リアホナ2013年1月 真の成長のために⑧

真の成長のために⑧

(七十人 青柳弘一長老)

家族で霊的な経験をする

家族を強める効果的な方法とは

家族を物質的に強める方法をわたしたちはよく知っています。生活費を稼いできて食べさせて,必要な学資を出してあげて,学校に行かせて……福祉の原則に関するすべてを家族に与えなければなりません。(『家族─世界への宣言』参照)けれどもいちばん最初に,霊的に強められる必要があります。預言者が勧告するように,毎日,家族でともに祈り,家族で聖典を読み,そして毎週家庭の夕べをする,これは非常に基本的な事柄ですね。でもそれ以外に何をしたらいいのでしょうか。

家族を霊的に強めるために非常に大切なことは,夫も妻も子供たちも,皆が一緒に霊的な経験をすることではないでしょうか。霊的な経験とは,言い換えると,人の業,人の力ではできないことを神の力によって経験することだと思うんですね。違う言葉で言えばこれは奇跡と呼ばれる。これをいつも経験できると家族はとても強められると思うんですね。ではどうしたら家族で霊的な経験をできるのか。

それには,家族で一緒に奉仕することです。奉仕とは,伝道,教会から遠のいている会員の活発化を含めたレスキュー,そして家族歴史の探求と神殿参入。こういう教会の使命(すべての人をキリストのもとに招く)と呼ばれている活動を家族で一緒にすること。これが非常に効果的に家族を強める方法ではないかとわたしは感じているんです。

人が御霊を感じられるよう仕える

例えば会員伝道ということで言えば,わたしたちが人々に福音を伝えることは,わたしたちが神の御手の道具になって使われるということを意味しています。

人が改宗するポイントは,その人が御霊を感じる※1 ことです。聖霊によってバプテスマ,改宗に促され,導かれていくんです。わたしたちや宣教師が人を説得して改宗させるわけではないんですね。彼らが御霊を受けるとき,自由意志で,自分でバプテスマを受けよう,または戒めを守ろう,教会に行こうと決心をします。要するに伝道とは,人が御霊を感じられるように助けることです。

純粋な愛が心を開く

人が御霊を感じるためにはどうしたらいいか。人の心が開かないと御霊を感じる備えができません。愛を示し,信頼関係を築き,相手に感謝をし,褒め,そしてよく話を聴く,関心を示す,優しく接する,また親切にする。こういうことが人の心を開かせる大きな力になっていきます。人の心が開いたときに御霊を受ける備えができる。ですから,愛の行いを続けていくと宣教師でも会員でも人を福音に導くことができるんですね。

人が愛を感じているときこそ,霊的に御霊を受ける備えができているときです。そこで,「あなたもイエス・キリストについて学んでみませんか?」という誘いができるんです。人が心を開いていないときにそう言うと「けっこうです」,心を開いていたら「あぁ聞いてみたいです」,そういう返事が来る可能性は大きいですね。

聞いてくれたら証をします。「イエス・キリストについて聖典にこう書かれています。わたしはキリストにあってこんなに助けを受けました。キリストの贖いをほんとうにうれしく思い,感謝しています……。」そして必要であれば一緒に祈り,また賛美歌を歌います。そんなとき,自分も御霊を感じますね。「……説く者と受ける者が互いに理解し合い,両者ともに教化されて,ともに喜ぶのである。」(教義と聖約50:22)その人と自分がともに御霊を感じているそのときこそ,「あなたも教会に行ってみませんか?」と促すときだと思います。「あぁ,自分も行ってみたい」とその人の自由意志で決心するときだと思います。人の心が開かれなければそれはできません。

何人かの兄弟姉妹の,会員の紹介による改宗談を読みましたら,まったく同じことをしていました。最初に,一緒に親切にして,よい信頼関係ができて,心が開かれたときに「教会に行ってみない?」こういう誘いに,「あ,行く」という気持ちになっているんですね。まったく同じパターンがそこにあります。

ただし,底意なく接することがほんとうに大切だと思いますね。かつてのわたしの失敗の最たるものですけれど,「この人をぜひ改宗したい」と思って接するとうまくいかないんです。見抜かれるんですよ。目論見というか下心,そういうものを持たず純粋に愛する─この人も神様の愛する霊の子供,わたしの愛する兄弟,姉妹じゃないか。だからこの人に神様の愛を伝えよう,神様のようにキリストのように愛を示そう─この純粋な思いが人の心を開いていくと思います。

主の用意された人を探す

「見よ,畑はすでに白くなり刈り入れを待っている……。」(教義と聖約4 :4 )類似の聖句はいろいろなところにあります。モルモン書の中で,アンモンはじめモーサヤ王の息子たちと息子アルマがレーマン人への伝道に成功しました。このときにアンモンが証しています。「見よ,何千人ものレーマン人が今喜びを得ており,神の羊の群れに入っている。見よ,畑は熟していた。」(アルマ26:4-5)つまり,彼らは福音を受け入れるよう備えられていた人たちだったと語っています。そういう人は主が用意されているんですよ。ですからわたしたちには,そういう人を探すという大きな責任があるわけです。どうやって探すか─口を開きなさい。口を開くというのは,まず福音のメッセージを宣べ伝えるんじゃなくて,笑顔をもってこんにちはと元気よくあいさつすることです。笑顔とは,あなたを愛しているよという印なんですよ。そして,その人の良いところを見つけて褒める。そ

の人の行ったことに感謝をする。そういう気持ち,愛を示すことによって人

の心は開いていくんですね。その開いたときこそメッセージを聞くチャンスな

んです。「あなたはイエス・キリストについて聞いたことがありますか?」それがすっと入っていって,「あぁいや,聞いたことはないけれど聞いてみたいです」─そういうふうに言う人が備えられている人です。『わたしの福音を宣べ伝えなさい』の9章には「あなたがたを受け入れる人々」(教義と聖約42:8)を見つけなさいという言葉があります。受け入れる人とは,わたしたちに好意を持ってくれる人です。わたしたちが愛を示せばすぐに跳ね返ってくるのでそれと分かります。そういう人は主が備えられている人と思って間違いないでしょう。彼らが心を開いて御霊を感じられるように助けてあげれば,御霊が彼らを導いていきます。

これが主の業のすばらしい点です。焦点を合わせなければならないのはいつも,どうしたらその人が御霊を感じられるように助けられるか,という一点です。これは伝道でも,指導者として会員に接するときも,親として子供を導く上でも同じ原則です。それは主の方法ですから。

家族で霊感を受ける経験を

ですから理想的には,すべての家族が一緒に祈って,自分たちの周りにいる備えられている人はだれか主に尋ねてみる。「自分の知っている人の中で福音を受け入れる備えができている人はだれか教えてください。」そう祈るときに,頭の中に浮かんでくる人がいればその名前をリストアップします。親は親で御霊を受けます。子供もそうです。小学生でも中学生でも祈ったときに,自分の友だちの中でだれの名前が浮かんでくるだろうか。これは霊感ですよね。その人の名前を書き上げます。

書き上げた後どうするか。これは十二使徒のM・ラッセル・バラード長老が語っています。※2 どのようにしてこの人を助けられるか祈りなさい。○○さんという人の名前が浮かんできたら,「○○さんが主の御霊を感じられるよう助けるために,わたしにできることは何ですか」と祈る。そしていろいろな考えが浮かんできます。「この人と友達になるために今度,家の食事に招待しよう。」あるいは,「趣味が何か聞いてみようか。」……祈りによって浮かんできた相手を一足飛びに宣教師に紹介するのではなくて,愛を示し,一つ一つ信頼関係を築き,そしてその人の心が開いたときに,「実はわたしたちはこういう教会に行っています。教会はほんとうにすばらしいところです。あなたの生活にとても助けになる,あなたを幸せにしてくれるとわたしは思います。一度聞いてみませんか?」こういう誘いをすることができると思います。

バラード長老は語ります。「伝道に戦略や作戦は必要ありません。信仰を必要としているのです。主への真の信仰と信頼です。また純粋な愛を必要としています。……家族,友人,隣人,仕事仲間,また人生で出会う人々に福音を分かち合うときに,愛の力によって導かれるようにしてください。多くの人は平安と幸福を味わいたいと願っています。それは人間の自然な望みです。……幸福は,神を理解し,神がわたしたちの永遠の喜びと平安のために計画をお持ちであると知ることで得られるのです。また幸福は,救い主を知り,愛し,主の教えに調和した生活を送ることで得られます。幸福は,福音の価値観を基とした,強い家族と教会のつながりから得られるのです。」※3 ◆