リアホナ2013年3月号  52人の子供たちと築きあげる「家族」

52人の子供たちと築きあげる「家族」

一人一人に焦点を当て,友人,責任,神の善い言葉,で養う

あるワードの独身成人アドバイザーとして大森夫妻が召されたのは2010年の暮れのこと,夫婦でともに働く責任に召されるのは初めてだった。同時に大森兄弟は日曜学校独身会員クラスの教師にも召された。「少し戸惑いました。今まで独身会員の兄弟姉妹と話すことはあまりなく,『体だけが大きい子供たち』という印象しかありませんでした。むしろ,あえて接点を持たないようにしていましたし,教会で会ってもあいさつをするようなことはほとんどありませんでした。自分の子供たちが伝道や学業のために家から出ていて夫婦二人だけになったときでしたから,『また子守りをするのか……』とためらいました。」─これが大森節である。一見,冗談か本気か分からない口調ではっきりものを言う。いわば下町の江戸っ子気質だ。ただ,その言葉とは裏腹に,ひどく面倒見がいいのを周囲の皆は知っている。

大森夫妻は,わが子と同世代であるワードの独身会員たちを自然と「子供」になぞらえるようになった。「手がかかりますし,言うことを聞きませんし,いつも将来のことを模索してして道を歩んでいますから。最近は,彼らに対する愛情と関心が『ちょっと』強くなったので,やはり『子供たち』ですね(笑)。」

都市部にあるこのワードには大学や専門学校への進学のために地方から出て来た独身会員も多い。「自分たちの子供が初等協会のときには,お世話になっているので何か恩返しがしたいと思って,夫婦で初等協会の活動には協力的だったと思います。セミナリーのときも同じです。子供たちが独身成人となった今,独身会員たちのご両親がどういう気持ちで自分の子供をこのワードに送ったかを考えました。自分の子供たちも(ほかのワードで)お世話になっている今,真摯に召しを果たそう,と夫婦で話し合いました。」

ワードは彼らの家庭であり,大森夫妻にとって彼らは拡大(Magnify)された家族だった。「しかし,この子供たちと過ごすようになるまで,独身会員を『家族のように愛する』というのがこんなにも苦労が絶えないことだとは想像していませんでした。教会の兄弟姉妹のことを指して,言葉のうえではよく『家族』と呼ぶことがありますが,どれほど真剣にその意味を考え,行動しているでしょうか。」ワードの名簿には50人以上の独身会員がいる。現実に50人の子供を持ったらどうなるか。大森夫妻はそれを比喩ではなく額面どおりに受け止めている。

家庭の夕べ

「家族ですから,毎週家庭の夕べを行います。」2011年が明けて大森夫妻がまず始めたのは「家庭の夕べ」だ。「月に数回,安息日の集会後に家庭の夕べのような集まりをやっていたようでした。しかし,彼らが自分の家族を持ったときに,月に数回の安息日の家庭の夕べでいいんだろうかと疑問を感じました。月曜日に家庭の夕べをすると伝えると,ワードの親しい兄弟姉妹から『彼らは忙しいから月曜日にやっても来ないんじゃない?』と言われました。『そんなことはないですよ!』と言いましたが,最初の月曜日の家庭の夕べに参加したのはわたしたち夫婦と一人の会員だけでした。

『たとえ夫婦二人だけでも毎週やります。』そう宣言し,一人一人に家庭の夕べの大切さを伝えて招待し……と地道に続けました。隔週にしたり,時に休みにすると,今日は家庭の夕べがあったかな,といちいち考えなければいけないでしょう。雪が降ろうと祝日だろうと,月曜日の夜に教会に行けば家庭の夕べをやっている,というのが大切なんです。」家族には揺るぎないもの,常に変わらないものが必要であり,そこが子供にとっては安心感の基となる。独身会員の「家庭の夕べ」は大森夫妻のベースキャンプとなった。月曜日が元日でも大晦日でもクリスマスでも,現在に至るまで,一度も休んだことはない。「家族ですから」と夫妻は笑う。

次第に出席者が増加して2年後,2013年2月4日の月曜日の出席者は約40人である。もとは教会から足の遠のいていた独身会員たちが約4分の1を占めている。当日,突然参加した地域会長会第一顧問の山下和彦会長は言う。「いろんな背景を持った独身会員が楽しそうに集っている姿を見て,とてもうれしくなりました。こんなにたくさんの兄弟姉妹が出席している家庭の夕べに出席できて感動しました。」

友人のできる環境

大森兄弟が教える日曜学校の独身成人クラスも2年前には6,7人。それが今では40人近く出席する。しかし大森兄弟は「人数を増やすことが目的ではありません」ときっぱり言う。「独身成人の人数が増え,活動の幅が広がったのは喜ばしいことではありますけれど,彼らには,伝道に行ったり結婚したりして(独身成人を)卒業していってほしいんです。一人一人がそれぞれの道に進めるように手伝っています。」そして大森兄弟は, 「自分が楽に責任を果たす方法を見つけたんです」といたずらっぽく笑う。何ですか,と身を乗り出すと─「最初のころは,一人一人がユニークすぎて,『手に負えない』と思っていました。ユニークといえば聞こえはいいのですが,わたしたち夫婦の常識では追いつけない子供たちばかりでした。それぞれが『個性豊か』(これも聞こえのいい控え目な表現です)なので,夫婦二人で何人もの子供たちをフォローしている感じでした。孤立する子もいました。しかし,出席人数が増えてくると,同じような共通点を持った子供たちがちらほらと出てきて,互いに引きつけ合うものを感じ,わたしたちがフォローしなくても親しい仲間になっていくんです。これは楽だと思いました。今では勝手に彼らがわたしたち夫婦の知らないところで,互いの親しさから女子会,男子会,食事会,合宿,お楽しみイベントなどを行っているようです。」

大森夫妻はそうさらりと言う。それでは,何人もフォローして人数が増えるまではどうしたのか。「聖餐会が終わると帰ってしまう子もいるんです。日曜学校の時間にホールでおしゃべりをしている人もいましたし。『じゃあ,日曜学校の時間におしゃべりしたら?』と言って出席を促しました。ビショップやワードの指導者にも,日曜学校の時間に面接をするのは避けてもらうようにお願いしました。日曜学校のクラスは大所帯になりましたが,わたしのレッスンを楽しみにしている人はいないと思います(笑)。みんなと会える安心感があるんじゃないでしょうか。」─やはり近道はない。地道に一人一人集めていたのである。そうして,ヒンクレー大管長が説いた新会員に必要な3つのもの※1 の1つ目─友人ができる環境を整えていった。

一人一人への関心とアプローチ

大森兄弟のスマートフォンの電話帳には現在,52人の独身成人が登録されている。それぞれの顔写真と電話番号が記された画面を吟味するようにスクロールするのが日課になっている。そして,手を止める。少し考えて,画面を押す。そのときそのときで心の声を聞き,気持ちに引っかかってくる子供(独身会員)のところに電話をかける。─「大森です。ああ元気? 先週(日曜日)はどうしたの?……」その52人にはワードを転出した子供たちも含まれる。「だって家族だから」と,気になる子供たちと定期的に連絡を取っている。

春。進学や就職で上京した独身成人が転入する季節に,大森夫妻は,まさにざるの目からこぼれる一粒を見逃さない思いで一人一人に気を配った。一人一人の情報を小さなノートやタブレット端末に書き込んでいく。今ではそれらはほとんど夫妻の頭の中に入っている。夫婦で召されたので,家での話題もほとんど独身成人のことになった。「とても楽しい時間を過ごしてます」と大森姉妹は言う。

大森夫妻は一人一人の「子供たち」を理解しようとできる限りのことをする。ここにも近道はない。刑事ドラマではないが,行動派の大森夫妻は“足で稼ぐ”のである。「彼らがどんな子供時代を過ごしたのかは,とても気になります。そのため,彼らの家族や親に会うこともあります。仕事で出張すると,近くにだれか独身会員の家族が住んでいないかチェックして会ったりもします。いろいろと話を聞くと見えてくることもあります。『なるほど,ずいぶんと生意気な態度だけど,こんな背景があったんだなぁ』と感じたり,意外な一面を発見したり。また,家族と電話で話すこともあります。最近はfacebookもありますから,彼らの家族と交流することもあります。だれの家族と交流しているかは彼らには秘密です(。笑 )また,いつも気にしているのは,彼らの仕事や学業の成績のことです。学生の子供たちには,よく成績のことや学校での友達のことを尋ねます。学費のこと,家族から受けている支援のこと,すべてが順調で,学業に打ち込める環境にあるのか気になります。どこで仕事をしているか,アルバイトをしているかも彼らが思う以上に知っていると思います。突然,アルバイト先に行くこともありますし,仕事を一緒に探すこともあります。夜中に飲食店で仕事をしている子のところには,午前2時ごろに夫婦で何度か行ったこともあります。こっちは楽しいですけれど,相手は嫌がっているかもしれませんね(笑)。それでも,いろいろとつきあううちに,彼らとは様々な話ができるようになりました。1年ぐらい口をきいてくれない子供もいましたけど,今ではあいさつぐらいはしてくれますよ。だいたい時間がかかるものなんです,人との信頼関係を作るのは。」

責任と神の善い言葉

日曜学校のクラスでよく生徒たちに話す言葉がある。それは, 「人はなかなか変わらないよ。」─「わたしたちはすぐに結果を求めてしまいますが,ほとんどのことは時間がかかります。特に人が心を開いたり,自分で歩み始めようと決意するのは簡単なことではありません。短時間で人が変わることを期待していると落胆の連続です。自分たちの思いどおりにならないときに多くの人は落胆します。わたしたちも彼らに対してそんな態度があったのかもしれません。ですから,今は落胆することはほとんどありません。意外な行動だと思ったり,不思議なことをするなぁと思う程度で,彼らが希望する方向へ進めるように願っています。

2年間を振り返ると,彼らを真の成長へ導くために,自然と(ヒンクレー大管長の説く)3つのことに集中して活動が行われて来ました。その1つは責任。独身成人の中にいろんな責任があります。責任を受けたことがない人がほとんどでしたので,様々な活躍の場を作りました。責任を兼任させたり,与えっぱなしということがないように,また,たとえ小さな責任でも喜んで果たせる環境を作ることに苦心しました。

振り返れば,様々な行事であふれていました。ワードの独身会員だけでバスをいっぱいにして被災地へ4回,ボランティアツアーに行かせてもらいました。独身会員の合宿もあります。早朝に森の中でみんなで祈る活動。また,開拓者記念日には,開拓者が歩いた距離を体感するために山手線を毎年一周歩いています。クリスマスのキャロリングも楽しい活動です。」そうした活動に伴うアサイメントのほか,独身会員一人一人の状況,背景,性格,特質などをビショップに伝え,一人一人についてどのような召しがふさわしいか吟味してもらう。数時間話し合っても結論が出ないこともある。もちろん最終的には神権指導者の霊感に従うが,ビショップが霊感を受けられるように可能な限りの情報を分かち合う。

「次に善い教え。第一安息日には『断食感謝会』というものを始めました。毎月,断食の意義を学び,みんなで一緒に断食を解いてから軽食を頂きます。これによって,今まで断食をしていなかった子供たちが断食するようになりました。毎回,大管長会メッセージが朗読されます。これは家庭の夕べや日曜学校でも読むように意識しています。預言者の言葉を繰り返し学ぶことは彼らの将来に必要な基本事項なんです。

さらに,良い友人に恵まれること。預言者や指導者が語る,成長するための条件が満たされるように心がけると,必ず,何かしらの変化は出てきます。」

悩みや失敗から真の成長が芽吹く

「彼らが互いに優しく,多くの独身会員が集ったり,活発になっている理由の一つは,それぞれが『敗者の経験を何度も味わってきている』ということなんです。一人一人と話をすれば,こちらが涙を流したくなるような経験をしてきている子供たちがたくさんいます。悩みのない子供は一人もいません。普通ならば教会へ来なくなってしまいますし,実際に,来ていなかった子供たちも少なくありません。わたしたちは『自立』させることを意識して,自立できない子供たちに自立を勧める間違いを犯してしまったこともあります。とても面倒ですが,こちらが様々なお膳立てをして,彼らが『自分で自立できた』と勘違いしながらも,自立する喜びを体感させていくことが大切だと思います。敗者の経験をしている子供たちは,同じような境遇にある子供たちの言葉に耳を傾けながら,その点に関しては自分は敗者ではなくなったという視点をもって,仲間に優しくしてくれているように感じます。たくさんの失敗をしているから自分は価値がないと思いがちですが,何度でも人生はリセットできることを教え,敗者の経験が多いほど,優しい人になれると教えています。

彼らはわたしたちが思っていたような子供ではなくて,もう大人になってきています。外から言われて表面的に成長してきたような時代が終わり,内側からの真の成長へと変わりつつあるんです。

最初のころは,いつもわたしたち夫婦に尋ねたり,相談してくることが多かった彼らですが,今では,わたしたちの先を進んでいるような気がします。最近では,彼らのfacebookへの書き込みに『いいね!』を押すことぐらいしか仕事がありません(笑)。まあ,『家族』ですから,そんなものかもしれませんね。」◆

※1─ヒンクレー大管長は,新会員に必要な3つのことについて説いた。それは,1)友人 2)教会の責任 3)神の善い言葉によって養われること。ゴードン・B・ヒンクレー「どの改宗者も貴い人々です」『リアホナ』1999年2月号,9参照