです。」仲間の存在が御霊を呼び,心を動かし証を強める。そして自分たちのために時間と体と心を使って寄り添ってくれるカウンセラーの姿に神様の愛を見いだす。「一人一人に必要な人たちが与えられていて,カウンセラーとかユースとか指導者とか必要な人材が与えられて,みんなこの1週間で成長したと思います。(smycを)ずっと続けてほしいです。」別の少女がまっすぐな目で言った。

帰りたいと言った少年はどうだろう。カンパニーごとの証会に行ってみた。証したい子から順番に話していく。最後の方で少年が立ち上がった。「わたしね,実は人見知りなんですよ。」皆がどっと笑う。「知ってます」とカウンセラーはうれしそうに言う。少年は照れ隠しか少しおどけたような口調で話を続ける。「でもまぁ仲良くやってる。それはちょっと神様のおかげなんですよ。イエスキリストの御名によって証します。アーメン。」仲間たちは笑いながら口々に「最高!」「よくやった!」と少年をたたえた。ひざを抱え目を伏せて仲間に加わろうとしなかった少年の姿は,もうなかった。

smycに来たからといってすべての青少年が劇的に変化するわけではない。しかし6日間,24時間を共にし,同じテーブルで食事を取り,聖典を学び,思いを分かち合う中で,どの青少年もカウンセラーの愛をしっかり受け止め,カンパニーの仲間たちからの友情を感じる。それはどんなに固く閉ざされた心の扉をも開かせる。それこそが「奇跡」に違いない。◆