リアホナ2013年6月号  喰わず嫌いでも食べられます!

喰わず嫌いでも食べられます!

efyで経験した心の変化─名古屋東ステーク刈谷ワード 松久聖音姉妹,松久千聖姉妹

細い白地の布が竹ひごでパンと張られ床に広がっていた。その表面には鉛筆の手描きでブドウの葉が何枚も描かれている。「こうやって描いていくんです」と,ひざをついて布地を触る二人の少女が顔を上げた。松久聖音姉妹,松久千聖姉妹,二人は2012年青少年国際美術コンテストで優秀賞と入賞を受賞した一卵性双生児だ。姉の聖音姉妹は,黒い紙をデザインカッターで切り抜いて絵を表現する「切り絵」で優秀賞を,妹の千聖姉妹は「友禅染め」の浴衣で入賞を受賞し,2012年11月にソルトレーク・シティーで行われた授賞式に出席した。聖音姉妹が受賞した切り絵はソルトレーク神殿とその周りの風景画だ。建物の細かい模様や大小様々な窓,尖塔の細い部分まですべてが切り抜かれている。千聖姉妹の浴衣は白地に朝顔の意匠が施されている。反物に絵を描き,染め付けた。

今回,それぞれの作品を出品した二人はともに,切り絵と友禅染に親しんでいる。

家族の試練と母の信仰

松久家は8人きょうだいだ。双子の聖音・千聖姉妹を頭に6人の妹と弟がいる。真武兄弟(18歳), 真悠姉妹(16歳), 聖哉兄弟(15歳), 優穂姉妹(13歳), 成慈兄弟(12歳), 光希兄弟(11歳)。 二男の聖哉兄弟と四女の優穂姉妹以外はみな年子だ。

父親の有途兄弟は聖音姉妹と千聖姉妹が10歳の年に他界した。聖音姉妹はこう振り返る。「父は多発性骨髄腫でした。わたしたちが小学2年生のときに体調を崩しました。『気持ちが悪い』から始まって高熱がずっと続いて。母は看護師だからそれはおかしいと言って病院に連れて行きました。そこでは風邪と言われ,母は絶対に違うと言って別の病院に連れて行きました。

そこで癌と言われました。でも母は知識があったので医者から告知される前に『あなたは癌だよ』と父に言いました。」千聖姉妹が続ける。「そのときは光希が母のおなかにいて,成慈は乳児で9か月でした。わたしたちのバプテスマもまだ終わっていませんでした。」有途兄弟は2年の闘病の後,2004年4月15日に38歳で亡くなる。

母親の敦子姉妹は,末っ子の光希兄弟が3歳になるころ再び看護師に戻り,独りで8人の子どもたちを育ててきた。小さな子供を抱えて奮闘する敦子姉妹について聖音姉妹は,「母の信仰はとてつもなく強いです。神様を疑うことはないです」と言う。

什分の一の祝福

「父が死んでからも食べ物に困りませんでした。父の実家が畑をやっていて祖父母から食べ物をもらうし,家賃も出してもらっています。周りの方からも食べ物をもらって生活できていました」と千聖姉妹。聖音姉妹も口を揃える。「母は什分の一を欠かさず払っていて,払うとまた祝福があります。その祝福はすごいです。」「父が亡くなった年に,ある兄弟姉妹が蓄えていたお金を『,あなたたちが使う方が有意義だから』と言ってわたしたちにぽんと下さいました。そのときに食品もたくさん下さって。今でも半年に1度60キロのお米が(そのご夫妻から)送られてきます。」そのほかにも多くの援助が様々なところから続き,二人とも物質面で不足を感じたことはないという。

母親の敦子姉妹は,「そのときに,時にかなって必要なものが神様から頂けるとわたしは思っています。主人がここにいない(だけで),向こうで働いているお給料が地上のわたしたちに払われていると最近感じています」と笑う。

子育てを支える霊的な力

また霊的な面においても助けられている。「お母さんは弟が反抗して家に帰って来ないときとか 『御霊が教えてくれる』と言って『あ,真武,今あそこにいる』って。今は弟の聖哉が反抗期なんですけど,夜帰って来なかったときも『あ,あそこにいる』って迎えに行ったら,そこにいました」と聖音姉妹は話す。

敦子姉妹の霊的な強さは専任宣教師時代に養われた。「伝道に出ていてよかったですね。御霊の声を聞くとか示現を見るとか,証を確固としたものにするには必要でした」と敦子姉妹。彼女は伝道中にイエス・キリストに関するある示現を見た。それによって福音のすべてが真実であることの証を得たという。それは,「父親がいない中で8人の子供を育てるには必要でした。」

両親がそろっていても思春期の子供には手を焼くことが多い。松久家でも反抗期に入り教会に背を向けている子供がいる。しかし敦子姉妹は動じない。「何とかなると思っているんですよね。子供を見ているとすごくいい霊が来ていると思うんですよ。うちにも精鋭が来ていると思っているから,いつか神様がどーんと何かを送ってくれると思っています。そのためにはわたしがしなければならないところがあるからやっていかないと,と思っています。」

主の戒めに従い御霊を受けて生活する敦子姉妹に,聖音姉妹も千聖姉妹も大きな尊敬の念を抱いている。

そんな敦子姉妹は,将来『切り絵で生計を立てたい』と言う聖音姉妹と『友禅作家になりたい』と言う千聖姉妹に看護学校への進学を勧める。「美術だと食べていけない可能性が大なので,まずは食べられる道を確保しておいて。手堅く選択しておけば後から困らないというふうに二人には言ったんです。」二人は美術大学への進学を強く勧める高校の先生の言葉を退けて看護の道に進んだ。しかし聖音姉妹も千聖姉妹も看護師になりたいと思ったことはない。美大を選ばずに看護の道に進んだ理由を聖音姉妹は「お母さんの言い方が怖かったんだよね」と述懐する。

母と教会への反発

「母は怠けません。強いです。ユーモアもあっておもしろいお母さんです。何でもできますし。でも言葉なんかは厳しい。よくあるのが『あんた才能ないんだわ。』ずばっと言われます。かちんと来たり,かなりショックだったりします。」「小さいときにピアノをやりたいなって思っていたんです。やり始めると,兄弟みんな口をそろえて言うんですけれど,ピアノが弾ける母に横から言われるんですよね。『なんでできないの』って。『こうでしょ,さっき言ったじゃん』って。」千聖姉妹も「自分と一緒にしないでよって思います。」母親の敦子姉妹の言い方や態度に,「引っ張るだけ引っ張ってやらなきゃと思っているんだと思います」と頭では理解しながらも,二人は抵抗を感じて反発する。

聖音姉妹は言う。「反抗期です。中学1年くらいから揺れ始めて,思いっきりぐーっと(反抗的に)なったのが中3。教会には無理矢理連れて行かれましたけど,ずっと私服で来ていました。」私服とはジーンズにTシャツのような格好のことだ。聖音姉妹ほど反抗はしなかった千聖姉妹が続けて言う。「いちばん上の子がしっかりしないと,教会に行ってないと,下の子もみんなついて行くから教会に行ってって母に言われる。あの言葉嫌い。プレッシャーになるし,なんで下の子のためにわたしたちがやらなきゃならないのって気持ちになったし。」敦子姉妹の信仰の強さは二人にとって,尊敬の対象であると同時に押し付けがましくも映った。

教会に背を向けたのには別の理由もある。幼なじみたちの存在だ。二人には親友と呼べる8人グループがある。保育園から一緒の子もいれば小学校で仲間になった子もいる。「とびきり仲が良くなったのは中学2年生のときです。帰りもいつも一緒。毎日毎日そのグループで帰って,公園に集まっておしゃべりしていました。」「何かやると言ったら必ず集まります。夏は必ず花火で,お正月には朝5時に公園に集合して初詣。毎年恒例です。中学2年からずっとやっています。高校はみんなばらばらです。会えないねって言いながら時間を合わせて会っています。男の子は優しいし,女の子は気が合います。」聖音姉妹と千聖姉妹が交互に切れ目なく話す。二人はそんな仲間と同じ環境にありたかった。「(教会は)足かせではありましたね。日曜日遊べないじゃないですか。皆で計画立てるのにわたしたちだけ行けない。知恵の言葉を守るのは苦ではなかったんですけれど,皆と一緒にいられないっていうのがすごく嫌だった」と聖音姉妹。友達は皆,二人が教会員であるのを知っていて理解を示してくれる。千聖姉妹は言う。「日曜日に計画を立てることもあるけれど,大抵の場合わたしたちに合わせて日曜日はずらしてくれます。土曜日とか祭日とかに。」それでも二人は教会を邪魔と感じた。

一卵性双生児と言えどもすべてが同じわけではない。「考え方が同じところもあるよね」「性格も似ているし,考え方も似ているし,声もかぶるし」「でも,わたしのほうがゆったりおっとり。最近は淡々としているってよく言われます」と千聖姉妹が言うと「わたし,熱血漢ぽいって言われます。行動が早いって言われるかな」と聖音姉妹。続けて「ちーちゃん(千聖姉妹)は反抗期でもお母さんと一緒のことが多かった。わたしはそれが気に食わなかった。それでさらに(反抗が)エスカレートしました」と笑う。反抗が高じて聖音姉妹の心は教会からどんどん離れていく。無理矢理連れて行かれた教会でも「2階のだれもいないところに行って絵を描いていました。礼拝堂には行かなかった。」

efyで見つけた大切な友達

聖音姉妹と千聖姉妹は,一昨年の夏に行われたefy東京セッションに参加した。初めて会ったカンパニーの皆に向かって聖音姉妹は「教会なんてくそくらえと思っている」と宣言する。どの集会に出ても関心を示すことはない。笑顔も言葉もほとんどない日が続く。「わたしそうとう頑なだなって思っていました」当時を振り返って聖音姉妹は言う。

そんな彼女に転機が訪れる。「里辺花ちゃん。なんかこの子違うって思いました。」同じカンパニーにいた楠城里辺花姉妹のことだ。具体的にどう違うのかと尋ねると,少し上を見ながら言葉を探している。そして,「黄色い。里辺花ちゃんはフラッシュのようなクリーム色が光っているみたいな。根元が濃い黄色でだんだん薄くなって周りが白で。曇っている空で時々光が差すじゃないですか。あれがもうちょっと薄くなっているような,あとはオレンジが霞がかっているような感じ。」美術が得意な聖音姉妹らしく色彩で表現する。

efyの3日目の深夜,聖音姉妹は廊下にいた。カウンセラーの姉妹と話をしようかどうか迷っていた。「そこに里辺花ちゃんが歯を磨きながら歩いてきて,目が合って,そのときかけられた言葉は,『あ,入っていい? 切り絵見せてもらっていい? さっきのもう一回見せて』って。部屋に入って来て,そこから話が発展しました。里辺花ちゃんはそのとき,わたしと『話さなければならないと心のどこかで感じ』たと言っていました。わたしがそれを知ったのはefyの記事※1 を読んでからなんですけど。」

聖音姉妹は自分の思い,特に,つらい悲しい寂しいといったほんとうの気持ちを伝えるのが苦手である。「人に言ってもしょうがない。分かってもらえないっていうのもあるし,言ったところで人のためになることでもないですし。我が家だと何か言っても『あっそ』ってなっちゃうし,お母さんにもあまり言わないです。何か聞かれてもはぐらかしちゃう。(教会の)レッスンで質問されても気を遣って,『何を答えればこの人の望む答えになるかな』ってまず思うんです。」

けれども里辺花姉妹との会話は違った。「あんなに熱心に聞く人に初めて会いました。わたし周りにも友達にも元々自分から心の内なんか話しやしないし。(でも)里辺花ちゃんにはほんとうに話しやすかった。」

この夜,聖音姉妹は里辺花姉妹に心を開いて話をした。「里辺花ちゃんに『教会のことそんなに嫌いじゃないんじゃん』 『証がないとか言ってたけどちゃんと持ってるじゃん』って言われました。」

心の大きな変化

その日を境に聖音姉妹は変わる。その一つがモルモン書だ。「今までモルモン書とか読んでいたんですけど,いつもニーファイ第1章で終わってて,読んでもまったく意味が分からなかったんです。efyで『これを機会に最初から読み直そう』って。」里辺花姉妹と話をした日から聖音姉妹は,親に言われてではなく初めて自分で決めてモルモン書を読み直している。「最初から, 読み始めた瞬間から,意味が分かりました。『これ,ほんとうじゃん』って。今までは,あれだけできた書物でもうまいこといろんな人の知恵を合わせれば捏造することも可能だという思いがあったんですけど,そういうのなくなりました。」聖文の力が聖音姉妹の中に響き始めた。「わたしその後,家に帰ってからも引き続き読んでいます。意味が分かるから読むのが楽しくなりました。今初めて教義と聖約に差し掛かろうとしています。小学生のときから読み始めて,第1章のリーハイのところなんかもう読み飽きたっていうほど読んでいましたけど。第2ニーファイに行ったときはちょっと感動しましたね。わたし読んだんだって。そこ大きい変化かな」と聖音姉妹は笑う。

efyの後,聖音姉妹と千聖姉妹は高校の友達二人を立て続けに死によって失った。「自分の友達がまさか……。今までわたしは何をしてあげられたんだろうってすごく思いました。その日,もうどうしようもなくて里辺花ちゃんにメールして。そのときに聖句を教えてくれて……」と聖音姉妹は携帯メールを開く。「教義と聖約61章36節と84章88節です。けっこう助けられています。」

人生が逆転します

その後も里辺花姉妹とのやり取りは続いている。ただ,人と話したり円滑に交わったりすることを苦手に感じる聖音姉妹の性格は何も変わっていない。それでも聖音姉妹はefyで得た証によって教会に足を向ける。efyから戻って以来,教会に行くのが楽になったという。「朝はやっぱり行きたくないって思いますけれど,行けば行ってよかったなって思います。家族で行くときはいいんですけれど,お母さんが仕事で行けないときとかは行きたくないって思って口にも出します。でも行ってみるとそうでもなかったなって。礼拝堂にはefy に行ってから入れるようになりました。」

今年smycに参加する青少年に向けて先輩としての一言を頼むと,千聖姉妹はまじめな表情で,「自分の得意分野を持って行くといいです。自分の可能性が広がります。話がしやすくなります」と勧める。聖音姉妹は少しいたずらっぽく言う。「人生が逆転します。毎日が苦痛じゃない。行く前は家族のことでも何でもマイナス方向にとらえていました。今でもそういうふうにとらえるけれど,卑屈にとらえていたのが柔らかくなったし,わたしの場合だと人を信用することが少しできたかな。いい友達もできたし。嫌だ嫌だって言っても一度だまされたつもりで食べてみたら意外といけるよ。私服で教会に行っていたわたしが戻って来れたんだから。喰わず嫌いでも意外と食べれた。そんな感じかな。」話しながら聖音姉妹は朗らかな笑い声を上げた。◆