リアホナ2013年12月 主に贖われて生きることの力

主に贖われて生きることの力

全身の痛みとともに歩んだ50 年─鹿児島地方部宮崎支部 後藤高江 姉妹

鹿児島地方部宮崎支部の後藤高江姉妹は,19歳から約50年間,胆道ジスキネジーと膠原病(結節性動脈周囲炎)による痛みから一時も完全に解放されることなく生活してきた。

特に胆道ジスキネジーの痛みは,「大げさに聞こえるかも知れませんが」と前置きをして,「とげだらけの熱した鉄の球をおなかの中に入れて,それをかき回したような感じです。」高江姉妹は少しためらいがちに説明する。なかなか理解されることのない痛み。かつて日記を読み返し,全部燃やしてしまったことがある。「だれかにこれを見られたら,ノイローゼだと思われるかもしれないと思いました。」誤解されるくらいなら見られないようにと思った。

痛みは高熱,嘔吐,黄疸,腹水,心不全を伴い,しばしば強力な治療を余儀なくされた。途中から膠原病を併発したことで,痛みはより強く,全身に及んだ。治療による合併症で呼吸停止に陥ったことも何度かある。それでも,痛みとの闘いはやめるわけにはいかなかった。10数か所もの病院で入退院を繰り返し,手術回数は23回に及んだ。

脊髄に電気を送る

脊髄刺激療法が開発されると,日本でも30年ほど前から二つの大学病院で治療が始まった。痛みのある部分を支配する神経につながる脊髄に微弱な電気を通すことで,脳への痛みの信号を伝わりにくくする治療だ。高江姉妹は,日本での治療成功者,第1号だ。

高江姉妹の場合,胆道ジスキネジーによる右の腹部から背中にかけての痛みに的を絞って,電気を送っている。脊髄にはリードと呼ばれる導線が,腹部には電気を送る刺激装置が埋め込まれ,絶え間なく送られる電気刺激は,痛む部分に重なるようにトントンと響いて,痛みを和らげてくれる。

充電は体の外から行う。高江姉妹は24時間充電した手のひらサイズの充電器を取り出し,腹部に当てて見せた。「ピッピッピッピッ……」という高い器械音は,刺激装置を埋め込んだ場所の上に来るとぴたっと鳴りやんだ。その場所に1週間ごとに3時間充電する。自称「メカ人間」と語る高江姉妹にとって,確実な充電は生活の最優先事項となっている。

「主よ,もはや,じゅうぶんです。」

2 013年4月,胆道ジスキネジーの治療中,高江姉妹は激痛発作のため緊急入院した。昨年末より主治医から刺激装置の交換手術を勧められていたのだが,高江姉妹には気乗りしない理由があった。それというのも,5回目の装置の交換のときに,脊髄に埋め込んだリード線に周囲の肉片が巻き付き,抜去に非常に手間取った経緯があったからだ。そのことに恐怖を覚え,思案しているうちに ,刺激装置がほとんど機能しない状態にまで劣化してしまった。高江姉妹は, 再現した「とげだらけの熱した鉄の球で,ぐりぐりかき回されるような痛み」にのたうった。モルヒネのパッチも神経ブロックも効果がなかった。

すぐに第6回目の,刺激装置の抜去と埋め込み手術が行われた。ところが,膠原病による痛みが激しさを増し,また,衰弱した体に薬物療法の副作用も加わり,絶え間ない吐き気と嘔吐,痛みのため体重は激減し,極度の脱水状態に何度も陥った。唾液はまったく出なくなり,そのために水分さえ飲み込めない状態になった。渇きを覚えても体は何も受けつけない。「きつくてたまらない。今度こそはだめだろうな。」高江姉妹は命の危険を感じ,死が差し迫っていると思った。「これまで生死の境をさまよったときには,どうぞ地上に置いてくださいと祈り,その度に祈りはこたえられてきました。でも,もう地上に残してくださいと祈ることができなくなっていました。信仰が弱っていたんですね。」

高江姉妹の脳裏には,預言者エリヤが主の前で死を求めて祈った聖句が駆け巡った。「主よ,もはや,じゅうぶんです。今わたしの命を取ってください。わたしは先祖にまさる者ではありません。」(列王記上19:4)むろん自分にはそのような祈りをすることは許されないことを承知していた。それでも,この聖句が何度も何度も心に迫ってきては離れなかった。

優しい,優しい主の教え

いったん希望退院をすると,高江姉妹は什分の一を納めようと起き上がった。これまでも毎月納めてきたが,今月分が未納のまま死ぬわけにはいかなかった。「自分でできる最低限の負債を払いたくて,その一心で郵便局に行くためにタクシーを呼びました。」

運転手はよろける高江姉妹を見かねて手を貸そうとしたが,高江姉妹は丁重に断り,杖をついて車に乗り込んだ。そして,やっとの思いで郵便局での手続きを済ませると,後部座席のシートにもたれかかり,目を閉じた。手にはビニール袋を握りしめ,容赦なく襲ってくる吐き気と痛みをこらえていた。「そのときは耐えるのがやっとで,何も考えてはいませんでした。」

その予期しないときに突然,主の声が,弱り切った体と心にはっきりと聞こえた。「あなたが受けている負債は,什分の一だけではないんですよ。」─高江姉妹はその印象をこう語る。「全然,厳しくないんです。それは優しい,優しい教え方なんです。」「元気を出しなさい,と言うのでもないんです。主は励ますことも,叱咤激励されることもありませんでした。」「主はほんとうに静かに,静かに教えてくださるんです。」「あなたを見捨ててはいませんよ,と言ってくださっているように思いました。」

主の教えの前で,高江姉妹の理解の目は大きく開き,自分が什分の一だけでなくすべてに負債を負っていることを瞬時に悟った。「わたしはほんとうに高慢でした。」これまでの至らなさを悔い改め,主が教えようとされたメッセージに霊が目覚め,喜ぶのを感じた。

「それは奇跡でした。生きる力がどんどんわき上がってきました。」「もう大丈夫だと感じ,生きる希望が出てきました。」高江姉妹の萎えた心は活気を取り戻した。「それまでの悲痛な気持ちが,一瞬で平安,生きる喜び,勇気に180度変わったのです。」一言で命を蘇らせる,主の御言葉の力。

玄関に入ると,高江姉妹は靴を履いたまま土間に座り込み,頭を下げた。「天のお父様,これほどまでわたしを愛してくださったことを感謝します。」「あなたに対する負債が,什分の一だけではないことを,優しくはっきりと教えてくださったことに感謝します。」「御霊によってこの真実の教会に導かれたことを感謝します。」膨らむばかりの負債に,感謝の言葉が尽きなかった。

泥沼から引き上げる力

「主は言われるんですよね。『起きて食べなさい。道が遠くて耐えられないでしょうから』(列王記上19:7)って。」高江姉妹は聖句を自分に当てはめ,しみじみと語った。つらい痛みにこれからも耐えられるように,主は自分にも同じことをしてくださった。もう限界だと主の前に伏したときに,自分にも「静かな細い声」(列王記上19:12 )で慰め,力づけてくださった。

「あのときも,主は泥沼から引き上げてくださいました」と高江姉妹は振り返る。33歳のとき,彼女と両親が乗った車がトラックと正面衝突した。両親は即死だった。高江姉妹は両親との突然の別れに半年間泣きじゃくった。当時彼女には様々な病名が付けられ,治療は行き詰まり,苦痛を極めていた。そのようなとき,真実を求めて祈っていた彼女のもとに宣教師が送られた。福音は高江姉妹の渇き切った霊を潤し,人生の苦しみにも深い意味があることを早く悟らせた。1984年秋,改宗。もがくほど沈み込んでいく底なしの泥沼から,「ガバッと」力強く,完全に,速やかに引き上げられた余韻が,今も体に残っている。「福音がなければ,きっとわたしは両親の後を追ったと思います。」高江姉妹には,主がどのような状態でも救い出せる御方であるとの確固たる証がある。

失ったものはない

高江姉妹は,どんなに痛みがあっても毎日聖典を研究する。医師から行動を制限するよう言われているが,毎週タクシーを使って聖餐会に出席する。つい最近までは,毎月神殿に参入すると決め,福岡神殿で奉仕していた。「教会に行きたい,神殿に行きたい,それがわたしの望み,力の源なんです。」ほとんど横になっての生活でも,痛みに自身の自由を明け渡すことなく,充電器と痛み止めを肌身離さず持ち運び,できるぎりぎりの範囲で福音を実践している。

若いときは保育士として働いた。子供が大好きだった。しかし,痛みで自由の利かない体では子供の安全は守れない。やむなく仕事から退いた。その後,複数の議員の秘書に抜てきされ,その有能な働きぶりで重用された時期もあった。隠れて治療を受けながら頑張ってみたものの,結局は仕事を断念せざるを得なかった。それでも高江姉妹は,「痛みのために何かを失ったと考えたことはありません」と語る。受けたものが大きすぎて,感謝しか思い浮かばない。

不思議に思うことがある。脊髄刺激療法を行うためには,医師も一からの勉強が必要だった。「わたしの治療法を研究するために,留学までしてくれた医師もいました。」高江姉妹は症例研究の対象となり,医学書にも引用された。患者でありながら医師の傍らで意見し,観察し,気づいたことを報告し,医師の仕事を助けるパートナーとなった。的確な物言い,痛みに屈しない前向きな態度。医学の発展に貢献できる今の立場は,まさに秘書そのものだ。

保育士のときには,泣く子をあやし,寝かしつけた。怖がらなくてもいいのよ,とそばで見守った。そして今,身をもって効果と安全を証明した治療法で,万策尽きて苦しむ人々の涙をぬぐい,安らかな眠りと以前の生活を取り戻させ,常に彼らの先を歩んで,小さな道を作っている。

体に備えられた神秘

脊髄刺激療法は,神経ブロックや薬物療法が効かなくなった人の最終的な治療法として使われることが多い。トントンと規則的に響く刺激は,激痛を穏やかになだめ,それを鎮める。

また,脳にはもともと麻薬様の鎮痛物質があるという。神様がそっと備えておいてくださった最強の治療薬だ。普段は黙しているが,ひとたび刺激を送ると,その物質は目覚め,動き始める。高江姉妹の痛みを和らげる力は彼女自身の中にある。痛みから逃れる道は,脳や脊髄の隙間にも備えられた。何と繊細な創造の業,愛に満ちた主の計らい! 高江姉妹は口をつぐんだ。耐えられない苦しみはない,と語られた裏付けがここにもあった。

もう一つの病,膠原病の痛みに対しては,今も強力な治療が続けられている。発熱や全身の痛みはしばしば生活の自由度を狭め,痛みが意識から離れることはないが,高江姉妹は感謝と喜びの日々を過ごしている。これからも痛みとともに歩んでいこうと思っている。頭の中を駆け巡る聖句は,あのころとはすっかり変わった。

「あなたはわたしの魂を死から,わたしの目を涙から,わたしの足をつまずきから助け出されました。わたしは生ける者の地で,主のみ前に歩みます。」(詩篇116:8)◆