リアホナ2013年7月号  福音のキーワード─【Conversion】改心,帰依,改宗

福音のキーワード─【Conversion】改心,帰依,改宗

デレック・リン・ウェスマン

Conversionという言葉は,convert という動詞の名詞形ですけど,ラテン系の言葉でcon というのは大体,引っくり返すとか反対とか,そういう意味になるんです。convertというと,前の状態から,まったく違うものになる,何かががらっと変わるようなイメージですね。だから He conveted to mormonismって言ったら,彼はもう丸々,モルモンになっちゃった,みたいな感じです。人でも物でも,何に対して使っても,ちょっとだけ変えたんじゃなくて,大きな変化を一気にする,ほんとうに別のものになる,というニュアンスがあります。例えばカードを裏返すような……映画とかテレビでは,クリスマス・キャロルのスクルージのように,悪人が一転してすぐにいい人になるということがありますけど。でも,やはり現実は違う。日々の生活の中でそういうことを期待しても難しいと思うんですね。サウロの回心や息子アルマのようにはなかなかいかない。

実際のConversion は,すごく大きな変化をしなければならないけれど,ちょっとずつ,可能な範囲でなされていく。そうしないと挫折するし,わたしたちのために人生で用意されている主の恵みを頂く機会もなくなるから。Conversionは,主の贖いの原則に直結していると思うんです。

最近,生ける預言者たちが解き明かし,強調しているConversion とは,心を常に改めている状態のこと,まさに「改心」だと思うんです。最近の教会の指導者は,「Conversion」=「必要な儀式を受けている状態にある」という言い方をするんですね。だからもし,バプテスマも聖霊の賜物も,神権の聖任も,神殿の儀式も神殿結婚も全部受けていれば,必要な儀式とは聖餐の儀式です。聖餐のパンと水をできるだけ毎週受けることによって,常に,主に帰依している状態が保てるという,そのような考えが強調されています。

わたしたちの人生はconversionの連続です。それは一度限りじゃないですね。conversion=「改宗」という訳語が従来よく日本で使われたので,conversion はただ一度のものという印象が与えられたのかもしれません。でも,近年,やはり「改心」というのがほんとうの意味だなあ,と明らかになってきました。

わたしたちの目に見えるその人の行動というものがあります。神殿に行っていたり,聖餐会で座っていたり。Convert というのは,そういう目に見える行動の部分だけじゃない,多分,心の内側の部分です。「改心する」という言葉がまさに当てはまりますね。これは日本語の訳語の説明ですけれど,改宗と改心の違いとは何かというと,ある意味で,外見と内面のことじゃないでしょうか。ある人が宗教をConversion(改宗)すると,足を運んでいる教会や参加している活動が目に見えて変わったりする。しかし,内面の,心が変わる方が true conversion(ほんとうの改心)ではないか。まあ両方同時にされている方が多いと思いますけど。

その人が改心しているかどうかを測るには,ダリン・H・オークス長老の説く,福音に喜びを感じているかどうか※1 が目安になります。外見上だけ教会に行ったり,義務感だけで召しを果たしたりしていても,ほんとうに心の中で,たとえば罪を赦されている,主の贖いの恵みを受けている……と実感していないと,あまり喜びを感じないですね。

これは,真珠と箱の話につながるんです。「改宗」はやっぱり箱で,「改心」は真珠じゃないですかね。(談)◆