リアホナ2013年6月号  御心にかなった願いは叶えられます

御心にかなった願いは叶えられます

信仰により,失った声を取り戻す─東京ステーク足立ワード 秋山広子 姉妹

診断までに22年

秋山広子姉妹は,脊髄性筋萎縮症と先天性ミオパチー※1 という二つの難病を患っている。体幹と四肢の筋力低下と筋萎縮,筋緊張の低下は進行性で,徐々に食事や呼吸にも影響を与えるという。両疾患の併発は非常に珍しく,発症から二つの診断名が確定するまでに実に22年を要した。その間も,18歳で白血病の発症と治療,19歳で相次ぐ検査と誤診,その後の転院,弟の病気と死,乳癌の発症と治療そして再発,父親や友人の死など,苦しみは多岐にわたった。それでも,「(人生の転機が立て続けに)ぱんぱんぱんと来ましたよ」と広子姉妹は屈託なく語る。

『教会の扉を叩いて下さい』

我慢強く一つ一つを乗り越えていった広子姉妹だが,精神的にきつかったことがある。19歳のときに脳腫瘍と診断され化学療法を受けたが,その副作用は厳しく,脱毛や嘔吐,20kg以上の体重減少などで「本気で死ぬかと思った」ほどだった。ところが,数クールの治療を終えても筋力低下や何もない所で転ぶなどの症状が改善しなかったため,医師は脳腫瘍の診断を取り下げ,「心の病気ではないか」とその原因を転じた。広子姉妹が何よりも耐え難かったのは,「皆が医師の言葉を信じて,自分が言っていることは信じてもらえず,すべて心の病として済ませられた」ことだった。次第に広子姉妹は心を閉じ,バリアを張るようになった。

彼女の心を察し,一人の友人が見舞いに来て声をかけた。「神様のことを信じる?」良い返事ができずにいる広子姉妹に,友人は「これ,読んでみて」とモルモン書を差し出した。ある日,何もすることがなかった広子姉妹はモルモン書に目をやると,それを手に取り読んでみた。最初の印象は,「戦いのことばかり書いてあるこの本を,どうしてわたしにくれたんだろう」だったが,裏表紙にはられた写真とメッセージに目が留まった。『もし迷ったり質問したいことがあれば,近くの教会の扉を叩いて下さい。』それを読んで,広子姉妹の心がふっと動いた。「退院したら行ってみようかな。」本音を言える場所がそこにあるかもしれないと思った。

退院後,彼女は北千住支部(現在の足立ワード)の扉をたたいた。1回目のレッスンは『 最初の示現』だった。「レッスンが素直に心の中に入ってきました。」意外な反応に自分でも驚いた。御霊の影響を受けている広子姉妹を見て,宣教師は2回目のレッスンでこう尋ねた。「あなたはバプテスマを受ける気持ちがありますか。」「はい」と広子姉妹は即答する。それから毎日のようにレッスンを受け,約1か月後に19歳でバプテスマを受けた。支部の人は優しく,嫌なことがあったとしても安らぐ場所,傷ついた心の避け所ができたと感じた。畳みかけるように起きる苦しいことも,「時間がたてば,その意味も分かるようになるだろう。」心にそうささやきかけられたような気がした。

弟と過ごした時間

高校生のとき広子姉妹は,一緒に住んでいた両親が実の親でないことを知った。777gの超低出生体重児として生まれた彼女は,事情があって子供のいない秋山家へ特別養子として引き取られたという。そして20歳のときに産みの親を捜して再会を遂げる。そこにはまだ赤ちゃんの弟がいた。弟は出生後早い段階で脊髄性筋萎縮症と診断され,長くは生きられないだろうと宣告されていた。

一人っ子だった広子姉妹は,親子ほど年の離れた弟の存在をことのほか喜んだ。「同じ血を分けた弟がいると思うと,たまらなくいとおしく,うれしく思った」と広子姉妹の語るその血は,難病の遺伝子を受け継ぐ大変なものだった。それでも,血のつながりがもたらす強い感情は,自分の命を顧みない愛情を広子姉妹の中に生じさせた。

「たとえ命が短くても,どのように生きたかによって人生は決まる。きちっと正しい生活をしていれば,日の栄えの王国でまた弟と再会できる。病気から解き放たれた弟にきっと会うことができる。」そう思うと慰めを受けて,弟の病気のことも「心に折り合いがつきました。」御霊による確信が彼女を支えた。

その当時,広子姉妹は乳癌の化学療法を受けていたが,頻繁に弟に会いに行き,できる限り彼が喜ぶことをしようと奔走した。弟が2歳のときには,海と飛行機が大好きな彼のためにグアム旅行を計画した。広子姉妹はマスクとウィッグ(かつら)をつけて渡航した。彼女は赤ちゃんのようにきゃしゃな弟を抱っこして,波打ち際まで歩いて行くと,彼のか細い足を海に浸した。彼は広子姉妹に抱きつく力はなかったものの,体をすり寄せて「大好き,大好き」とキスをしてくれたという。ホテルでは弟と同じ部屋で寝た。隣の部屋では実の両親が宿泊しており, 「姉弟だけで過ごす時間を大切にしなさい」と見守っていてくれた。育ての親は,広子姉妹の体を案じながらも自宅でじっと待っていてくれた。何重もの愛の中で,広子姉妹は弟と過ごす時間を胸に刻み込んだ。それから6年後,弟は8歳で短い生涯を終えた。

気管切開に踏み切る

広子姉妹は現在の主治医のいる病院に転院すると,脊髄性筋萎縮症と確定診断された。ドイツ語が読める彼女は,病名の横に書かれた「予後不良」という言葉を見逃さなかった。これから弟と同じ道をたどっていくことに,「ああ,そうなんだ」と妙に納得したのを覚えている。

30歳くらいから完全に電動車いすでの生活になり,ここ10年間は,肺炎や呼吸困難により10回以上もの入退院を繰り返してきた。広子姉妹の呼吸筋の筋力低下は早く進行しており, spo2(動脈血酸素飽和度)はかなり低く,爪と唇は常に紫色を帯びていた。寝るときには,呼吸筋の動きの低下による浅呼吸や無呼吸から命を守るため,鼻マスクによる呼吸器をつけて休んでいた。しかし,それによる呼吸管理ももう限界にきていた。

2010年ごろより広子姉妹は主治医から気管切開を勧められる。「見た目も悪いし,声も出なくなる。何よりも二人の友人が気管カニューレ※2 交換時の事故で亡くなったので,絶対嫌だった」が,「声は出る。何かあれば責任を取る」との医師の言葉に説得され,2011年8月,手術に踏み切った。医師や看護師の計らいで,広子姉妹は消毒されたモルモン書と聖書とともに手術室に入り,手術中はタバナクル合唱団の音楽が流されたという。手術後は不思議なほど痛みがなかった。爪を見ると,うっすらとピンク色になっていた。

手術後の経過は順調だった。スピーチカニューレを使って会話もできるようにもなった。ところが退院直前になって,彼女が住んでいる足立区のヘルパーステーションではその取り扱いができないことを告げられる。やむなく普通の気管カニューレを入れて,会話時には指で穴をふさいで発声する方法が取られることになったが,何度練習してもまったく声は出なかった。ショックだった。医師から説明を受けた母親は, 「これから大変な人生になるのではないか。わたしがいなくなったらどうなるんだろう」とひどく悲しんだという。退院してからも状況は変わらず,小さなホワイトボードを使っての筆談が7か月間続いた。

声が戻った!

広子姉妹はフレンチブルドッグの介助犬を飼っている。ある日,彼女は自分を見上げる愛犬の眼を見て,「なぜ声を出さないの?」と言われているような気がした。以前に受けた神権の祝福では「必ずなんとかなります。道は開けます」とも言われていた。あきらめかけていたけれど,広子姉妹はもう一度挑戦してみようと思った。はっきり意思表示できるようにもなりたかった。主治医に方法を教えてもらい,ひそかに練習もしてみたが,やはりなかなか難しかった。

2012年3月,なにげなく同じ方法でやってみようとしたら,吐いた空気が声となって響いた。まぐれだと思った。広子姉妹はどきどきしながらもう一度試してみた。今度は押さえた指の振動にもっと手ごたえがあった。広子姉妹は,はやる思いで「幸太朗!」と愛犬を呼んだ。幸太朗はすぐに飛んで来た。次いで,「お母さん」と呼んでみた。まさか娘の声だとは思わない母親は,初めはそれを聞き分けることができなかった。「お母さん,声が出たんだよ。」必死で振り絞るその声に気づくと,母親は信じられないといった表情で「どうやって出たの」と娘のもとに駆け寄った。翌4月には,聖餐会で快復を祈ってくれていた会員の前で証をした。その証と力強い発声に,皆が神様の御手の現れを認めたという。

声は日ごとにはっきりと,より長い時間出るようになり,発声に伴う息苦しさもなくなっていった。今では何時間も自然な声で話すことができる。張りのある明るい声は,話せる喜びにあふれている。広子姉妹が通院している病院の102歳の高名な医師が言った。「わたしは数十年医師をやってきたが,ここまで声が出るようになった人は初めてです。これはあなたの天性から来るものか,奇跡かのいずれかです。」広子姉妹は心の中で神様をたたえた。「どんなに高度な医療でもできないこと,経験を重ねた医師でもできないことを,神様はなさることができる。ほんとうの教会だからできる。」声を出したいという祈りは答えられ,神権の祝福が成就したと思った。「時間がかかっても,祈り求めたもので正しいものは必ず与えられます。」確固たる証を得た。

できる限り在宅で頑張る

自宅には毎日訪問看護師とヘルパーが来て,広子姉妹の命と生活を支えている。寝るときには気管カニューレに呼吸器を接続して休むが,アラーム音が鳴ると,介助犬の幸太朗が泊まり込みのヘルパーを起こしに行く。一日数回は必要だという気管からの痰の吸引は広子姉妹自身が行っている。しかも,これだけの闘病生活をしながら広子姉妹は,2008年までずっと正社員として働き,翻訳の仕事や福祉事務所で区の書類を作るなどの仕事をしてきたのだ。今も在宅で翻訳の仕事を続けており,できる限り自分らしい生活を送ろうと努めている。

広子姉妹は神殿推薦状を保持し,弟の身代わりの儀式も終えている。弟の存在は今も大きい。「弟がいたことで病名が分かった」し,「弟と再会したいという気持ちがあるから,これまで負けないで投げ出さずにこられた」と広子姉妹は語る。「弟のおかげで,次に自分に何が起きるのかが分かるので,怖さがなくなり,心の準備をすることもできます。」苦しみに耐えられるよう道を備えてくれた神様の憐れみと弟の愛に,広子姉妹は圧倒される思いでいる。

教会にはなかなか集えないけれど,神権者が毎週聖餐を届け,ホームティーチャーも欠かさず訪問してくれる。一人っ子なので将来の不安が少しあるが,神様の言葉を信じているから「これからもずっと求め,探し,たたこうと思っています。」18歳の白血病から始まった闘病を振り返り,「苦労もしたけれど,その分,教会に入ることもできたし,いい先生にも出会えた。やっぱり,いいことは後から来るんですね。残りものに福がありました。」広子姉妹は満面の笑顔を見せた。◆

※1─ミオパチーとは筋肉が萎縮することで筋力が低下していく病気