リアホナ2013年2月号  福島県双葉町 主がともにおられる方のところへ

福島県双葉町 主がともにおられる方のところへ

─桶川ワードと藤沢ステーク

2011年3月11日の東日本大震災では,双葉町は震度6強の地震を観測した。翌日からの福島第一原発の事故の影響により3月19日に避難指示が出されると,双葉町の住民たちは取る物も取り敢えず,放射能から逃れるため町を飛び出した。しばらくすれば帰宅できるとだれもが信じての避難だった。町民の2割に当たる1,350人が転々と避難場所を移し,今は廃校となっている騎西高校に町役場とともに避難して来たのは,2011年3月末のことだった。

そのニュースを聞き,まず,騎西高校に近い,さいたまステーク桶川ワードの会員が4月より傾聴ボランティアを開始した。次いで,6月より藤沢ステーク扶助協会が合流し,協力し合って1年9か月間,継続的に訪問を重ねてきた。これまで度々メディアでも採り上げられたように,双葉町の人々は,先行きの見えない不安,行政への不信ややり場のない苛立ち,家族離散,学校でのいじめ問題,残してきた家財の盗難など,抱え切れない苦悩を背負ってきた。震災最後の避難所となったこの避難所が閉鎖されるとのうわさも出回った。多くの批判もあった。避難している方の人数が減るごとに,人々の心は揺れ動き,このままとどまるか,あるいは避難所を出て行くかの厳しい選択に迫られもした。

その最もつらい時期から今日まで,会員たちは被災された方に寄り添い,彼らが語りたいこと,語れることだけを傾聴する奉仕を,ささやかながら続けてきた。だれにも話せない思いに耳を傾け,食い入るように見詰めるニュースを一緒に見詰めてきた。会員たちは訪問に先立ち,勉強会を重ね,聖典からイエス・キリストがわたしたちにしてくださる真の傾聴についても学んできたという。「主は苦しむ人のそばにおられます。だから,わたしたちは主がともにおられる方のところへ出向いていると思っています。」「わたしは被災者の方をイエス様だと思ってずっと接してきました。」会員たちは口々にそう語る。今では黄色いジャケットを見ると声をかけられ,心待ちにしてくれるようにもなっているという。◆