リアホナ2013年6月号  2013年度の地域における福祉活動の強化

2013年度の地域における福祉活動の強化

   (地域福祉部)

自立①/3

第1 四半期の福祉強調事項として,2月から4月までは,非常事態への備えと対応について焦点を当ててきました。わたしたちは,生活を送る際に起こりうる出来事に対し,備えをしなければなりません。自立し,賢明な生活を送るよう心掛ければ,必然的にこうした備えもするようになるでしょう。このような備えには,心身の健康を保つ,適切な職業に就いたり,自分で事業を営んだりするための十分な教育と技能を習得する,徐々に家庭の貯蔵や貯蓄を増やす,霊的に強くなる努力をすることなどが含まれます。ロバート・D・ヘイルズ長老はこのように言いました。「物心両面で自立する目的は,援助を必要とする人を引き上げられるように自分を高めることなのです。」(「本心に立ち返る─聖餐,神殿,奉仕による犠牲」『リアホナ』2012年5月号)

これに関して聖典には,良いサマリヤ人のたとえがあります。救い主が「自分を愛するように,あなたの隣り人を愛せよ」(ルカ10:27-37)という原則を教える際に使われた有名な話です。エルサレムからエリコに向かっていた男が,強盗に襲われて半殺しにされ,置き去りになっていました。男が倒れている道に祭司が通りかかりましたが,行ってしまいました。レビ人も同様に去って行きました。しかし,あるサマリヤ人が,敵であるこの男のひどい様子を見て「気の毒に思い,近寄って」来ました(33-34節)。つまり,行動を起こしたのです。彼は「その傷にオリブ油とぶどう酒とを注いでほうたいをしてやり,自分の家畜に乗せ,宿屋に連れて行って介抱」しました(34節)。翌日,サマリヤ人は出発前に,宿屋の主人にお金を渡し,余計にかかった費用は(後で)支払うと約束しました。

良いサマリヤ人のたとえは,隣人に憐れみと愛を示すことを教えるすばらしい模範です。わたしたちがそうなりたいと望むような人の模範です。自立することにより「援助を必要とする人を引き上げられるように自分を高める」方法も示しています。少し詳しく見てみましょう。

このサマリヤ人にとって,砂漠の道端のけが人を死の淵から救い出すために必要な能力やリソースは何だったのでしょうか。彼はまず,「気の毒に思い,近寄って」行きました。近くに強盗がまだ隠れているのではないかという恐れがあっても当然です。強靭な人であっても,このような迫り来る危険から逃げ出す人も多いでしょう。民族が違うから助けないのだと容易に正当化できたかもしれません。一人で旅をするべきではなかったのだから,自業自得だと解釈することもできたはずです。けが人の様子がひどかったので,しりごみしたかもしれません。しかし,サマリヤ人はこのうちのどれでもありませんでした。そのような感情を克服する,情緒的,霊的な強さを持っていました。聖書には,サマリヤ人が,けが人に包帯をしてやり介抱したと記されています。彼にはある程度,基本的な医療知識があったようです。応急処置を習ったか,家庭で学んでいたのかもしれません。あるいは,その時代の人にとって常識的な対処だったのかもしれません。しかし,彼は必要な知識だけでなく,物質的な備えもできていました。オリーブ油やぶどう酒,包帯として使える布を携えていました。彼にとっての「家庭貯蔵」と言えるでしょう。

次に,彼はけが人を「自分の家畜に乗せ」ました。二人の登場人物は,大人であったと想像できます。当時よく用いられた家畜はラバでした。ラバの背までの高さはサマリヤ人の胸のあたりでしょう。彼は気を失った男を持ち上げてラバの背に「乗せ」(「放り投げる」ではなく「乗せる」という言葉から,優しく守る様子が伝わってきます)ました。自分と同様の体格の人を,胸の高さまである所に乗せることを想像してください。容易なことではありません。このサマリヤ人は肉体的にも健康だったのです。

最後に,彼は宿屋の主人に対し,「これは知らぬ男で,道端で見つけたのだ。ここまで運んだのだから,部屋と食事を用意してくれるか,あるいはこの男が治ったときに,彼に代金を請求してほしい」と頼むことはありませんでした。その代わりに宿代を払い,余計にかかった費用を清算すると約束し出発しました。つまり,サマリヤ人は自分のお金を賢明にやり繰りして援助が必要なときに差し出せるようにしていました。さらに重要なのは,彼がすべては神のものであることを知っていて,より高い目的のためにそれらを進んで使おうとしたことです。

わたしたちが,「片手に病人を祝福する聖別された油の容器を持ち,もう一方の手に空腹な人に糧を与えるためのパンを持つのです。そして心に神の平和の御言葉をたずさえ,傷ついた心を癒す』のです」(ディーター・F・ウークトドルフ,「4つの称号」『リアホナ』2013年5月号)と言えるような生活を送ることができますように。◆